第175話

 柔らかな腰はあまり強く抱くとひしゃげてしまいそうだ。彼女がそれだけ腕の中で力を抜いてくれている証でもあるのだけど、そんなことを感じるほどに、堪らなくて中々、腕が緩められない。このままじゃ、朝まで解放してあげられないな。昂る感情を、何とか抑え込んだ。

「ごめん、つい夢中になった。お風呂、お願い」

「……はい」

 私を見上げるカンナの瞳が既に少し潤んでいて、また情欲が湧き上がる。彼女からすれば生理的に浮かび上がった涙でしかないのだろうに、可愛くて堪らなくなる私が悪いんだよな。ついまた抱き締めそうになるのをぐっと堪えて、身を引いた。

 だってカンナにお風呂を手伝ってもらうのも、彼女の美味しいお茶を飲むのも、今夜だから出来ることだ。一つだって、逃したくはない。浴室へと先導してくれるカンナの足元が一歩だけ揺れたのは、見ない振りをしてあげた。背筋はしゃんと伸びているもんね。偉いね。

「カンナ」

「はい」

 大人しく服を脱がされながら名前を呼ぶ。条件反射で礼儀正しく返事をした彼女が顔を上げるのを待ってから、私は笑みを深めた。

「前より恥ずかしそうな顔してる」

 カンナの頬がほんのりと赤い。前回は淡々とお仕事してくれていたのに、私の肌を直視できなくて困っているようだ。

「……申し訳ありません」

「ふふ、責めてないよ。可愛いと思っただけ」

 そう言えば一層、カンナが頬を染めて俯いてしまった。だからそれが可愛いんだってば。身体を重ねてしまった間柄なので、肌を見ることに別の意味が出来ちゃったんだな。私にとっては嬉しい変化だよ。

 それでも手は全然止まらないあたり、彼女は優秀な侍女さんだ。てきぱきと脱がして、丁寧に衣服を畳んでくれた後、私を洗ってくれる。洗髪の時は落ち着いていたけど、身体を洗う時はまた不自然に視線を泳がせていた。前回も凝視してきたわけじゃなかったものの、こんなに動揺はしていなかった。我慢してお風呂も入れてもらって良かったな。こんなに可愛いカンナを見逃してしまうところだ。

 恥ずかしそうにしながらもきちんと私を洗い終え、丁寧に身体を拭いてくれたカンナに、素っ裸のままでキスを一つ。

「ありがとう。今回も服は自分で着るよ。後片付けお願いね」

「は、い」

 キスに驚いて目を何度も瞬く様子も好きだ。思わず頬が緩む。

 彼女のこの愛らしさはなんだろうな。上手く説明できない。綺麗な顔はしているが、ラターシャや三姉妹のように何処で歩いていても目を惹く飛び切りの美人、という感じじゃない。大きく表情も変わらない。だけどその分、ちょっとした仕草やほんの少し変わる表情が堪らない気持ちになる。

 さておき、ガウンはどうしても金色なんだな……。今すぐにでもカンナをベッドに連れ込みたい気持ちをやや落ち着かせてくれたよ、ありがとう。この次はお茶を飲むのでね、まだもう少し我慢だ。

 カンナは今回も片付けを素早く済ませて出てきた。いや、前よりも早かったかも?

「私との時間を長くする為に、早く済ませてくれたの?」

「……はい」

 あら、リップサービスかと思えば『本当』のタグが出てきた。この愛らしさの前では流石に我慢が出来なくて、両腕でぎゅっと抱き締め、ついでに頬に口付ける。カンナはびっくりして肩を上げていた。そういうところが一層、可愛くって仕方がない。

 とは言え、こんなことしていると本当にキリが無いので。早めに腕の中から解放して、お茶を淹れてもらう。

 やっぱり彼女が淹れると質が全然違うんだよなぁ。他の侍女さんや執事さんも淹れてくれたし、それも勿論、私が淹れるよりは美味しかったんだけど。彼女が淹れるとそれすらも越えて遥かに美味しい。

「カンナはどうしてこんなにお茶を淹れるのが上手なんだろう。優秀なお茶の先生から教育でも受けたの?」

「お褒め頂き光栄ですが、特にそのようなことは」

「えぇー」

 絶対にそういう経緯だと思ったのに外れだった。でもカンナからは当然、『本当』のタグが出てくる。えぇー。

「じゃあ、誰からお茶の淹れ方を教わったの?」

「乳母でございます」

 カンナは、四人姉妹の末っ子であるらしい。三人目のお姉さんからも六つ離れていた為、乳母は同時に複数の子を見る必要も無く、カンナには特に手を掛けて育ててくれたそうだ。お茶の淹れ方まで教わったのは、姉妹の中でもカンナだけだったとか。

「両親は私の教育にあまり熱心でなかった為、乳母の自由にさせていたのでしょう」

 彼女は末の子であり、且つ、お姉さん達と年も離れている。上のお姉さん達はとても優秀で、早くから良い家との縁談もまとまっていた。男の子が生まれればまた違ったのだろうが、四人目の女の子。家にとって必要な役割は既に姉らが充分に務めている。だから『恥ずかしい娘でなければ何でもいい』くらいの甘さで、カンナは育てられたそうだ。

「それにしては、カンナはきっちり教育が行き届いていて立派だね」

 私みたいにチャランポランにならなかったのがすごいな~と思ったけど、その言葉は飲み込んだ。カンナなら真面目な顔で否定してくれるだろうが、それはそれで逆にくすぐったい。

「両親はそうであっても、乳母は私に厳しくしていたのです。姉達が両親にとっての理想的な教育を与えられた一方で、私だけは、乳母にとっての理想の教育を与えられたのでしょう」

「それで、その教育の中にお茶の淹れ方が入ったんだね」

 頷く時、カンナは微かに目尻を緩めた。うーん、今、横顔を見つめていて良かった。こういう小さな変化を見付けるのが楽しいんだよね、この子は。

「手順は勿論のこと、お湯の温度や蒸らす時間がほんの少しでも違えば酷く叱られましたし、動作が少し遅れてしまっても、それだけでお茶の味は変わってしまうものだと、厳しく教えられました」

「へぇー、それは怖いな」

 一瞬、茶道を思い出した。あれも、手順や所作の一つ一つに気を配らなければならなくて、本当に厳しかったなぁ。私は思わず思い出して口をへの字にしていたのに、カンナの表情はいっそいつもより柔らかい。彼女にとっては大切な思い出なんだって、伝わってくる。そう指摘したら、カンナがまた少し照れ臭そうな顔で頷いた。

「乳母は厳しい人でしたが、私の目標でもございました。元々長く、王宮に勤めていた侍女だったそうですから」

「え、じゃあカンナは、自分で望んで此処で侍女をしているの?」

「はい」

 この事実には少なからず驚いた。聞けば、カンナは小さな頃からそれを望んでいたらしい。そしてそんな彼女の希望を知った、彼女のお父さん――つまり伯爵さんが、王宮の侍女を管理しているお偉いさんへと口を利いて、十六歳で此処の侍女となったそうだ。

「それで今のカンナかぁ、立派だなぁ」

「……恐縮です」

 照れて俯くのが可愛い。何にせよ、彼女は自ら望んでこの仕事に就いている。それはとても幸せなことであると思った。彼女にとって侍女職はとてもやり甲斐のあるものなのだろう。

 その話に私は何処か少し安心していた。この国に来てからというもの、自らの意志で道を選べなかった子達とばかり出会っていたせいかもしれない。私の勝手な感傷だね。

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