第192話

 贅沢な時間だったな、と思う。

 必死に思考を追いやって、誕生日のことを考えないようにしていたのが妙に情けなくてバカみたいだ。女の子達は優しい。

 こうして私はこっちの世界で新しい『誕生日』や色んな特別な日を過ごして、いつか、言葉に出来ない落ち着かない気持ちを、何処かへ押しやることが出来るのだろうか。

 という湿っぽい思考はさておき。

 幸せな誕生日を過ごした二日後、私は夜遊びに出ていた。いや、私の為に色々頑張ってくれた女の子達が、私の居ない穏やかな夜を過ごす日も必要だと思うんです。単に私が遊びたいのもあるんだけど。彼女らのお陰で機嫌が直り、元気が出たのでね。

「そういえば、猫ちゃんどうだった?」

「それさぁ~~~もう、大変だったんだよ」

「あはは!」

 偶々同じ店で鉢合わせたので、犬系獣人のダリアと久しぶりに夜を過ごす。最初はナディアの話など何も無く行為に及んでいたが、事後になって唐突に問い掛けてきた。

「怒られた?」

「ちょっとだけね。とりあえず上着を剥がれたよ」

 私の言葉に、ダリアが身体を震わせて笑うから、簡素なベッドがその揺れに応じて軋んでいた。まあ、ナディアが怒っていたのは私にじゃなくてダリアにだし、「ちょっと」でもなかったけど。

「どうやったら匂いが付くのかよく分からないけどさー、もう止めてね」

「はぁい」

 彼女から『本当』のタグが伸びたので、まあいいだろう。どの道、ダリアがわざと付けなくともこうして身体を重ねるだけで多少は付くのだろうし、明日はちょっと前回を思い出して嫌な顔をするかもしれない。でも、嫌がらせのつもりで付けるものでない限り、多分そんなに怒らないと思う。今までは大丈夫だったからね。

「そういえばアキラは、その猫ちゃんに噛まれる?」

「……なにそれ、比喩?」

 非難されて食って掛かられるようなこと? それなら毎日だが? と思って問い返すと、ダリアが笑って首を振る。

「ううん。実際に。さっきアキラが私の尻尾の付け根を噛んだみたいに」

「反応が可愛かった」

「そういうことを言ってるんじゃなーい」

 甘噛みしたことを思い出しながら間抜けな返答をしたら、軽くダリアに頭突きをされた。イテ。

「んー、覚えが無いなぁ。そもそも滅多に腕も回してくれない」

 私の回答の後半で、ダリアが声を上げて笑う。傷付くからそんなに楽しそうにしないでよ。

「大好きなのに表現が曲がってるとこ、猫ちゃんて感じだね~」

「その大好きってのが分からないけど……」

 妙にダリアは確信しているようなんだけど、何度ナディアのことを思い返しても『大好き』はねえんだよなぁ。『信頼』はほんの少し。多分。首を傾ける私に、ダリアがぐりぐりと頬擦りして来る。ねえこれ匂い付けてないよね? うーん、違いが分からない。でも分厚い犬耳が可愛いから齧っちゃえ。無断で耳を食んでいると、またダリアがくすくすと笑った。

「獣人族にとって行為の最中に『噛む』って、すっごく特別なことなんだ」

「え、そうなの? ごめん」

 慌てて犬耳から口を離して、手でよしよしと撫でる。柔らかい目が私を見上げていた。

「ううん、いいよ。人族が知らないのは分かってるから。まあ、一瞬ドキッとするけどね」

 えぇ、本当にごめん。何も分からない。種族が違うとそういう文化的な違いもあるんだね。勉強になるなぁ。っていうか私を異世界人と知っているナディアがもうちょっと教えてくれたら助かるんだけど……。いや、今ダリアは『人族が知らない』って言ったな。同じ世界で生きていても、人族なら知らない方が普通なのか。

「どういう意味なの?」

「うーん、人族で言い換えられるものが無いから難しいんだけど、求愛のもっと特別なやつって感じかな」

 求愛より特別ってどういうことだ。

 流石、人族では言い換えられないと言われるだけのことはある。説明されてもまるで分からない。

「つまり愛情表現なの?」

「そうだよ。その中でも、ものすっごいやつ」

「ものすごいやつ……」

 人族の中では存在しないようなレベルの最上級の愛情表現ってことか。やっぱり私の知る範囲には無いものなので、こうして頭であれこれ考えてみても、及ばないものみたいだ。

「生涯、あなたが唯一の人、って伝えるみたいなものかな。どれだけ軟派な人でも、沢山の子に噛み付いたりはしないんだよ。本能的に特別なの」

「へぇ~」

 文化と言うよりは、習性に近いらしい。そうとは知らず、前回も今回も、結構ダリアに私、行為中に噛み付いた気がする。本当に申し訳ない。人族に抱かれるだけでも経験がないだろうに、そんなことまで戸惑わせてしまっていたとは。っていうかナディアにもかなり噛み付いてんだけど……あの子ずっと何も言わないんだけど……。

「ダリアは噛んだことある?」

「無いよ。そんな人に出会ってたら、もうこんな仕事してないかもね。一生、その人と重ねそう」

 そんなに特別なのか。うーん。ナディアにも謝った方が良いかなこれ。いや、そういえばダリアの問いは、ナディアから噛まれるか、じゃなかったか? 無いだろ。そんな最上級の愛情表現、一生されない。最低限も無いのに。考えるほど辛くなってきた。

 ダリアとベッドで過ごしているのに、話題のせいで少しナディアに思考が向いたところで、ダリアの耳がぴくんと跳ねた。そして、彼女が表情を強張らせる。

「ダリア? どうかした?」

 言いながら、私は反射的に魔力探知の範囲を拡大させていた。彼女が何かを警戒しているように見えたからだ。特に何も引っ掛からないようだけど……。

「……避難になるかも」

「うん?」

「遠くで警笛が聞こえた。何か様子がおかしい」

 なるほど、犬系獣人もやっぱり耳が良いんだね。もしかしたら猫系のナディア以上に。

 本気を出せばレッドオラム全体を魔力探知内に置けるけれど、そんな範囲を探知してもよく分かんなくなるから止めておこう。とりあえず不安に怯える彼女の身体を、両腕で抱き締めた。可能な限り、優しい声で「落ち着いて」と囁く。

「どっちの方向か分かる?」

 まずは情報を得よう。そしてダリアの安全を確保したら、急いで自分の女の子達のところへと戻らなければ。

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