第205話_悪戯

「あれ……?」

 一時間と少しが過ぎた頃、ふとラターシャが呟く。彼女の視線は木片を捉えており、他の何も見ていないのだけど。驚いたような、戸惑ったような顔をしている。

「ラターシャ、どうし」

 ルーイが小さな声で問い掛けようとした瞬間、ラターシャがさっきまで動かそうと躍起になっていた木片が急にふわっと浮き上がった。

「ちょ、っと、アキラちゃん……!」

「ふふ」

 笑ったのはアキラだった。浮いた木片が、アキラの左手でキャッチされている。つまり今、木片を動かしたのはアキラであるらしい。先程のラターシャは、自らが浸透させようと集めていた魔力が突然何かに押し返されたせいで、戸惑った声を出したのだ。

「ごめんね、夢中になってるの、可愛くて、つい」

「そんな理由で、反動が出てるのに魔法を使わないでよ、バカ」

「はは、そうだった……」

 ラターシャへと木片を返すアキラの手が熱い。木片を受け取りながら、ラターシャは彼女の手を握って眉を寄せた。

「熱、高そうだね。そうだ、解熱の薬は飲む? 用意してあるよ」

「あぁ……そういえば、薬、あったね」

 そもそも部屋に置いておく用に一通りの薬を調達していたのはアキラ本人だ。あくまでも女の子達に何かあった時の為であり、自分が使う気はまるで無かったせいで、失念していたらしい。

「貰おうかな、折角だし」

 折角だ、と言うのが薬を使うのに適した理由なのかはさておき。飲めば少し楽にはなるだろう。ルーイとラターシャは微かにホッとした顔をした。薬はすぐに飲める形でナディア達が用意してくれていたので、二人はアキラに渡すだけ。きっとアキラにはその薬を誰が準備してくれていたのかが分かったのだろう。すんなりと差し出されたそれを見て、「至れり尽くせりだね」と笑った。

「うーん……」

 解熱の薬を飲み終えたアキラはジュースを少し飲むと、タオルで軽く汗を拭いながら唸る。顔をタオルで覆ってしまうので、表情が分からない。ルーイとラターシャが顔を見合わせた。

「大丈夫? どうしたの?」

「いや……」

 タオルから顔を出したアキラが、きゅっと眉を寄せて真剣な表情でシーツの何も無い一点に視線を落とす。そんな彼女を二人が緊張の面持ちで見つめていたら。

「今トイレに行っておくかどうか? まだ我慢できる気がするんだけど」

「すぐに行って」

 ラターシャは短くそう言うと素早くアキラからタオルを取り上げた。ルーイはくすくすと堪え切れずに笑っている。まだ眠っている姉達を起こさぬようにか両手で口を押さえているのが愛らしい。アキラは空になった両手を降参するみたいに軽く掲げて、ベッドをゆっくり下りる。今回も補助は無くて大丈夫と言って、一人でしっかり歩いて行った。熱は高くて辛そうだが、視界は揺れていないようだ。

 アキラはすぐに済ませて戻ってくると、心配そうな顔で足取りを見つめている二人を可笑しそうに見つめる。

「大丈夫だよ、すぐ良くなるから」

「そんなこと言って。朝食後に熱が上がって朦朧としてたこと、覚えてないでしょ」

「……え、うそ、本当に?」

 驚いているアキラに対し、二人が神妙に頷く。アキラは「あー……」と気まずそうに呟いて苦笑を零した。二人がベッドに張り付いてまで心配していたこと、そして今眠っている二人が解熱の薬をいつでも飲めるように用意していたこともそのせいであると理解したらしい。

「心配させてごめん。今度からは、熱が上がる前にお薬飲むように気を付けるよ」

 アキラが言うには、魔力回路が原因とは言っても発熱しているのは身体なので、薬もちゃんと効くだろうとのこと。

「お姉ちゃん達は、熱だけが原因じゃないかもって言ってたよ」

「ふむ?」

 ルーイの言葉にアキラが首を傾ける。姉二人が眠る前に話していたことを伝えたら、アキラは「なるほど」と言って腕を組み、考えるように少し天井を見上げていた。だけどそれは数秒の短い時間だった。

「その辺りを見極める為にも、やっぱり少し熱を下げておくに越したことは無いね」

 反動のことについてはアキラもまだ全てを理解しているわけではない。自らを実験体にするような言い方ではあるものの、今はとにかく解熱の薬を使って様子を見るのが最適だという考えには、二人も同意を示す。

「傍で二人が看てくれているから安心だよ、ありがとね」

「調子いいなぁ」

「ナディアお姉ちゃんなら今ハァ~~って言ってるよ」

「うーん、間違いないねぇ」

 すぐ隣のベッドでこれだけ会話しているのだからナディアも、もしかしたらリコットも目覚めているかもしれないが、反応する様子は無い。仮眠も入れずに徹夜をしていた彼女らは、きっと疲れているのだろう。

 さておき、アキラの言葉も二人の機嫌を取る為のリップサービスというだけではなかった。意識が朦朧としている状態の自分を正確に把握など出来ない。信頼のおける誰かが傍で見ていてくれることは、今後の対策を考えるにも明らかに有用だ。これはアキラが一人で旅をしていたなら決して叶えられなかった。

 だから状態を確認する意味でも昼食時には起こしてほしいと言って、アキラはまた眠った。薬が効くにはまだ時間が掛かるだろうし、辛い間、眠ってしまえるならその方が良い。ルーイとラターシャは引き続き、ベッド脇でただ静かに過ごすことに決めた。

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