第179話_ナディアとリコット

「アキラちゃんの機嫌が良いのは、いいことじゃん?」

「別に、気に入らないとは言っていないわ」

 五人部屋の中でリコットとナディアがそうして話す傍らには、他に誰も居ない。アキラはまた本屋巡りの為に出掛けており、ラターシャとルーイが今日は見張りに付いて行っている。彼女らが一緒なら、帰りにケーキでも食べてくるかもしれない。あまり早くは戻らないだろう。

「侍女さんって、どんな人だろうねぇ」

 今回、城から帰って来たアキラは明らかに機嫌が良かった。ずっと会いたいと言っていた侍女との逢瀬がそれだけ嬉しかったのだろうと解釈していた彼女らだったけれど、聞けば、その侍女をいつか自分の専属として雇う約束を交わしてきたのだと言う。

「私らも会うことになるよねー」

「実現されれば、そうなるでしょうね」

 守護石まで渡してきたと話していたから、相当、気に入っているようだ。いや、気に入っているということ自体は元より承知していたものの、庇護すべき場所におらず、そのような危険な立場でもない人に『守護石』を渡す行動はほぼ百パーセントの愛情表現だろう。

「アキラちゃんは『救世主の侍女は名誉みたいだね』って言ってたけど、……そんな理由だと思う?」

 最初にそれを求めてきたのは、侍女の方だと言う。当然、それを聞いたリコット達も理由が気になったが――どうやらアキラは、それをきちんと問い質していない。しかし『多分』と前置きをされてアキラが予想したその言葉を、リコットはあまり信じていなかった。目を細め、口元に笑みを浮かべながら視線を窓の方へと向ける。角度的に宿前の道を見ることは叶わないので、アキラの帰宅を警戒しているわけでは無いのだろう。そもそも帰宅の気配ならば油断していない限りはナディアが勘付く。事実、ナディアの耳は頻りに扉の方へと向いていた。

「……どうかしらね。でもアキラ相手に『裏』を持って仕えるのは難しいわよ。余程、頭のいい御令嬢か、逆に一切の裏が無いか」

 アキラには真偽のタグがある。彼女を完全に欺こうとすれば、たった一度の嘘も許されない。そしてそんな一度の過ちが、この国の未来を左右する可能性がある。侍女はアキラのタグの能力を知っていると言う。その上でもしも彼女が企みを抱いてアキラに接してきたというなら、その一度の過ちすらも犯さない確固たる自信があることになる。

「私はちょっと、会えるの楽しみだなぁ」

 そう言うと、リコットは突っ伏すようにして上体をテーブルに預け、顔だけをナディアに向けて微笑む。その視線に応えたナディアは、溜息と共に、軽く肩を竦めた。

「少し同意するわ。不安もあるけれど」

 ナディアの抱える『不安』は、アキラに対する不安ではなく、他の三人だ。リコットやルーイ、ラターシャに害が及ぶかもしれない、という懸念。アキラがそれを見逃して許してしまうとは思わないものの、高位の貴族令嬢である侍女が、救世主の傍に居る卑しい身分の者の存在をどれだけ寛容に受け止めるのだろうか。

「大体さ、アキラちゃんを嵌められる人なら私らがどうしたって敵わないよ。深く考えるだけ無駄だね」

「それも同感」

 不安に思うだけ時間の無駄だと二人は結論付ける。アキラは彼女らを『何からでも』守ると宣言している。実際に何かあればアキラが対応するだろう。これは、正しくアキラという人に対する信頼だ。

「ところでリコット、少し前から気になっていたのだけど」

 話が途切れたのでファッション誌を開き始めたリコットだったが、ナディアは会話を続けた。勿論『ところで』と切り出しているので先程の話題ではない。ただ、先程までよりもずっと、ナディアの目は真剣だった。

「何か私に、隠しごとをしていない?」

「えー、何かって、何?」

 リコットは笑ってそう返すも、内心は『どれだろう』という気持ちになっている。ついこの間、アキラに一つの秘密を打ち明けて共有している状態だ。ざわりと騒いだ心臓がナディアの耳に聞き取られていれば最悪だが、流石の猫系獣人もテーブルを挟んだ向こう側に居る人間の心音までは聞き取れない。

「アキラを甘やかすことがやけに多い気がするのよ。時々、過剰なくらい」

 そういう話か。

 という安堵が顔に出ないように、リコットは少し大袈裟に表情を動かして、不思議と感じている顔で首を傾ける。そんな風に言われる覚えはない、という仕草だ。

「過剰かな。アキラちゃんのこと大好きだから、表現してるだけでしょ?」

「……本当にそれだけ?」

 訝しげに眉を寄せるナディアの顔をじっと見つめて、リコットは半ば抵抗を諦めるような心地で肩を竦めた。もう一人の姉とも言えるナディアのことを、不誠実にあしらいたいわけじゃない。問い詰めてくるナディアがリコットに向けているのは愛情だと理解していて、そんなことが出来るはずも無かった。

「まあ、言ってないことはある。でも隠してるわけじゃないよ」

「私はそういうことを言っているの」

「ふふ」

 真面目に指摘してくるナディアに思わず笑えば、当然、ナディアが眉を顰めた。怒られてしまわないようにと慌てて降参を示して両手を上げて見せるものの、リコットは視線をまた窓の向こうへと逃がし、出来ればこのまま誤魔化して流してしまいたいと考える。その様子を見止めたナディアが一層、表情を険しくした。

「リコット。隠していないんでしょう?」

「そうなんだけど」

 躱そうと試みても、痺れを切らしたナディアが問い詰めてくる。半端な言葉を繰り返すリコットに対して、ナディアは一度、口を閉ざしたけれど。それでも視線は変わらずリコットを観察するようにじっと見つめている。その瞳はただただ彼女に、応えることを求めていた。やはりそれを、リコットには無視ができないのだ。

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