第121話_レッドオラム帰還
女の子と過ごした夜の翌朝は、出来れば先に目覚めたい。眠る子の寝顔を見ているのが好きだ。夜を過ごした後は寝顔を見る権利があるように感じて、特別だから。
この寝室はレッドオラムの宿ほど、朝の光が入り込まない。カーテンが上等で分厚いのもあるだろうし、窓が少し遠いのもある。だから眠るカンナを見つめる為には少し光は頼りない。けど、こんな状況も悪くない。薄闇の中でも彼女の肌は際立つほどに白いんだってことを知るのも、暗さに目が慣れるまでただ彼女を見つめている時間も、このベッドの中だから得られるもの。
顎の下くらいで切り揃えられた、艶々とした焦げ茶色の髪を優しく撫でる。お仕事柄、そんなに自分のことに手を掛けられないかもしれないのに、流石は貴族のお嬢様。少しも傷んでいる様子は無い。そういえば指先も全く荒れていなかったな。爪もピンクで可愛い。ちょんと指先で突いてみるけれど、まだ起きる様子が無かったから、無遠慮に腕の中へと引き寄せる。起きない。
カンナは小柄だから腕にすっぽりと収まる。いつも一緒に行動している子達はみんな一六〇センチくらいあるのでちょっと新鮮。いやルーイはもっと小さいけれど。カンナは何センチくらいかな。一五五センチくらいか。もうちょっと小さいか。何にせよ愛らしい。
頬や髪を撫でていても起きる気配の無かったカンナは、私が抱き直して額に口付けを落としたところで、ゆるゆると目を覚ました。
十秒くらいは寝惚けていて状況の把握が出来なかったみたい。しかし覚醒と共に彼女はサッと青ざめる。
「も、申し訳ございません」
「ん?」
「お時間は……」
「あはは、まだ早いよ、慌てなくて大丈夫」
寝坊したと思ったらしい。だから笑ってそう告げたんだけど、カンナは安心した顔をしない。
「あの……よく覚えていなくて……最後、その、アキラ様に身体を、清めて頂いたような」
思考がクリアになるほどに色々と思い出してしまうようだ。大反省会を開始しようとしている彼女を宥める為、背中をのんびりと撫でる。
「うん、綺麗にしたよ。申し訳ないとか言わなくていいよ、後のお世話するの好きだからさ」
「ですが本来は、私が」
「まあまあ、私の為だと思って我慢してよ」
少し強く抱き締めて彼女の言葉を遮る。実際、私は終わった後に女の子の身体を綺麗にして服を着せてあげるのが大好きだ。それから寝かし付けるのも好き。だから例えカンナのお仕事だったとしても、それは私も奪われたくないのです。カンナは腕の中で短く沈黙してから、「ありがとうございます」と弱く呟いた。心から納得したわけじゃないものの、私の主張を受け入れてくれたって感じかな。
「もう、行かれるのですか?」
「うーん、もうちょっとしたら」
レッドオラムで待ってるみんなが朝食に行く前には帰らなきゃいけないからなぁ。まだ彼女らが起きる時間でもないので、余裕はあるけどさ。
「朝食は此方ではないのですね」
「うん、王様には誘われたけどね、お断りした」
朝食が気にならないわけじゃないけど、今回はいいや。また今度ね。
帰ることに少し思考が傾いた時、腕の中の体温を放し難いと思った。そして同時に、昨夜ベッドに入る直前に味わった香りのことを思い出した。
「ああ、でも、……カンナの淹れたお茶を飲んでから帰りたいな」
美味しかったんだよな。
私の言葉にカンナは一瞬きょとんとした後で、淡く微笑んで「畏まりました」と言った。笑みを見せてくれたのは初めてだ。暗がりの中だったのは勿体なかったけれど、この滞在の、良い土産になったかな。
もう少し微睡んでいても良かったんだけど、お互い起きちゃったし、お茶飲みたくなっちゃったから起き上がる。のんびりと私が身支度をする間に、カンナは素早くお茶の用意をしてくれた。仕事のできる侍女さんだこと。
「んー、やっぱり美味しい。お茶を淹れるの上手だね」
「恐れ入ります」
朝起きた時にこんなお茶があったら幸せだな。この王城に生きる奴らが妬ましいね。
急いで飲むものではないけれど、冷めてしまうのも勿体なくて。優雅な早朝ティータイムは二十五分で終了した。
立ち上がってジャケットを手に取ると、すぐに傍に立ったカンナが柔らかな動作で私からジャケットを奪い、着せてくれる。「ありがとう」を言うついでに、小柄な身体を引き寄せて腕に抱いた。
「これはサービスを要求しすぎなのかな」
私が城へと要求したのは、一晩だ。それを終えた朝、私が帰る寸前にまでこうしてスキンシップを求めるのは過剰なのかもしれない。だけどカンナは短く「いえ」とだけ返事をして、腕の中で大人しかった。
「また、次があると良いな。……カンナに好い人が出来ちゃったら、仕方が無いけどね」
「私には、もうそのような予定は……」
「そんな風に言われると、期待しちゃうよ」
一応、私なりに逃げ道を用意したんだから。これきりにしたいと思うなら、相手が出来る予定は無いなんて、言っちゃいけないのに。頬を撫でて上を向かせれば、カンナは薄い茶色の瞳でじっと私を見つめ返す。
「可愛いな、連れて帰りたい」
思わず零れた言葉に、カンナが微かに驚いた様子で目を丸める。
でも城の侍女を攫ったら流石の王様も怒るだろうな。しかも侍女の中でも比較的、位の高い伯爵家のお嬢様だ。揉み消してもらえる範囲に収まるとは思えない。こうして腕に抱けただけ、幸運だった。名残惜しい気持ちをぐっと飲み込んで、最後に頬へと触れるだけのキスを一つ。
「ありがとう、またね」
カンナを腕の中から解放して、数歩下がる。このままレッドオラムの宿へと転移するから、門までの見送りは不要だと告げれば、元より話を聞いていたのか、カンナはただ静かに了承を示して頷いた。
「私の転移魔法は見た目が怖いんだ。三秒くらい、目を閉じていて」
「いえ、お見送りさせて下さい」
彼女にしては頑なな声でそう言って、目を閉じようとしない。まあいいか。その後カンナは本当に最後まで、私から目を逸らそうとしなかった。初めて見た時と変わらない、冷静な表情で、黒い沼に飲まれていく私を見送ってくれた。
レッドオラムの宿に着くと、部屋から出ようとしていたナディアが足を止めて振り返る。みんなの気配は廊下にあって、多分もう今から朝食に下りようとしていたのだろう。彼女はまた匂いで私に気付いたらしい。
「……アキラ、朝食は?」
ナディアはおかえりと言おうと一瞬唇を動かして、だけどその言葉を飲み込んでから、そう言った。廊下をちらりと窺ったので、部屋の中へ告げる「おかえり」の異質さに気付いたのかもしれない。みんなも立ち止まった気配がする。
「まだ。私も一緒に食べる」
軽く頷いて先に廊下へ出たナディアを追って部屋を出れば、半端な場所で立ち止まったまま待っていたみんなが、私の顔を見てホッとした様子で笑っていた。
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