第181話

「あー、えと、何してるの、アキラちゃん」

「何って……暦を見てるけど」

 私が宿の部屋に掛けてある暦を捲っていると、何故か少し驚いた顔でリコットが振り返った。

 レッドオラムへ来たのが八番目の月、桑染くわぞめ。あれからもう二か月近くが経つ。この世界の暦表も、元の世界でもよく見たカレンダーと同じように四角い箱が均等に並べられている。人にとって使いやすい形というのは、大体同じところに行き着くのかもしれない。

 その四角を指先で突きながら、日を数える。何故か女の子達が私を見ているが、話し掛けてこないので気にしない。いち、にい、さん……うーん。

 魔力は消費してしまっても時間が経てば回復するし、眠ってしまえば更にぐっと大きく回復してくれる。ただ、夜に消費して朝一にもう全快かって言われると、消費量によってはそうもいかない。短い時間であまり消費し続けると反動にも繋がるし、出来るだけ配分を考えつつ、でもテンポよく使って行きたい。使うほど身体も魔法に慣れてくれるのでね。

 ということで、私はそのスケジュールを頭の中で組み立てていた。大きめに消費した翌日は少し控え目にするようにしたいが、魔法石を生成する以外のことも少し試したい。新しいことはやってみなければ魔力をどれくらい消費するかが分からないので、とりあえず進めてみて、余った魔力で魔法石の生成。

 よし、一先ずのスケジュールは決まった。私は収納空間から紙の束を取り出し、軽く内容を確認の上、必要な分だけを残してまた戻す。手元には六枚が残った。

「ちょっと浴室に籠るね~」

「浴室?」

 怪訝な顔をして聞き返したナディアが本当に知りたかったのは『理由』だったとは分かっているが、私は「うん」と答えてそのまま浴室へ。鍵を閉めなくても、誰も入ってこないと思う。何故なら私はお風呂に入る時もいつも鍵を閉めない。そして洗濯の時もそのついでにお風呂に入るなどの所業を繰り返した結果、私が入ると「服を脱いでいるかも」と考え、誰も開けなくなったのだ。別に好きなだけ見てくれても良いのに。まあ、今回は都合が良い。私がやりたいのは『魔法の実験』だから、安全を思えば近くに誰も居ない方が助かる。

 その後、実験に没頭してしまった私は、気付いた時には三時間も経っていた。

 おぉ。夢中になっちゃったな。一回、キリの良いところで資料をまとめつつ休憩して、魔力を回復させるか。

 そう思って切り上げ、浴室から出ると、部屋にはみんなが揃っていて、一斉に振り返った。でも私はその視線に応えない。わざと無視したわけではなくて、実験のことに頭が行ってしまって、その時には目に入っていなかったのだ。

「長かったわね、アキラ。何をしているの?」

「んー、魔法の実験」

 問い掛けてくるナディアに目もくれず、思考の端で反射的に質問に答える。その傍ら、テーブルには浴室に持ち込んだ六枚の紙と、新しい真っ白の紙を広げた。私がいまいち話を聞いていないことは分かっているのだろう。ナディアが短く息を吐いた。

「……宿のお風呂、壊さないでね」

「うん、壊したら直す」

「そういうことを言っているんじゃないわ」

 後から思い返せばナディアの指摘と呆れは至極真っ当だ。でも夢中になっている私の耳には入っていない。

 ちなみに、私が今広げている紙は全て日本語で表記している。画数が多くて面倒な単語は英語でも書いているが、いずれにせよ此方の言葉は一つも使っていなかった。研究段階で誰かに知られたらちょっと困る内容なので。

「これってアキラちゃんの世界の言葉? すっごい難しい文字だねー」

 覗き込んできたリコットの言葉に肯定すると、次々に女の子達が覗き込んできた。流石に集中が途切れ、私は顔を上げる。

「ホントだ、すごい」

「よくこんなものを覚えられるわね」

 日本語を見つめたみんなが、物凄く嫌な顔をしている。面白い。日本語を母国語に持つ私ですら、「画数が多くて面倒」と思うことがあるのだから、馴染みのない人から見ればこんな顔にもなるよな。

「この文字、何種類くらいあるの?」

「えぇ……多すぎて知らない」

 ルーイの素朴な疑問に、私は首を傾けた。確かに、幾つあるんだろうな。気にしたことも無かったな。

 ひらがなとカタカナがそれぞれ百個ちょっとでしょ、それから、確か常用漢字が二千字くらいで、漢検一級の対象だと六千字くらいだった気がする。だけど「存在する漢字」の総数は知らない。聞いた覚えがない。何万とあるんじゃないだろうか。改めて考えるほど、英語とかと比べたら日本語って鬼畜だねぇ。

 ちなみにウェンカイン王国の言語は、限られた文字を組み合わせて単語を綴るところが英語に似ている。

 英語で使うローマ字が二十六文字である一方で、ウェンカイン王国で使う文字は二十九字。文字の形状はどれも全く違うので馴染みが無く、文法についても少し英語とは勝手が違う。でも似ているところも結構ある。

 ただ、どれだけ違っていても私がそれで困ることは無い。こっちに飛ばされて以来、特に意識せず書けている。会話と一緒だ。勝手に翻訳されているような感覚。書くことも、意識しなければ勝手にこっちの言語になった。つまり意識すれば元の世界の言語――日本語や英語が書けるだけ。

 ちなみにこっちの言葉の文法について意識したのは、単なる私の好奇心。書いた後で、何処がどういう意味をしているのかを分析して時々、遊んでいた。

 さておき、ウェンカイン王国の言語がそんな感じなので、日本語の文字の多さにみんなが引くのはちょっと分かる。私にとっては母国語だから、言われた時に「そういえばそうだねぇ」と思う程度だけどね。

「ルーイ、どうかした?」

 その後も引き続き色々書いていると、みんな飽きてぱらぱらと解散して行ったのに、ルーイだけがずっと残って私の手元を見つめていた。私の問いに顔を上げたルーイは、何やら目をきらきらさせている。

「見てるだけで楽しい。全部が魔法の言葉みたい」

「ふふ。私もウェンカインの言語を見ていると、同じ気持ちになるね」

 見たことの無い形をした文字が沢山並ぶと、魔法の言葉みたいだよねぇ。ルーイの可愛い感想に、離れていた女の子達もほんわり表情を緩めていた。

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