第183話

 昼寝をしていたアキラが目を覚ましたのは二時間後のことだった。その後はラターシャに乞われて弓の稽古を見ていたものの、彼女が休憩を取るタイミングでまた浴室に籠ってしまう。少しセーブをさせるつもりでラターシャは弓の稽古と言い出したのだろうに、引き止めることが出来たのは小一時間だけ。落ち込むラターシャをルーイが慰めていた頃、ナディア達も帰宅した。

「アキラ。いい加減に出てきなさい、夕食の時間が過ぎているのよ」

「えっ、ごめん、すぐ出るー」

 夕方遅く。四人はしばらく、アキラが自ら出てくるのを待ってやっていた。しかしラターシャのお腹が可愛らしく鳴いたところで、見兼ねたナディアが浴室の扉を叩く。勿論、誰もラターシャのお腹が鳴ったことなどアキラに伝えなかったのだが、ラターシャは真っ赤になってテーブルに突っ伏していた。

「倒れたりしないでしょうね?」

「あはは、平気だよ、でもちょっと眠いね」

「熱は~、うん、大丈夫だね」

 リコットが確認する為に頬に触れると、またアキラは条件反射で笑顔を浮かべている。本当に、女性から手を伸ばされたらそれだけで喜ぶ癖があるらしい。横目にナディアが呆れていた。

 無事に夕食を終えた後は、順にお風呂に入っていく。いつも最初に入るのはルーイだが、アキラが『魔法の実験』をしていたと言うものだからナディアは「危険は無いんでしょうね」と入念に浴室を確認し始める。不安にさせているのが自分のせいだと自覚していないのか、アキラは「大丈夫だよ」と答えて呑気に笑っていた。

「それで、今夜も籠るの? いい加減ちゃんと寝た方が良いわよ」

「あー、うん、今夜は止めておくよ」

 アキラは実験結果を資料としてまとめているらしく、手元で数枚の紙を見比べたり書き込んだりしながら、ナディアの言葉に応える。一番風呂から既に上がったルーイは、髪をリコットに乾かしてもらっている傍ら、またアキラが書き込んでいる紙を眺めていた。当然、日本語で書かれているそれの内容は何一つ、彼女らには分からないのだけど。

 ラターシャが上がってきたら、次はリコットが入浴。その間にラターシャは自分の髪を自分で乾かして、以降は二人掛かりで乾かして――と、すっかり役割が定着している。

 そうしてアキラを含む全員の入浴を終え、全員が寝支度も済ませた頃。書類をほとんど片付けたアキラが一枚だけを手に、また暦を確認し始めたので全員に妙な緊張が走る。だが無表情のままで暦と手元の紙を見比べた後、アキラは何も言わずにその場を離れ、持っていた紙も収納空間へ。「一体何を気にしているの」等と問い掛けてしまえば逆に墓穴を掘りそうで、四人は沈黙を貫いた。

「よし、そろそろ寝ますかー」

 アキラ本人がそう言い出してようやく、みんなも安堵する。しかしその安堵している様子も気付かれるわけにはいかない。努めていつも通りに返事をして、それぞれベッドへ向かう。これでようやく妙な心配も緊張も不要だと、女の子達が気を抜いたのも束の間。何故かアキラが落ち着かない。居心地が悪そうに、何度も寝返りを繰り返していた。

 ナディアは目を閉じたままで、隣のベッドの気配を窺う。

 眠れないからと言ってこのままアキラが夜の街に出てしまったとしても、明日には帰るだろう。明後日に部屋に居てもらえれば良いわけだから、それは別に構わないことだ。しかしこのまま彼女の昼夜が逆転してしまって、明日にも同様に昼に寝て、夜に出掛ける――となってしまうと少しまずい。当日にも、日中のアキラは部屋にいるかもしれないが、疲れ果てて寝ているかもしれない。その状態の彼女を無理に起こして祝うのは、どうなのだろうか。

 ベッドの中で一人そんなことを考えながら眉を寄せるナディアに、夜目の利かないアキラが気付いたとは思えない。しかし徐にアキラは隣のベッドから「ナディ」と彼女を呼んだ。

「……なに」

「添い寝して~」

 前回のようには、即答で断れなかった。眉を寄せ、ナディアがしばらく沈黙する。三秒ほどそれが続くと、耐え切れずリコットが微かに笑った声が聞こえた。もしかしたらアキラには届いていないかもしれない。それくらい、小さな声でリコットが笑っていた。ナディアの眉は一層、真ん中に寄っていく。

 誰にでも聞き取れるくらいの大きな溜息を零してから、ナディアは起き上がった。そして了承を告げないままで、黙ってアキラのベッドに移動する。断ってもどうせまたリコットが呼ばれるだけだ。更にリコットにまで断られてしまえば危惧した展開になってしまう可能性がある。彼女にとってこれは避けられぬ選択だったのだ。少なくともナディアは、そう自らに言い聞かせていた。

「わーい、ありがとう」

「いいから。もう早く寝て」

「はぁい」

 ナディアを腕に閉じ込めたアキラは、彼女の猫耳に頬擦りをしてから、音を立てずに額に唇で触れてきた。どういうつもりかは、よく分からない。ありがとうの延長なのか、それともただ触れたかっただけなのか。拒絶するほどの行為ではないが、あまり触れられてしまうのも、みんなが居る部屋では困る。様子を窺う為に腕の中からアキラを見上げたナディアは、少し目を丸めた。最後の動きからまだ数秒しか経っていないのに、もうアキラは眠り落ちていたのだ。

「……この人、添い寝をするとものすごい早さで寝るのね」

「ふふっ」

 またリコットが笑う。つい一分前まで、眠ることが出来ずにごろごろと寝返りばかりをしていた癖に、腕の中でそんな呟きを漏らしても、リコットが思わず笑い声を漏らしても、微動だにしないほどぐっすりだ。そういえば先日、リコットが添い寝をした際もすぐに寝落ちていた。

「寝かし付けるのには良い情報」

 空きベッドを一つ挟んだ向こう側からルーイがそう呟く声が部屋に落ちて、みんなが声を殺して笑う。

 何にせよナディアにも都合が良い。さっさと寝てくれれば気を揉むことも無い。それに温かいアキラの身体はナディアにも心地が良いのは疑いようが無く、彼女もアキラに釣られるようにしてすぐに眠りに就いた。

 彼女にとっての災難は、朝を迎えてからだった。

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