第153話

 猫の耳より分厚くて大きい犬系の耳を、手の中で柔らかく揉み込む。私が触れるのに応じて、大きな尻尾がベッドを叩くようにふさふさと揺れた。

「本当に変わった人だね。そんなに楽しい?」

 私を見上げ、犬系獣人のダリアが目尻を下げる。肩がまだ上下に揺れていて、乱れていた呼吸の名残りを見せた。犬系って言うか、狼っぽいなぁ。耳と尻尾がそんな感じ。まあどちらにせよ、愛らしい。そんな思いを込めてまた、丁寧に彼女の犬耳を撫で付ける。

「楽しいって言うか、可愛いよ」

「ふふ。それが変わってるって言うんだけど」

 ダリアは笑いながらそう言った。だけどずっと尻尾がご機嫌にふさふさ揺れている。彼女はネネ同様、レッドオラムの夜に活動中の玄人さんだ。私が相手をしてもらうのはこの世界では文化的に難しいことだったけれど、以前ナディアにアドバイスを貰った通り、まずはお友達として近付いて、今夜ようやくこっそりとベッドにお誘いした次第。酷く驚いた顔をしつつも、受け入れてくれて幸いだった。

「私に触られるのは、嫌じゃなかった?」

 既に無遠慮にたっぷりと触った後で、しかも現在進行形でべたべたと可愛い犬耳を撫でながら尋ねる。今更過ぎる問いにダリアも可笑しそうにしていたものの、私の手に擦り寄るようにして頷いてくれた。

「うん。人族の相手は初めてだったけど、不思議とアキラは嫌じゃないね」

「嬉しい」

 濃いグレーの毛並みに、強気な瞳。でも笑うとすっごく可愛い。素敵な子を捕まえられて大満足だよ。

「普通は人族に誘われると、まさかって思って警戒しちゃうもんだけど……なんかアキラってそんな感じが全然ない。この人、本当に変わってんだろうなーって」

「あんまり褒められてないねぇ」

「ふふ」

 じゃれるついでにダリアの犬耳を甘噛みしてやった。ダリアはそれを嫌がる様子無く、声を上げて笑う。続けて尻尾が音を立ててベッドを叩いた。こういうのはむしろ好きみたいだ。嬉しそう。その癖、口では「本当に物好き」って呆れたみたいに言う。

「でも種族を越えて交わる時は、病気とか気を付けなよ。アタシらは人族が持たない菌も持ってるから」

 あー。なるほど、そういうことか。だから本能的に、性的な接触をしないんだね。リコットは「なんでだろ」って言ってたけど、彼女には寝食を共にしてるナディアが居るから、ちょっとそういう感覚が薄いんだろうな。

 さておき私は別に大丈夫だと思う。何かあったら解毒とか回復魔法でどうにでもなるもん。――と、ダリアには説明できないので、「本望だねぇ」と適当に返したら大ヒットしたらしく、ダリアはお腹を抱えて笑っていた。

「それと……もしかしたら、この匂いがアキラへの警戒は緩めてるかもね」

「匂い?」

「うん。アキラにた~っぷり付けられてる、『猫系獣人』の匂い」

「うぇ」

 ナディアさんの匂い? 付いてんの? 目を丸める私を見ながら、ダリアが目尻を下げる。ちょっと意地悪な微笑みだ。

「これだけ懐いてるが居るなら、獣人族に害をなす人じゃない――ってね」

「私が一方的に愛してるだけで、ちっとも懐いてないけど……?」

 悲しい告白をする羽目になってしまった。けれどダリアは、それでも笑っていた。

「じゃあこんなに匂いは付かないよ。獣人族ってのはね、好きな人には特に沢山付けてしまうもんなの」

「好きな人ぉ……?」

 ピンと来ないが過ぎる。首を傾げながらナディアを思い返してみるけれど、ううん、いやあそれは無理があるよ。難しい顔をするばかりの私を観察するみたいに見つめた後、ダリアは私に擦り寄って、それから上に乗っかった。

「アタシが上書きしたら、どんな顔すると思う? ふふ。次に会う時、教えてね」

「えぇ~、わはは、くすぐったいよ」

 耳や尻尾を擦り付けられたり、柔らかい舌であちこち舐められたりした。この時の私は「何にもないでしょ、だってあのナディだよ」って気持ちだった。勿論、帰る前にはきちんとお風呂に入ったし、着替えもした。宿に戻ったのは朝方だったものの、朝食には間に合っている。私が部屋に帰った時、もうみんな起きて着替え中だった。

「ただいま~」

 口々におかえりを返してくれる中、ナディアが何も言わないのはよくあることで、気にしていなかった。ただ、今日は何故か部屋に入り込んだ私をじっと見つめながら、眉を寄せている。私は一瞬だけ時計を確認した。帰ってくるの遅くなかったよね、と確かめたのだ。それ以外、怒られそうな点が思い付かなかった。

「……犬?」

「え」

 すぐに視線をナディアに移す。彼女の言葉を反芻して、睨み付けるようなナディアの視線を見て、ようやく私の中でダリアの『どんな顔すると思う?』って言葉が紐付いた。背中に冷たい汗が流れていく。

「いや、まあ、犬系の獣人さん……」

 無言でナディアは私の服を見下ろして険しい表情を深める。え、どうしよう、なにこれ。とりあえずリコットを振り返ってみるが、彼女も「さあ何だろうね分かんない」と言わんばかりに肩を竦めていた。

「上着を」

「ん?」

 徐に、着ていたジャケットを引っ張られる。ナディアは私の顔を見ようとしない。ずっと上着を見ている。

「脱いで」

「え、今から朝食」

「早く」

「はい分かりました」

 圧が強くて怖かったので大人しく脱いで引き渡した。受け取ったナディアは流れるような動作でそれを袋に詰めて、部屋の端へと放り投げてしまう。えぇ……。

「洗濯したら返すわね」

「あ、はい……え?」

「朝ご飯に行きましょう」

 私の戸惑いを無視して、ナディアはそのまま足早に部屋を出て行ってしまった。私だけじゃなくて、三人も呆然とその背を見送る。

「えーと、犬系の匂いがダメなのかな?」

「いや~どうだろ。犬は苦手なはずだけど、犬系獣人に強く当たるのは初めて見たよ。同僚にも客にも結構居たけどね~」

 リコットは、私の問いに首を傾けつつもそう答えて、そして、ナディアを追うようにして出て行った。朝とは言えナディアを一人にしないようにって思ったのかな。ルーイとラターシャはまだ心配そうな顔で、私と扉を見比べる。まあ、立ち尽くしていても仕方がない。二人を促して、私達も食堂へと下りた。なお、上着を取られた私はシャツ一枚です。まあ、肌寒いほどの気温じゃないから、良いんだけどね。

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