第182話

 夕食後、全員が入浴を済ませた後。アキラは再び浴室へと籠ってしまった。そろそろ眠る時間になるのだけど、出てくる気配が全く無い。

「朝まで居そう……」

「分かる。居そう」

 心配そうに浴室の扉を見つめて呟くラターシャとは対照的に、彼女の言葉にリコットはからからと笑う。

「頭が良いひとってみんななのかしらね」

 ナディアは何処か呆れていた。アキラは一度、何かに夢中になるとそればかりになってしまう。物語でよく見る『研究者』のような気質だ。

「どうかな~アキラちゃんだし、特殊な例って気もするけどねぇ」

 リコットも心配していないわけではないのだろうけれど、ラターシャが不安そうな分、自分は明るく受け止めてバランスを取るつもりなのだろう。なお、アキラは異常な魔力を持つものの五感は常人のそれである為、此方の部屋で会話している内容を聞き取ることは出来ない。何か特殊な魔法でも使って聞き耳を立てていれば別だろうが、懐に入れた者をそのように見張る人間でもないし、それに今は別のことに没頭しているので気にもしていないはずだ。

「それにしても急に暦の確認を始めた時はびっくりしたよ~」

「多分、関係ないよね?」

「無いと思うわね。来月の暦まで確認していたから」

 聞かれていないと思いつつも、この会話が始まると女の子達は少し声を潜めた。

「そうなるとリコお姉ちゃんの誕生日だねー。どんな計画してるんだろ」

「やめてよ怖いよ」

 来月、錆鼠さびねずの月にはリコットの誕生日がある。アキラならばこれくらい余裕をもって計画を立てていてもおかしくはない。他の者が対象になっていれば笑えもするが、祝われる側になると途端に怖い。急に身体を小さくしたリコットに、みんなが可笑しそうに目尻を下げた。

「だけどアキラちゃん、もうすぐ自分の誕生日が来るのに、暦を見て何も思わないのかな」

 彼女らにとって問題は来月のことではない。今月は翡翠の月。今日は十三日目だ。アキラの誕生日までもうあと三日。改めて暦の方へと視線を向けながらラターシャが言えば、三姉妹がそれぞれ肩を竦めた。ラターシャの誕生日をあれだけ大掛かりに祝った人なのだから文化的に誕生日を気にしないということはないのだろうに、アキラが自らの誕生日について言及する様子は一切無い。

「ま、こっちは誤魔化す必要が無くて良いけどね。ケーキは決めたの?」

「うん、昨日、ルーイと行って予約してきた」

 ルーイとラターシャがケーキの調達係を担当していた。彼女らは普段から洋菓子店をチェックするのが好きである為、連日ケーキ屋を巡っていても、むしろ本人まで同行させて好みの探りを入れても、違和感を抱かれてはいないようだ。

「食事もほとんど準備オッケー。ただ、おつまみがもうちょっとあった方が良いかなぁって考え中」

「それなら私も少し見繕ってあるわよ、リコットはどれくらい用意したの?」

 食事調達係はリコット。そしてお酒が買えるのはナディアしか居ない為、蟒蛇うわばみのようなアキラ用にお酒を準備するのは彼女だ。そして酒を売る店を回れば必然的に美味しそうな酒の肴、または店主のお勧めなどが目に止まるのだろう。おつまみの量を調整する為、リコットとナディアがお互いの現状を小さな声で共有する。

 こうして四人は、少し前からアキラの誕生日を祝ってやるべく準備を進めていた。

 基本計画は『内緒で進める』であるものの、アキラは真偽のタグを持つ。準備を進める彼女らの動向に疑問を抱いたり、本人から誕生日に気付いて「お祝いしてくれるの?」などと言い出したりした場合には、言い逃れが非常に難しい。その為、もしも本人が気付いてしまうようなら早めに認めてしまおうと相談して決めていた。

 だが、一向にその気配が無い。どうにも別のことに意識が向いていて、あまり彼女らの行動一つ一つに注意を向けていないようだ。これはアキラの『油断』であり、彼女らに対する『信頼』でもあるのだろう。相手が城の関係者なら、別のことに夢中になっている最中であっても違和感を見落としはしないのだろうから。

「ナディ姉、何か聞こえるの?」

 不意にリコットが言う。首を傾けるナディアに対し、彼女は自らの頭頂部、ナディアであれば猫耳が生えている部分をちょんちょんと指先で示した。さっきからナディアの耳が何度も、アキラが籠っている浴室の方へと向くせいだ。ようやくリコットが言った意味を理解し、ナディアが「あぁ」と小さく声を漏らす。

「逆よ。音が、何て言うか『空白』なの。消音魔法を使っているんでしょう。アキラの居る場所だけ不自然に音が消えていて、違和感が酷くて……」

「あー、そういうのもあるんだね」

 違和感を拭おうとするみたいにナディアが猫耳を自分でぐしぐし撫でている。優れた聴覚も良いことばかりではないらしい。「明日アキラちゃんに文句言おうね」と、リコットは慰めるみたいにナディアの肩を撫でた。

「さっきまで、誕生日のお祝いの話だったのに……」

 何故かアキラを責める方向へ話が帰結している。ラターシャが苦笑いと共にそれを指摘すると、三姉妹も同じく苦笑を見せた。

 そしてアキラはその夜、みんながすっかり寝静まっても出てこなくて、朝にはベッドに居た。何時に寝たのかを誰も聞きはしなかったが、珍しく朝食時も眠そうにしていた為、あまり早くはなかったらしい。

「それで結局、昼寝をするのね」

「ん~……?」

 お昼を過ぎた頃、アキラがソファで眠りかけているのを、呆れた様子でナディアが覗き込む。アキラは反応を返すが目はほとんど開いていない。その時、ふとナディアが何かを思い付いた顔で、アキラに掛かるブランケットを軽く剥いで中を確認した。眠り掛けていたアキラが、目を開けないままでフフッと笑う。

「もう、なにも、かくしてないよ~」

 一体どうして今ブランケットを剥がれたのか、よく分かっているらしい。以前はごろごろしている間にブランケットの下でこっそりと巨大な魔法石を作っていたアキラだ。疑われるのは自業自得でしかない。

 ナディアは小さく溜息を吐いて、ブランケットを再び掛けてやる。几帳面に端を整えてやってからアキラを見れば、彼女はもうすっかりと寝入っていた。

「問題は、明日以降も部屋に居るかどうかね」

 アキラの傍を離れ、みんなが囲んでいるテーブルに着いたナディアが静かな声でそう呟く。

「結構、落ち着きのない人だもんねぇ。城から呼び出しが掛からないとも限らないし」

「それはアキラちゃんのせいじゃないから、仕方ないよ……」

 誕生日は明後日だ。その日に彼女が部屋に居なければ、どれだけ入念に準備を進めようとも上手く祝ってやることは出来ない。

「とりあえず、ラターシャとルーイはこの人を見張っててくれるかしら? 私とリコットは出掛けるから」

「うん、分かった。行ってらっしゃい」

 昨夜話し合った配分で、二人は最後におつまみの準備を終えてくるようだ。アキラという奔放な人を宿に留めておけるかという課題を除き、準備は着々と進んでいた。

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