第123話_幕間(カンナ)1

 救世主が報酬として女性との一夜を要求し、その相手にカンナが選ばれた話は、侍女の間では広く知れ渡った。直属の侍女長にはカンナが報告しているし、当日も同僚らに協力を得て身を整えなければならないのでその範囲に知られるのは理解できる。だが、実際は別の部屋の侍女らにまで広がっている。どうやら選ばれなかった他二名が、侍女仲間に話してしまったようだ。選ばれなかったのが悔しかったのか、または嬉しかったのか。それともどちらでも無いただの世間話だったのかは分からない。誰が選ばれたかという点は箝口令が敷かれたわけでもなかった為、大っぴらに責めることでもない。しかしそのような話が無為に広まったことに、直属の侍女長は「品の無いことね」と言って渋い顔をしていた。

「あの、カンナ、大丈夫……?」

「はい?」

 救世主との夜を終えた翌日、カンナは休暇であり、勤務はその更に翌日だった。夜を過ごした後、救世主がいつ帰るのかが確定していなかったこと、そしてカンナの心身の調子を心配した侍女長による配慮である。何にせよ、あの時この城で働く者ら全員に出ていた城からの指示は『全てにおいて救世主様が優先』であり、たった一人で救世主と過ごすことになっていたカンナへの過剰なほどの配慮も、当然と言える。

 さておき、周りの心配や配慮を他所に、何事も無かったかのように勤務しているカンナへ、同僚は堪らずに問い掛ける。しかしカンナには意味が伝わっておらず、首を傾けていた。周りに居る他の侍女らも息を潜めてカンナの反応を窺っている。

「大丈夫、とは?」

「え、っと、その、先日は救世主様のお相手だったでしょう? 辛い目には遭わなかった? 体調は?」

 カンナを見つめる同僚の目は、何処か悲しそうな色を含む。この同僚は未婚ではあるものの婚約者が居て、今回、志願することが難しい立場であった一人だ。侍女でありながら娼婦のような役目を得たカンナのこと、そしてそれを代わってやれない立場であったことにも、酷く心を痛めているらしい。――実際、王城ではなく他の貴族らの屋敷であれば主人などに娼婦のように扱われる侍女自体は稀ではないのだが、今まで身近に無かっただけに、彼女らにとっては当たり前ではない『傷』に思えるのだろう。けれど、カンナはしっかりと首を横に振った。

「いいえ。とても優しい御方でした。体調にも問題はありません」

 カンナの様子が本当にいつもと何も変わりないこと、そして本人が明確にそう答えたことに、聞いた者だけではなく周りの侍女らもホッとした顔を見せる。気遣わしげな表情が完全に晴れることは無いものの、少なくともカンナが酷く傷付いたり、落ち込んだりしている状態でないと確認できて、安堵したようだった。

 召喚された救世主が城に留まらなかった件は、当初は上層部しか知らなかったが、今は侍女らも知っている。関わる可能性が出てきたからだ。しかしアキラが『救世主』であることは、一切の口外を許されていない。家族にすら伝えてはならないこととなっていた。救世主に協力を取り付けられず逃がしてしまったと広まってしまえば、国が揺らぐ。救世主とは、この国にとってそれほどの大きな存在だ。

 とは言え、侍女らに伝えられる頃にはアキラも『協力者』として繋がりを保てるようになっていた為、侍女らの救世主信仰はさほど揺らいでいない。『尊い御方』の『深いお考え』という解釈に近かった。

 結局、カンナが同僚らに救世主について問われたのはそれきりのこと。

 流石に夜の詳細などを不躾に問うほど恥知らずな者は、上位貴族の娘には居ない。各々、与えられた仕事をすべく、配置に就く。カンナは夕方に予定されている客人用に、茶器の準備をしていた。

「――あなた達、カンナが何処に居るか知らない?」

 そこへ、急に入り込む侍女長の声。部屋の作りのせいで、入り口からカンナの姿が見えなかったせいだろう。何処か焦ったような声に、カンナも急ぎ、声の元へと向かった。

「はい、私は此方に。侍女長、何かございましたか?」

 カンナを見付けた侍女長は複雑な表情をしていた。すぐに発見できたことの安堵であるようにも見えるし、未だに何かを焦っているようでもあり、そして、心配そうな、先程の侍女らと似た表情であるようにも見えた。

「すぐに私と一緒に来なさい、急ぎ対応をお願いしたいことが」

「はい。……申し訳ございません、茶器の準備が途中ですので、どなたか」

「そちらは私が対応するわ、大丈夫よ」

「お願い致します」

 侍女の内、誰かが唐突に上から呼び出されることは珍しくない。彼女らはそもそもが上位貴族の娘であり、その関係者が来た際に対応を申し付けられる場合もある。そうでなくとも、突然の来客に対して数名が呼び付けられることもある。だが、カンナに関してはタイミングが今日であっただけに、救世主に関することだと誰もが予想していた。

「侍女長、対応とは?」

「……よく分からないの。国王陛下があなたを呼ぶようにと。何か覚えは?」

「いえ、何も」

 救世主と一夜を過ごした者として「何か覚えがあるか」と問われれば、知らぬところで無礼をしたのかもしれないと思う程度で、『あの無礼だ』と思い至るものはカンナには全く無かった。救世主と関わること以外ならば更に何も思い付かない。カンナは侍女らの中でも特に問題を起こすことなど考え難い、生真面目で実直で、仕事の上でもミスの少ない者だ。誰よりもそれを知る侍女長も「そうよね」と答えるが、国王陛下に呼ばれているという状況への緊張が隠しきれていない。

「失礼いたします。カンナ・オドランを連れて参りました」

 陛下と謁見する場としてよく使用されるのは玉座の間だが、あれは正式な謁見の場だ。カンナが連れられたのは執務室だった。侍女長と共に入室し、揃って頭を下げる。

「突然、呼び出してすまない。先日、アキラ様の相手をしてもらったカンナ・オドランに間違いないな?」

「はい。間違いございません」

 許可を得るまで、頭を上げることは叶わない。侍女長とカンナは、陛下の御顔は勿論、傍に控える他の者へも視線を向けることなく俯いていた。見えないところで彼らがさわさわと動く気配に、二人は緊張を強めていた。

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