第203話

 ベッド脇でちぐはぐに座りながら、リコットとナディアはただ静かにしていた。他三人が眠る暗い部屋、しかもベッドのすぐ傍でランプを灯すわけにもいかないし、ランプが無ければ本を読むことも出来ない。あまり長く話しているのも問題だ。結果二人はほとんど話すことも動くこともしなかった。

 ただ、朝日が昇り、薄いカーテン越しに明るい光が差し込んでくると、アキラの額や首筋が思っていた以上にひどく汗に濡れているのが分かった。一度リコットは近くの棚からタオルを取り、起こさぬように優しく拭いてやる。しばらくは何の反応もしなかったアキラは、汗を拭き終えたリコットが少し離れたタイミングで、ゆるゆると目蓋を持ち上げた。

「あ、ごめん、起こしちゃった?」

 その言葉でナディアも気付き、振り返ってアキラの様子を見つめる。アキラは未だ状況が分からないのか、ぼんやりとリコットを見つめながら何度か目を瞬いた後で、「あぁ」と掠れた声を漏らした。

「リコか……」

「おや、誰と間違えたの?」

 何処かわくわくしたような声でリコットが問い返している。アキラは微かに息を漏らして笑った。

「誰とも。誰かなって、思っただけ」

「なんだ~、つまんない」

「何を期待したのよ」

 横でナディアも呆れている。その声を聞いて初めて彼女の存在に気付いたらしいアキラは、視線を彼女へと向けて「ナディまで」と呟いた。

「別に。あなたを看ているリコットに付いて、い……」

 リコットに付いていただけ、と言おうとしたナディアは唐突に変なところで言葉を止めた。が、タグの出る範囲には入ってしまったらしい。アキラが柔らかく目尻を下げたのを見て、ナディアは眉を寄せる。

「『嘘』が伸びてるねぇ」

「ふふっ」

 堪えきれずに笑うリコットを、少し不満そうにナディアが睨み付ける。

「元々、二人ずつで交替して起きている予定だったの」

 先程の言葉を否定するわけではなく全く違う内容で言い直し、ナディアは再びアキラのベッドに背を向ける形で座り直した。その言葉自体は事実なので、今度こそ『本当』のタグが伸びたのだろう。アキラも「そっか」と相槌していた。

「ところでアキラちゃん、食欲はどう? 朝食どうする?」

 朝食は食堂から持ってきて部屋で取る予定だとリコットが説明する。通常であれば二、三人前を食べるアキラの具合如何いかんで、持ってくる量は大きく変わってしまう。事前に聞けるに越したことは無い。アキラはぼんやりと天井を見つめた後、静かに深呼吸をした。苦しいのだろうか。話させようとするのは酷だったかもしれない。後でもいいと伝えるべきか少しリコットが迷ったところで、アキラは口を開いた。

「あんまり、無いかな……。スープみたいなのが、あれば、少し」

「そっか。分かった。そういうのを貰ってくるね」

 リコットの言葉に応える「ありがとう」も掠れている。やはりまだ話すのは辛そうだ。そう思ったのも束の間、徐にアキラが身体を起こし始めた。驚きつつも、咄嗟に手を伸ばしてリコットはそれを手助けする。

「どうしたの?」

「水、と、トイレ」

「あぁ。はい、水はここ」

 枕元に置いてあった瓶を手渡せば、アキラは喉が渇いていたらしく、中身を一気に半分くらいに減らしていた。

「大丈夫?」

「ふふ。平気、ひとりで行けるよ」

 リコットらが控えていたのとは逆側にアキラが足を下ろしたので、一瞬リコットは慌てた。しかしアキラは特に補助なく歩けるらしい。心配そうなリコットに笑い、そのまま一人で立ち上がってトイレへと入っていく。身体は重たそうにしているものの、酷くふら付く様子は無さそうだ。それでも心配そうにソワソワしているリコットを見兼ね、ナディアはアキラの着替えをリコットに押し付けた。

「え、いや、自分で渡せばいいじゃん、ちょっと」

 戸惑うリコットを無視して、何故かナディアが忙しそうにベッドの傍を離れてしまう。直後、アキラがトイレから出て来た。リコットはやや納得いかない顔をしつつ、戻ってきたアキラにそれを手渡す。

「いっぱい汗かいたでしょ。そのまま寝たら冷えるよ」

「あー、そうだね」

 ベッドに座ったアキラが気怠げに服を脱ぎ始めたところで、ナディアが濡れタオルを持って戻る。しかしまた自分で渡さずにリコットに押し付けた。文句を言おうと顔を上げたリコットだったが、すかさず背を向けてしまったナディアを見てすぐに諦め、それを片手にベッドに片膝を乗せた。ベッドが揺れたことに気付いて、アキラが振り返る。

「ん? あぁ、ありがと」

 彼女は迷わずリコットの手から濡れタオルを受け取った。寝入る前にも自分で身体を拭いて着替えていたし、今も自分で出来るのだろう。リコットは手伝う意図だったのだけど、アキラはそれに全く気付かなかった。いや、やんわりと断る意味だったのだろうか。とりあえず役目を失くしたリコットは、目の前に脱ぎ落されたものを回収して、仕返しとばかりにナディアに押し付けておいた。

「……今日は」

 汗も拭いて、着替えを終えて。ようやくまた横になったアキラが溜息交じりに呟く。

「動けるようになったら、ギルド支部に情報を聞きに行くとか、ガロにも、会いに行きたかったんだけどなぁ」

「無理に決まってるでしょう」

 リコットに押し付けられた洗濯物を籠にまとめながら、ナディアが呆れた溜息を零す。アキラが口元だけで笑って応えた。本人も分かっているから、過去形で言うのだろう。

「だけどガロの方から、会いに来るかもしれないから。その時は、寝込んでるとか言わないでね。元気なふりして会うよ」

 そう言うと、アキラは苦しそうに長い息を吐く。やはりあまり多くを話すのはまだ辛いらしい。しかし聞き流せる内容でもなく、ナディアは洗濯に行こうとしていた足を止めた。

「……戦場で、彼と会ったの?」

「いや、直接は会ってないよ」

 遠目には姿を見ていただろうけれど、例の仮面を着けていたから流石のガロも認識が出来ていないはずだとアキラは簡単に説明した。

「普段から元気そうなアキラちゃんが、待機してたはずのこのタイミングで寝込んでるってのも変だもんねぇ。見栄を張っておくのが一番、かぁ、うーん……」

 理解はできる。だが、心配であることは変わらない。同意を口にする一方で、リコットは悩むように首を捻った。

「それならせめて『ずっと起きていたから寝不足だ』と伝えて、早めに切り上げるくらいの努力はして頂戴」

「ああ、それいいね、そうしようかな」

 ナディアの提案にアキラが笑う。リコットも「おお」と感心して頷いた。女の子達の為に起きていたと言えば、ガロがそれを疑う要素は無いだろう。

 そうこう話している間に、アキラはとろとろと目蓋を落として眠りそうになっていた。気付いたリコットが、丁寧にシーツを整えて、優しく彼女の髪を撫でる。

「朝ごはんの時にまた起こすよ、おやすみ」

 言葉に応じるようにアキラは少しだけ口元を緩めて、再び眠り就いた。

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