第187話_難儀
耐熱ガラスは流石のアキラも持ち合わせていない。鍋からマグカップへと慎重に赤ワインを注いで、ナディアへと手渡す。
「このワインは、何処で仕入れてきた高級品なの?」
「いやいや。そんな大層なものじゃないよ、いつだったかな、安売りしてたから」
「……あなたも安売りに釣られることがあるのね」
「偶にはね」
アキラは魔物素材という資金源に困らない上、城からの討伐依頼を偶に
「温めちゃえば味なんて、ねぇ」
「なら、これはホットワイン用なの?」
「半分は。もう半分は、料理用」
「あぁ……なるほど」
調理用に扱うワインにまで、高級さは求めていないらしい。それは納得のいく理由だと思った。それでも彼女は生まれ育ちがナディアとはまるで違う為、『同じ感覚で』かどうかは、分からないが。
「お、悪くないね。温まる」
「そうね、美味しい」
一口飲んで、思わず素直な感想を漏らしてからナディアは少し首を傾ける。安売りしていたのだから安物だと単純に解釈したが、本来は高級であったワインの値が落とされていただけでは、と思うくらいに舌触りと香りが良い。結局、やはり質の良いものを仕入れてきているようだ。アキラの言葉を額面通りに取ってしまったことに内心で軽く項垂れた。
「果実を入れて温めても美味しそうね。アルコールを飛ばしてしまえば、みんなでも飲めるでしょうし」
「良いねぇ。今度の馬車旅では夜に振舞おうかな」
気を取り直してナディアが新しいレシピを提案すると、アキラも嬉しそうに頷く。普段から、二人の雑談の多くはこのような内容だ。食べ物をどう調理したらみんなが喜んでくれるかを、二人でいつも考えている。ラターシャから夫婦と例えられた際にナディアは拒否反応を示したものの、傍から見ればやはり夫婦のようではある。このワインなら何の果物が良いかを話すだけで、アキラは一杯目を飲み干していた。
「そう言えば少し前に立ち寄った本屋、怪奇ものが結構あったよ、街の北側にある本屋。ナディは知ってる?」
「北の、どの辺り?」
「えーとねぇ」
新たに温めた二杯目を傾けながら、アキラがその本屋の詳しい位置と外観を告げた。当然、店の名前もアキラは覚えていたが、それを告げたのは最後だった。いずれもナディアは覚えが無いようで、おそらく行ったことが無いと答える。
「明日、案内しようか?」
「……明日は、いいわ。でも、今度連れて行って」
「うん、分かった。いつでも誘ってね」
明日を断る理由が咄嗟に思い付かなかったが、アキラがその理由を問う気配は無い。少し考えた後で、改めてナディアが口を開く。
「それより、明日は」
「ん?」
「朝食の後で少し買い物に付き合ってもらってもいいかしら。私じゃ収納空間に入れられそうにないの」
まるでそれが断った理由であるかのように告げてみる。幸いアキラはナディアが望んだとおり、納得した様子でにこやかに頷いた。ナディアからの頼みごとが珍しいせいもあるのだろう。やけに嬉しそうだ。
「構わないよ。何を買うの?」
「……それは明日のお楽しみで」
「えぇー?」
買うのは、大量のお酒だ。実はこの言い回しで当日に一度彼女を宿から連れ出してしまうのは予定の内だった。伝えるのは朝食時にするはずだったけれど、この程度の変更は構わないだろう。今の話の流れならむしろ朝食時に伝えるより遥かに自然だ。
「明日の朝もナディとデートできるなんて、贅沢だなぁ」
「荷物持ちでも喜べるのは才能ね……」
その為に連れ出す側ではあるけれど、呆れの気持ちも本物だ。誕生日を祝われるべき主役を荷物持ちにする計画もやや揉めたというか各々迷いがあったのだが、当の本人がこの状態なのだから、悩み損だったようにも思える。ただ、嫌な顔をされなかったことも勿論のこと、予定がある等と言って断られてしまえばその時点で彼女らの計画が頓挫してしまうので、アキラの反応はやはり幸いと言う他ない。
ワイン一本を二人で飲み干すのは中々の量だが、アキラがその内の一人であることを考えると、少な過ぎるくらいだった。無理せず飲んでもアキラは一人で三、四本を空けてしまう。それでも、一本が空になった時点で今夜のアキラは飲むのを止めた。空瓶と、小さい
「……今夜は少し性急ね。もしくは疲れている?」
それぞれお風呂と寝支度を済ませて消灯したら早々に、アキラはナディアをベッドに組み敷いた。抵抗なくベッドに沈んでから、静かにそう問い掛ける。いつもより早くにベッドに入りたがったのは、早く抱きたいからか、それとも早く休みたいからか。日中に魔法石を幾つも作って昼寝をしていた姿を思い返し、何となく後者であるようにナディアは思っていたものの、苦笑いを零したアキラは「前者かな」と言った。
「なぜ?」
「特別な理由は無いよ、無性に触りたくなっただけ。昨夜、添い寝してもらってた時も、そのまま連れ去っちゃいたくなってた」
「……添い寝も考えものね」
昨夜のことはナディア側にも意図があったものの、それが引き金となったと言うなら、今回以外の場合は不都合になることもある。彼女の返しに、またアキラはくすくすと笑った。
「可愛い、大好きだよ、ナディ」
いつもアキラはこうしてベッドに入るとその瞬間から愛の言葉を囁き始める。最初の内は、こんな関係性でリップサービスに何の意味があるのかと呆れて受け止めていたが、回数を重ね、アキラという人を知るほどに、本人は別にサービスのつもりが無いことを理解していた。アキラは本心で、身体を重ねる相手のことを愛しているのだ。彼女なりに。
「……難儀なひと」
「ん?」
「いいえ、何も」
聞き取れなかったらしいアキラが首を傾けているけれど、ナディアは伝えるつもりが無かったので軽く首を振った。そして、アキラの身体に腕を回す。普段あまり積極的には触れてこないナディアの動きが嬉しかったのか、アキラはすぐに頬を緩めてナディアを抱き返した。もうナディアの呟きに対する疑問など欠片も残している様子が無い。此処まで単純で、よく女性に騙されること無く生きているものだとナディアは少し呆れていた。
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