第67話_雨

 レッドオラムに到着するまであと二日程度かなと思ったところで、今日は激しい雨だった。思い返せばこんなにしっかりした雨に見舞われるのはこの世界に来て初めてのことだ。緑豊かな世界を見る限り、雨は当然降ると分かるけど、何だか変に感動してしまった。

「ラター、ちゃんとローブ着てて~」

「え、でも私、そんなに寒くない……」

 雨のせいもあっていつもよりも気温が低いから、全員にローブを渡していた。だけどラターシャだけは、雑に腰辺りに巻き付けるだけで両肩を出している。どうしていつも肩がむき出しなんだこの子は。

 幌馬車の中は密室ではないし、馬車の速度に応じて冷たい風が吹き込んでいるはずだ。もちろん、普段以上に徐行しているからそんなに激しくはないけれど、三姉妹が大人しく羽織っているのを見る限り、肌寒いに違いないのに。

「本人が大丈夫と言うのだから良いでしょう。本当にあなたは過保護ね」

 ナディアにまで苦言を呈された。何故だ。おかしい。心外だ。女の子は身体を冷やしたら駄目なんですよ。

 しかし、確かに寒くないのなら着たら暑いかもしれないし、そうすると汗をかいて変に冷えるかもしれない。少々納得は行かないものの、軽く唸ってから「それならいいけど」と返し、「各自冷えないように気を付けて」と付け加える。リコットがちょっと笑っていた。別に私は過保護じゃない。大事にしているだけです。

「アキラちゃんは寒くないの? そこ濡れない?」

「あはは、大丈夫だよ、ありがとうルーイ」

 優しい子が心配そうな声を掛けてくれた。馭者をしている私の頭上に屋根は無く、本来なら正面からもざばっざばに雨が掛かるに違いないのだけど、それはほらファンタジーだから魔法でね。今日も元気に幌馬車を引いてくれているサラとロゼも雨に打たれてほしくはないし、私と二頭をまとめて魔法の防御壁で囲って雨だけは防いでいた。そのようなことを背中側に向けて説明したら、馬たちが濡れていないことを視認できたのか、みんなが感心している。

 だけど地面も濡れて重たいだろうし、今日は休憩多めで進んだ方が良さそうだね。サラとロゼが体調を崩してしまったら大変だ。そんな風に思っていたのだけど。

「こらこらロゼ、跳ねたら危ないよ」

 二頭、何だかちょっと楽しそうなんだよね。水遊びでもしてる感覚なのかな。笑いながら注意するけれど、本人はブルルッと機嫌よく鼻を鳴らして応えている。伝わってなさそう。ロゼに釣られてサラも軽く跳ねるから笑ってしまった。これは私が笑うからダメなんだな。でも可愛いんだから仕方ない。やっぱり今日の休憩は早めにしよう。遊んでるからきっといつもより体力を消耗するよ。

「――それってアキラちゃんの世界の唄?」

 不意に背中に掛かったリコットからの声。いつの間にか鼻歌を歌っていたらしい。

「うん、そうだよー。あ、子守唄もあるよ、歌う?」

「どうして寝かせるつもりなのよ」

「えー、そんなつもりじゃなかったけど。ナディは子守唄で寝ちゃうの?」

 煽ったら返ってこなくなった。きっと無言で私の背中を睨んでいるんだろうな。思わずくすくすと声を漏らして笑えば、それを追うみたいにリコットも笑って、余計な言葉を付け足した。

「二人って何でそんなに仲良いの?」

 それ言う度にしばらくナディアが口利いてくれなくなるから止めてよ。そろそろわざとでしょ。

 案の定ナディアの声は聞こえなくなり、気を遣ったのかラターシャとルーイが違う話題に変えていた。私はそんな彼女らの会話を邪魔しないように、ごく小さな声でまた続きを歌う。サラとロゼの耳がぴくっと動いて、また楽しそうに跳ねている。この子達には小さくても聞こえるらしい。もしかしたらナディアにも聞こえているのかな。

「今日、アキラちゃんちょっと元気ないね」

 お昼になったから馬車を止め、普段より長めの休憩を取ろうかって話をしていたら不意にルーイがそう言った。

 みんなが目を丸めて、私とルーイを見比べている。鼻歌を歌うくらいだから逆にご機嫌にも見えるはずなのに。子供とか動物って心に敏感だよね。さっき世話をしたサラとロゼもやけに私に擦り寄ってくるなぁって思ってたんだ。あの子達もきっと気付いているんだね。

「雨が嫌いなんだー。早く晴れてくれたらいいねぇ」

 殊更ニコニコと笑いながらそう返すと、ナディアが軽く眉を顰める。みんなにそんな顔をしてほしいわけじゃないんだけどな。ルーイの頭をよしよしと撫でるだけで会話を終えると、昼食を作るべくかまどに向かう。湿度はあるが問題なく火は起こせそうだ。まあ、私は乾燥させる魔法も使えるので、必要な場所には魔法で対応しているんだけどね。

「今日はミネストローネ風スープにしようかな。リコ、ナディ、お野菜洗って~」

 水を入れた桶と、使いたい野菜をぽんぽん取り出して渡すと、私が呼んだ二人はちょっと慌てた様子で受け取って、何も言わずに洗い始めてくれた。

「皮も剥くんでしょう? ナイフも出しておいて」

「はーい、気を付けてね」

 調理台代わりに出したテーブルの上に、まな板とナイフを取り出す。私はこういう時、大体ナディアとリコットにお手伝いをお願いする。ラターシャとルーイはそんな二人を手伝う形で入ってくる。私に直接聞いても「大丈夫だから座ってて」と言われることを二人は学んでしまったのだ。こんなんだから私は過保護と呆れられてしまうのだろうか。

 そりゃラターシャは病気のお母さんを看る為にほとんど家事をしていたと聞いているし、ルーイだってあの屋敷の家事全般を熟していたそうだから、上手にお手伝いが出来ることは分かっている。でも今まで余分に頑張っていた二人には、過度なくらいのんびりしていて欲しいと思うのだ。よし、食後にはご褒美に温かいココアを淹れよう。

「だっ、あちぃ」

「え」

 そしてみんなを気にするあまりに自分の手元が疎かになるという。だから雨の日は嫌なんだ。別に関係ないけど。

 ラターシャがすぐに気付いて私を振り返っていた。何事も無かったように微笑んでおく。大丈夫、ちょっと鍋の変なとこに手が当たっただけ。みんながそれぞれ私の様子を窺うような目を向けていたのにも気付いていたが知らないふり。とりあえず間抜けを繰り返さぬよう、手元には集中した。

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