第172話_レッドオラム帰還

 お付きの人がお茶を淹れてくれようとしたのを断り、王様と交わした契約書をモニカに手渡した。取引が完全に終わるまでは私が保管しようと思うけど、書類を見せた方が、私の言葉よりは信じてくれそうなので! 言ってて悲しくなってきた。自業自得だが。

「……金貨、一万枚、ですか」

「妥当だと思うよ~」

 モニカと従者二人が書類を見つめながら呆然としているのを眺め、私はのんびりとそう返す。

「最初にね、『二千枚でいいんじゃない? それでも許してくれると思うよ』って言ったんだよね。そこからは絶対に下げないと思って」

 国民の命が懸かっているのに、王族がの目の前でそれを『値切る』わけがないでしょ、面子の問題でね。一万枚まで上げてくれるのも予想の範囲内だったけど、予想の中でも比較的、良い方の結果だった。けらけらと笑いながらそれを語り聞かせたら、モニカの後ろに控えるケイトラントが眉を寄せて溜息を一つ。

「歯止め役の居ないお前は、本当に怖いな……」

 人聞きの悪い! みんなにとって良い結果を持ってきたんだからちょっとくらい褒めてよ! まあいいんだけどね、楽しかったので。

 さておき二日後に支払ってもらう予定を伝えると共に、魔法陣で今回、成長促進をさせている話も伝えておいた。流石にそれを伝えないと、二日後に『結果を確認』出来ることが変だもん。そして受け取り次第、また魔道具の傍に送ると伝えたところで、ようやく冷静さを取り戻したモニカが、契約書から視線を外して顔を上げた。

「領主様にも、手数料として一部を受け取って頂きたいのですが」

「あー、ううん。君らからは要らないよ。その分も王様から貰う予定だからね。心配しなくていい、私は慈善活動なんてしない」

 はっきりと言い切れば、またケイトラントが呆れた顔を見せ、モニカは何処か笑いを噛み殺すようにして「さようでございますか」と言った。君らも私に慣れてきたな? そんな対応したら君らにも緩急を付けるぞ。こういう思考回路がもう悪癖だね。

 ただ、私の話は此処で終わりじゃないと言うか、個人的には此処からが本題だったと言うか。ちょっと気を取り直すみたいに静かに息を吸って、私は座り直す。

「今回は、君らのお陰で正直、助かった。……改めて、この間のことは詫びるよ」

 私が急にしおらしく頭を下げたから、みんながびっくりしていた。別にこれは緩急ではない。珍しく誠実な気持ちを込めている。

「何も奪う価値が無い場所みたいに言った。本当にごめん。薬草も豊富で、君らは君らなりに立派な生活をしている。全部、撤回するよ。私が間違ってた」

 この村が無ければ、この国は助からなかった。それは覆しようのない事実だ。ウェンカイン王国を救うことの出来る知識を、この村だけが保有していた。彼女らがリガール草を栽培していて私がそれを把握していたという『偶然』に、「これは使える」という打算的な考えが浮かんだのは確かだけれど、それ以外の手段というと、安全なものは一つも無かった。この村が無ければ最悪の場合、問題の森自体に魔方陣を敷くことになり、近隣の村へ魔物被害を出した可能性だってあるのだ。病気と魔物、どちらの被害の方が大きくなるかという最悪の綱引きをするところだった。

「……そういう言葉こそ、あの女性らの居るところで言うべきだろう」

 頭を下げたままの私に、ケイトラントからまた呆れたような声が降る。みんなの前で? 勘弁してよ。

「そんなの恥ずかしいでしょ」

「お前な」

 何故か更に呆れた反応をされた。一方、続いたモニカの声は柔らかく笑っていた。

「貧しい村であることは事実です。領主様がこの村の価値を見付け、価値を作って下さった。此方は礼を述べる立場でございます。頭を上げて下さい」

 モニカは私と違ってやっぱり人が出来ているよね。上に立つべきは私じゃなくて、彼女みたいな人だ。顔を上げれば優しい瞳が私を見つめていて、少し気恥ずかしい。誤魔化すみたいに肩を竦める。

 ふと見ればもう二十時過ぎ。流石に長居していい時間じゃない。用も済んだので、簡単に挨拶をして村を立ち去る。今までと同様に村から幾らか離れた場所から、レッドオラムの宿へと直接戻った。当然、すっかり夕食も終えたみんなが部屋の中でのんびりと過ごしていて――。

「あ!」

「えっ、何?」

 おかえりを言おうとしたみんなが口を開く前に私が声を上げた為、全員が言葉を飲み込んで目を丸める。

「お風呂も終わってるよね? お湯、出してあげられなかった……」

「アキラちゃんさぁ~」

 リコットが脱力した様子で笑っている。しかし私は両手両膝を床に付いて項垂れた。本気で忘れていた。種植え待ちしてた時にでも、一回帰ってきたら良かった……。いつも不在の時には出してあげられていないけれど、今回は絶対に無理だったわけじゃないのに。失念してしまった。

 ラターシャとも三姉妹とも、出会ったのは夏季に属する季節だし、今もまだまだ温かい時期だ。でもお湯が絶対に気持ちいいよ。しかし落ち込んでいるのは私だけ。みんなは可笑しそうに笑っていた。ナディアだけが長い溜息を吐いているが。

「そんなことより、アキラ、体調は?」

「ん~、平気。今回はあんまり大規模な魔法を使ってないから」

 答える間だけ床に正座をして、その後はのんびりと立ち上がってローブを脱ぐ。すぐにリコットが傍に立って、私の額に触れた。

「んー、うん、熱は無さそう」

 本当にもう信用を失ってしまったね。私の回答は本気で求められてはいないらしい。

「とりあえず私もお風呂入ってくる。あー……自戒の為に水風呂にする……」

「いやいや、お湯で入りなよ! アキラちゃんはお仕事で疲れてるんだからさぁ」

 大きな声で笑った後でリコットがそう言うと、私を引き摺るように風呂場へ連行した。そして溜めた水を私がお湯に変えるまでをしっかりと見張られた。ルーイとラターシャも、心配そうに入り口から見ていた。

 みんなの優しさに甘えて、ちゃんと温かいお風呂に入るけれど、余計に罪悪感が深まっていく。やっぱりお湯って気持ちいい。だからこそみんなを水風呂にさせてしまったことが悔しい。しかも私がお風呂を上がる頃にはラターシャとリコットが髪を乾かす為にスタンバイしてくれていて、ルーイとナディアは食堂から私の為に夕食を貰って来てくれた。うう、労いが沁みる。そしてどんどん、申し訳の無い気持ちが膨らんでいく。

 そろそろ『アレ』、本格的に考えなきゃいけないな。

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