第180話_譫言
注がれている視線の鋭さを受け止めながら、リコットはゆっくりと息を吐いた。
「……心配だよ、ナディ姉が」
ぽそりと呟いた声は小さかったが、確かにナディアの耳に届いた。しかし意味を汲み取ることが出来ずに首を傾ける。
「ナディ姉は私のこと心配してたみたいだけどさ、危ないのはナディ姉の方だと思うんだよね」
「何の話よ」
堪らずナディアが口を挟んだタイミングで、リコットは少し間を空けた。そして、ゆっくりとナディアを振り返り、困ったように笑う。
「アキラちゃんさ、本気で好きにならない方が良いよ」
二人はアンネスでそんな話をしたことがある。ナディアは最初からずっと、リコットがアキラを好きになってしまう事態を心配していた。はっきりとリコットへ忠告をしたわけではなく酷く遠回しに伝えただけだったが、リコットには確かに彼女の心配が伝わっていたようだ。けれどリコットは、その心配はナディアにこそ当てはまると言う。
「踏み込んだら、離れられなくなるよ。ナディ姉は優しいから」
リコットの言葉を慎重に受け止めてから、ナディアは口を開く。視線は、テーブルの上に落ちていた。
「私にとって何よりも大事なのはあなたとルーイよ。あなた達を守る為なら、私は……」
「それがもう、かなり絆されちゃってると思うんだけどなぁ」
微かに笑いながらリコットがそう言うと、ナディアは黙り込んだ。自覚があるのだろう。リコットやルーイを天秤に掛ける状況に追い込まれない限りアキラを見捨てることが出来ないと言うのは、明らかに『特別』であり『大切』だ。
「責めてないよ。言ったでしょ、私もアキラちゃんが大好きだから」
眉を寄せて黙り込んでしまったナディアに、リコットは優しい声でそう告げる。
「……隠し事は、アキラに踏み込む内容なの?」
「本当に聞きたい?」
「聞きたいわ。私はあなたが心配なの」
懇願するような声。真剣に見つめてくる金色の瞳。リコットはすっかり観念した様子で、少し項垂れた。
「アキラちゃんがね、『さみしい』って言ったの」
唐突に告げられた言葉にナディアは少し戸惑った顔を見せる。リコットの表情は真剣なのに、彼女の告げる言葉が冗談に聞こえて、上手く飲み込めない。
「いつのこと?」
「アンネスで、熱を出したアキラちゃんの監視役になった夜のこと」
あの日、アキラはリコットが水浴びをしている間に眠り就いていた。静かに近付いて顔色を確認した際、アキラの様子は落ち着いているようにリコットには見えた。もし苦しそうにしているなら起きて傍に付いていようと思っていたものの、そこまでする必要も無さそうだ。しかしリコットが寝支度を済ませて消灯した時、アキラが不意に「さむい」と呟いた。
「熱が出てるから、寒気があるのかもしれないって、四人部屋に予備の毛布を取りに行こうと思ったの。私のベッドが余ってたし」
アキラのシーツを引き上げ、肩まですっぽりと包んでやってから、隣の部屋に移動しようとリコットが一歩離れた時だった。アキラは再び「さむい」と呟き、そして続けて「さみしい」と言った。
「びっくりしちゃったよ。なんか、アキラちゃんぽくないっていうか、苦しそうに言うから」
アキラはいつも笑っている。少し不機嫌な表情を垣間見せても、すぐに笑みを浮かべる。元気がない場合でも、笑みでそれを誤魔化している。それ以外の彼女を知らない。怒る様子はまだ想像が出来ても、弱々しく寂しいと呟くような彼女のことを思い浮かべるのは難しい。
「でも、すぐに『そっか』と思って。アキラちゃんって、この世界に一人ぼっちなんだよね」
その言葉にナディアは呼吸を震わせた。リコットはそんな彼女を見て、また眉を下げる。アキラの痛みに寄り添うほど、きっと彼女から離れられなくなる。そう思うから、リコットはこれをナディアに打ち明けたくなかったのだ。
結局その夜、リコットは四人部屋に行くことはせずにそのままアキラのベッドに潜り込んだ。あまりに弱く見えた彼女のことが、不憫に思えて一人に出来なかったのだ。背中に寄り添い、温めるように抱き締めてやれば、アキラの様子は次第に落ち着き取り戻し、苦しむみたいな
「ラターシャや、私達のこともさ。一生懸命に掻き集めてるみたいで、可哀想になっちゃった」
この世界へと召喚されたことの文句を言う時、アキラは必ず「沢山の女の子に囲まれるはずの休暇」の話をする。まるで、その埋め合わせをするべくこの世界で女性を探し求めているのだと宣言するように。本心かどうかは、タグのような便利なスキルを持たないナディア達には判断が出来ない。嘘ではないかもしれない。しかし、全ての繋がりを断たれ、ただ一人でこの世界へと飛ばされてしまった彼女の感情は本当に、『怒り』だけだろうか。
言葉が出ないでいるナディアを見つめて、リコットが悲しそうに笑う。
「踏み込んだら駄目だよ、ナディ姉」
「……あなたもね」
そう返すナディアの声は少し弱くなっていた。本当にリコットのことを心配している気持ちもあるだろう。けれどこの話を聞いてしまう前に告げた言葉が嘘にならぬように、強がっている部分もあるに違いない。それら全てを理解しながら、リコットは優しい笑みでナディアを見つめ、「大丈夫だよ」と答えた。
「ちょっと添い寝するくらいだよ、私はね」
彼女の言葉も何処までが『本当』で、何処からが、強がりだったのだろう。
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