第66話_アンネス西平原

 翌朝、予定通りにアンネスを出発した私達は、順調に馬車を走らせた後、お昼頃に平原のど真ん中で停車する。お昼ご飯は今朝アンネスで買ってきたお弁当があるし、馬のお世話もみんなが率先してやってくれている。つまり私のやることは特に無くて、ぼーっと空を見ていた。

「アキラ?」

 不意にすぐ傍でナディアの声が聞こえて、上に向けていた頭を下げる。私は馭者台に座っていた為、見上げてくる彼女はちょっと遠い。

「ん? どしたの」

「こっちの台詞よ。そんなところで何をしているの?」

「休憩……?」

 以外に何をしているように見えたんだろうか。そんな気持ちで疑問符付きで返したら、どうしてかナディアが溜息を吐いた。そして「上がって良い?」と聞くので、手を貸して隣に上がらせてあげる。

「これ、意外と浅いのね……前に落ちそう」

「あはは、支えてようか?」

「大丈夫よ、別に今は、揺れるわけじゃないから」

 そう言いながらもナディアの尻尾はちょっと怯えて丸まってるよ。まあ彼女がどんなに間抜けに落ちても魔法で浮かせて怪我なんかさせないけどさ。

「みんなは?」

「もうご飯も食べ終わって、ラターシャは弓の稽古中。リコットとルーイは、サラとロゼに構っているわ」

 唐突に登場したサラとロゼというのは、私が命名した馬二頭の名前だ。可愛い牝馬達です。

 全員、ほんの少しだけ馬の世話はしたことがあったみたい。ラターシャはエルフの里で。三姉妹も、馬車移動中に組員から指示された時に。

「で、ナディは退屈になったの?」

「だから……」

 ナディアの声のトーンが落ちる。苛立っているみたいな、呆れているみたいな声だ。何だろうと思って首を傾ければ、それを見止めて何故かナディアは更に脱力している。

「あなたがそこから動かないからよ。みんなも気にしていたし、代表で私が様子を見に来たの」

「おお」

 いつもは馬車の近くに並べた椅子の一つに座り、コーヒー片手にみんなを眺めているから、今日に限って変な行動をしたことで心配されたらしい。みんな優しいねぇ。

「普通に元気だよ。やることが無いと一気に動くの面倒くさくなるなーって。あと、ちょっと考えごとしてただけ」

 二頭を馬車から外して木陰に移動させた以外には本当に何もやることが無くって、何となく馭者台に戻ってしまったのだ。いつもはご飯を作った名残りで、かまどの傍に居るんだけどね。

「お弁当は食べたんでしょうね?」

「あはは、勿論。ほら、空っぽでしょ」

 中身の無くなった紙製の容器を見せるとようやく納得してくれたものの、目はまだ何かを疑っている。瞳以上に私を注意深く窺うみたいにこっちを向いている耳が可愛い。思わず手を伸ばして撫でたら、眉を顰められた。ラターシャならこれで笑ってくれるのに……。

「心配し甲斐の無いひとね。考えごとって何?」

 あー、そういうのも気になるのね。やんわりと私の手を払ったナディアの耳が、撫でられた感触を振り払うみたいにピピッと左右に動く。「んぁ可愛い!」って声が出そうになったのを慌てて飲み込んだ。見蕩れたせいで質問を忘れていたが、睨まれたところで思い出し、「ああ」と間抜けな声を漏らした。

「まとまってないから、上手く話せないな。うーん、漠然とした、不安? 前にナディも言ってたね。やっぱり情報が足りないせいかな」

 立て続けに話題に出てきた『魔法陣』。どちらも魔物を増やしたり、活性化させたりしていて人間には酷く都合の悪い話だ。実行犯は一体誰で、何の目的があるのか。単純に考えれば魔王側。しかしそれにしては、やり方が回りくどい。何故、武力で人間を殺しに来ないのだろうか。ウェンカイン王国の内部に誰にも知られずに侵入していて、エーゼンについてはあんなにも大きな魔方陣を張っている。術者の魔力は間違いなく強い。直接手を下せばもっと話が早かったはず。違和感が強すぎて、気持ちが悪かった。

「もう少し、情報を集めてくれる協力者が必要だなぁ。私はあんまりにもこの世界について疎すぎる」

「……それが昨日会っていた『友達』なの?」

「鋭いね。大体、正解。……そうなってくれたら良いと思って撒いた『種』って感じかな」

 冒険者って立場からの声はかなり鮮度が高くて現場に近いはずだ。一先ずは私を信用させて、有用だと思わせる。渡した布製魔法陣が上手くいけば、城と同じく広く魔方陣などの処理に対応してくれる人員の一人にもなってくれるかもしれない。そして彼を起点にして、他の冒険者にも広がってくれれば言うことは無いが、それにはおそらくガロの言っていたことが強烈なネックになる。

「魔術師って、基本、平民に冷たいの?」

 ガロは、話も聞いてもらえないと言っていた。布製魔法陣を作れる人間が冒険者にそれを与えない、または途方もないほどの高い値を付け始めたら、広げようがない。となると全部、私の負担だ。ナディアは突然の質問に少し目を丸めてから、首を傾ける。

「どうかしら……私は真っ当に魔術師として働く人とは話したことが無いから分からないわ。だけどそれを『貴族』に言い換えたとしたら、その可能性は高いと思うわよ」

 賢い回答だと思った。以前、彼女らは魔術師に貴族が多いということも話してくれた。それを加味すれば、大半の魔術師は、平民に冷たいことになる。

「貴族様は盗賊や強盗にも狙われやすいから、変に接触を図ってくる平民を警戒するのは分からなくもないのよ。だからって頭ごなしに、平民全てが犯罪者か物乞いだと疑われても腹立たしいわよね」

「あはは。すごく分かりやすいよ、その説明」

 なるほど、なるほど。

 確かにそう言われてみれば貴族を単純に嫌悪するのも可哀相だな。彼らの中には、そうなってしまっても致し方ないような経験をした者も居るのだろう。

「うーん、色んな種類の障害が色んな場所にあって、どうにも水が流れない感じ。優先順位を考えて少しずつ動かないと、最後には雁字がんじがらめになりそうだよ。めんどくさ~」

「……危機感があるのか無いのか、あなたってよく分からないわね」

「えー」

 私の言い方が呑気に聞こえるらしい。まあ、変に不安を与えるような言い方になっていないならそっちの方が良いよ。安心させる才能が無い上に、不安にさせる才能があるとしたら最悪だからね。

 さておき、ナディアがわざわざ私の様子を見に来てくれたのも、こんな曖昧な話に付き合ってくれたことも、すごく嬉しかった。

「心配してくれてありがとね、ナディ。ところで今夜どう?」

 嬉しい気持ちを表現するようなつもりで誘ってみれば、ナディアは立ち上がって「そういうところよ」と低く呟き、馭者台を下りて行く。背を向けた拍子に尻尾で頬を叩かれたが、そんなの私にはご褒美でしかなかった。新手のお誘いかな?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る