第188話

 いつもより早くに休んだ二人は、朝食に間に合うように早く起きるのも大して苦痛ではなかった。真っ直ぐにみんなが待つ宿へ帰ると、全員で揃って朝食を取る。そして食後は部屋に上がらず、そのまま約束通り二人で買い物へと出た。

 行き先は酒屋だが、アキラは何処に連れて行かれるのだろうかと、変にウキウキした顔で道中、周りを見回している。まだ時間的には早いものの、ナディアの注文量が多いこともあって店主は開店前に受け取ることを許してくれていた。

「ああ、いらっしゃい。準備してあるよ。台車も貸すかい?」

 恰幅の良い店主のおじさんがナディアを見て手を上げる。アキラは黙って店の看板を見上げていた。

「いえ、店の前に出していただければ、連れの収納空間に入れますので。この人、収納空間が人より少し大きくて。この為だけにすっかり空けてもらったんです」

「ははは! そりゃ災難だったね、お嬢さん。何とか押し込んでってくれよ」

 突然のことでアキラには全く意味など分からないだろうが、目を瞬きながらも笑顔で「うん」と反射的に答えていた。

「すぐに出してくるから、少し待っててくれ」

 そう言うと、店主は一度、店の中へと下がった。扉のすぐ傍でごそごそと音がして、少し会話も聞こえているので既に近くには用意してあるようだ。アキラは一度ナディアの横顔を窺って、また店の外観を見回す。

「お酒?」

「そう」

「沢山?」

「ええ」

 何の為に、とアキラが更に問い掛けようとしたところで、店主と店員が酒瓶のぎっしり入った二つの木箱を台車で出して来た。簡単に内容を確認したナディアは珍しく営業スマイルで「ありがとうございます」と言い、支払いを済ませる。

「アキラ、お願い」

「はぁい」

 あまりにあっさりと収納空間へ入れても驚かれてしまうだろうからと、一箱目はすんなり入れた後、二箱目を慎重に入れるふりをして、回収した。店主に「頑張ったなぁ」と笑われつつ、二人は酒屋を後にする。

「ありがとう、演技に協力してくれて」

「まあ、私が異常なのを隠さなきゃいけないのは私の都合だからねぇ」

「……それもそうね」

 少し納得したような反応をしてしまったものの、いずれにせよ誕生日当日に荷物持ちに使われている状況には違いない。そもそもお酒だって、お金を渡せば宿に運んでもらうことも不可能ではないのだ。ただそれをすると宿の人が量を見て訝しむ可能性もあって、その状況を避けつつ、一時的にアキラを外へ連れ出す目的も兼ねると結局こうなった。

「ところでこんなにいっぱいお酒を買って、どうするの?」

「ちょっと試したいことがあって。すぐに分かるわ」

「うーん?」

 やや強引だが、今のナディアからは嘘のタグは出ていないはずだ。

 自分の誕生日祝いの為にこんなに大量のお酒が用意されたと知ったアキラがどんな顔をするのか、そして彼女がどれだけ一日の間で飲むのかを『試したい』のは本音なのだから。

 他に立ち寄るべき場所も無く、再び宿へと戻る。一緒に出掛けていて宿に戻る際、先に部屋に入るのは必ずアキラだ。なのでナディアはいつも通りを装って後ろをついて歩き、彼女に先に入らせた。そして自分は出来るだけ素早く部屋に入り込んで扉を閉ざす。少し慌てた音が聞こえたのか、アキラは振り返りかけていた。その時。

「おかえりなさい!」

「アキラちゃん誕生日おめでと~!」

 待っていた三人が、紙吹雪をまき散らした。ラターシャとリコットが風生成まで利用して盛大にするものだから、視界一面が紙吹雪だ。

「ふ、これは掃除が大変ね」

 アキラの背後でちょっとナディアが笑う。張り切りすぎた妹達が愛らしかったのだろう。

 そして、アキラはと言うと。

 なかなか反応をしない。彼女は目を真ん丸にしたままで、頭に紙吹雪を幾つも積もらせて、固まっていた。

「おーい?」

「動かなくなっちゃった」

「あの、大丈夫? アキラちゃん」

 途端、慌てた様子でリコットとルーイとラターシャが彼女の様子を窺う。背後に控えていたナディアも、斜め後ろから軽く彼女の様子を覗き込む。みんなに近距離で顔を窺われたアキラが、二度、瞬きをした。

「あー……覚えてたの?」

「そりゃそう、……あれ?」

 即座にツッコミを入れそうになったリコットが、彼女の言葉が何を意味しているのかに気付いて、大きく目を見開いた。

「げっ、うわ、ごめんアキラちゃん、自分の誕生日が近いこと、ちゃんと気付いてたんだ」

 ラターシャとルーイも同じ思考に思い至って、さっと青ざめる。彼女達は、アキラが自分の誕生日に気付いていない線が最も強いと思っていた。

 もし気付いているなら、みんながこそこそと準備を進めていることを彼女なら必ず見抜いてくると思っていたからだ。気付かれることなく此処まで来た時点で、アキラは誕生日を失念しているのだろうと思い込んだ。だが結果としてアキラは自身の誕生日が今日であることをきちんと覚えていて、且つ、四人が何か準備をしていることなど一切、気付いていなかったと言う。

 その状況は、普通の感覚で言えば、かなり『寂しかった』のではないだろうか。

 改めて、アキラの正面に立つ三人は真っ青になっていた。彼女らの表情と、アキラのやや呆けた顔を見比べたナディアが、柔らかくアキラの背を撫でる。

「……少し拗ねていた?」

「いや、いやいや、そういうのは無いよ」

 ナディアの問いに、アキラは少し慌てた様子で首を振った。

「一回しか話してないし、それをみんなが忘れちゃっても別に良くて。ただ何て言うか……元の世界のことを色々思い出して、気持ちがちょっと落ち着かない状態だった、かな」

 誕生日という、アキラ個人にとっての特別な日。元の世界での思い出など、数え切れないほどにあるだろう。家族や友人から大いに祝われてきただろう。アキラがラターシャを盛大に祝ったことからもそれは窺い知れる。そんな日が迫るにつれて、もう思い出の中の誰にも会うことが出来ない彼女が、何とも思わないわけがない。喪失感が湧き上がらないわけがない。

 だから、連日の浴室籠りだったのだ。だから、眠れずに人の温もりを求めていたのだ。

 思えばアキラは今までにも精神的に弱った時には何か別のことに没頭しようとする傾向にあった。

 元々没頭しやすい性質でもあるだろうし、精神面が原因じゃない時もあるだろう。でも、可能性としては気付くべきだった。

 小さな溜息を吐いたナディアが、アキラの背に寄り添うようにして軽く彼女を抱き締める。すると他の三人も勢いよくアキラの身体に抱き付いた。ラターシャが左腕に、ルーイが胴に、リコットが首に腕を回したものだからアキラはもう身動き不可能なほど女の子らに固定されていた。

「最初から『誕生日祝うから楽しみにしてて』って言えば良かった、本当にごめん!」

「わー、はは、結構苦しいよ、みんな」

 アキラにしては、返った軽口も幾らか弱い。苦しいと言われたのに、そんな彼女らしくない声を聞いたみんなは、抱く力をむしろ強めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る