第160話_想い人
正面で頭を下げるカンナの表情がよく見えない。私より彼女はずっと背が低いから。焦げ茶色の髪も重力に従って垂れ下がっていて、彼女の顔全体を覆い隠している。顔を上げてほしくて思わず手を伸ばしてしまった。だけどカンナは私の手が近付いた気配にピクリと震えただけで、微かにも顔を上げる様子は無い。それを見て、私は手を止めた。
そうだ、違う。侍女として此処に居る彼女は、私が触れていい人じゃない。
半端に伸ばした手を引っ込めると、誤魔化すみたいに項を擦った。
「……ごめん」
小さく呟いてから私は身を引き、そのままソファに座る。部屋に短い沈黙が落ちた後、王様が軽く咳払いをした。
「慣れた娘の方が落ち着かれるかと思い、彼女を呼びましたが」
「ああ、そう。……そうだね、カンナのお茶が飲めるなら、それは嬉しいよ」
余計なことをするなよとも、ちょっと思った。会いたくて仕方が無かった。でも手も伸ばせないのに目の前にいるっていうのが、今は少し辛い。
そんな風に思う癖に。王様の指示に従ってカンナがお茶の準備を始めたら、その香りが辺りに漂って、心を緩めてしまう自分が居る。王様は既に目的の薬草の話を始めていたが、それに耳を傾けながらも私はずっとカンナだけを見つめていた。私と王様にお茶を差し出した時に一瞬だけ目が合って、でもカンナは会釈をしながら視線を逸らして下がっていく。そんな一連の動作もしっかり見守った後で、ようやく紅茶を大事に傾ける。……飲みたかったんだよな、彼女のお茶。ああ、本当に美味しい。
「アキラ様」
「んー? あー。聞いてるよ」
私だったら「本当かよ」って聞き返しただろうと思うくらい雑にそう告げる。本当に聞いていたので。しかし王様は私の言葉を疑う様子が無いというか、そもそもその確認の為に私の名を呼んだわけですらないみたいだった。
「いえ、はい、その……今回の報酬としての女性ですが、彼女を指名なさいますか?」
この馬鹿王うるさいな。手に持っていたのがカンナの淹れた紅茶じゃなければ、投げていたかもしれない。まあ他の人が淹れてくれても紅茶を投げたりはしないが、お湯とかなら。
「願ってもない提案だけど、他にも二人居たでしょ。申し訳ないから」
「申し訳ない、とは?」
話を早く流してしまいたくて説明少なく告げたのに、王様はそんな私の心情を知らずに問いを重ねてくる。いや、本当は薄々気付いていたから、先を言わせたのかもしれない。後から思えば、そうとも考えられた。だけどこの瞬間は気付いていなかった為、面倒という感情を込めて溜息を挟む。
「私が選ばないと、あの子らに報酬は出ないんでしょ? あの子らは侍女で、元々、身体を売る為に仕事はしてない。それでも私の為に志願してくれたんだから、私が――」
「お待ち下さい」
王様は、私に向けるにしては珍しく強い口調で言った。大きな声ではなくて、『強い』声だった。私は大人しく言葉を止めて彼を見つめる。彼のその振る舞いが珍しかったことと、どうして止められたのかという疑問で目を細めたら、王様は少しだけ瞳に焦りを宿した。私が怒ったと思ったのかもしれない。
「アキラ様の御言葉を遮る無礼をお許し下さい。ですがどうか、これが『報酬』であることをお忘れにならないで頂きたいのです」
私は首を傾ける。忘れているつもりが無かった為、そう指摘される理由が分からなかった。先程と同じ表情のままである私が怒っていないのが伝わったのか、王様はゆっくりと呼吸をして焦った様子を落ち着かせていた。
「侍女から女性を募りましたのは、此方の勝手な事情です。また、複数名をご用意させて頂いたのも、アキラ様に『最も』好みに近い女性を選んで頂きたかったからであり、決して、アキラ様の御心にご負担を掛ける為ではございません」
彼らの『事情』は、娼館との取引の前例が無かったせいで、そちらから私の相手を用意するのが難しかったということだ。もし彼らが娼館から候補として三名を引っ張ってきたとしたら、私は同じように考えただろうか。そこまで考えて、やっと王様が指摘している内容を理解した。
「御心は理解いたしました。では、アキラ様の相手として志願した残り二人にも特別手当を支給いたします。勿論、お相手をする者と同じ扱いは出来ませんが、志願したという行為そのものが、アキラ様への奉仕であったのですから。これは私共の配慮が欠けていた部分です。早急に対応いたしましょう。その上で」
私は手にしていたティーカップをソーサーの上に静かに戻して、額を押さえる。
「今、アキラ様が最も選びたいとお考えの者を、お選び下さい。対象者が居なければ改めて募りましょう」
要らん、そんなもん。こいつ本当にうるさい。私は俯いたままで長い息を吐いた。
「……カンナがいい」
ていうかこれ、言って良いのか? この場に彼女は居るけれど、前回と違って志願者ではなく侍女として仕事の為に立っている。王様に促されて彼女を選んだが、彼女は選ばれる為に居合わせたわけではないだろう。私は少し慌てて、と言ってもそれを悟られぬように気を付けながら顔を上げて、腕を組んだ。
「本人が良いならね」
私がわざわざ付け足した言葉に王様は応えることなく、カンナの方を窺って一つ頷いた。彼女に返事を促したらしい。すると控えていたカンナは無表情のままで小さく頭を下げる。
「身に余る光栄です。謹んでお受けいたします」
抑揚なく丁寧に、迷いなく返ってくる彼女の声。偽りであるとタグは告げない。……なんか、踊らされている気がするなぁ。うーん、勝手に私が踊ってんのか。
はー、もう。今すぐ連れて行きたい。だけど彼女はこの後に得る報酬だからな。頭を下げたままじっとしている彼女を見つめていれば、王様がまた小さく咳払いをした。
「では、そのように。お食事の方は」
「食事は今回、遠慮するよ。多分、早く会いたくなって落ち着かないから」
今で既にこの状態だったら、会える日なんて絶対、そわそわしてる。食事中の王族との会話は何にも頭に入ってこないだろう。王様は私の返答も予想の範疇だったのか、落胆を見せることなく了承を告げた。
私がテーブルに視線を戻してお茶を傾けると、改めて王様も仕事の話を続けてくれる。私のせいで中断したのは分かっているが、特に謝罪は告げなかった。視界の端で、カンナも姿勢を戻していた。
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