第68話_逃避

「腕のところ赤くなってるよ、アキラちゃん、火傷したの?」

「ん? おー、ほんとだ」

「本当だじゃなくてさー。治癒しなよー」

 昼食中、ラターシャとリコットに指摘される。見れば本当に少し赤くなっていたが、そんなに大層な怪我でもない。別に痛くもない。「んー」と生返事をしながら力作のサンドイッチを頬張る。自分の味付けは美味しいなぁ。

「アキラ、みんなが心配しているでしょう」

「お腹いっぱいにならないと魔法が使えない!」

「どうしてそういうバカみたいな嘘を吐くの」

 嘘は嘘なんだけど、そこまで冷たく言わなくても良くないですか。まあ今まさに雨を防御壁で凌ぎ、且つ結界を張って魔物が周囲に寄り付かないようにしている状態で魔法が使えないってどの口が言うんだって話なんだけどさ。しかしナディアの鋭い指摘を聞く前にまた口いっぱいにサンドイッチを頬張ってしまったので答えられない! って思っているのが顔に出ているんだろう。ナディアは私を一瞥して、また呆れた様子で息を吐いた。

「こんなに下らない理由で、私にも回復魔法が使えたら良いのにと思う日が来るなんてね」

「んん?」

「だから、こういう時にあなたを押さえ付けて治癒できたらって」

「あ、そうじゃなくて」

 何か不穏なこと言われた気がするけど、今ちょっと私の頭の中はそっちじゃなかった。

 手に持っていたサンドイッチをお皿に置いて、両腕を組む。「アキラちゃん?」ってラターシャが声を掛けてくれたのは耳に入っていたのに、その時は頭に入ってこなかった。

 徐に右手を前に出してきゅっと拳を握る。その中に魔力を集中させれば、ひと欠片の魔力の結晶が生まれた。作ったそれをテーブルに転がすと、みんながぎょっとした顔を見せる。

「魔法石ってこんなに簡単に生まれるの……?」

「いやいやどう考えてもアキラちゃんがおかしいやつでしょ」

 勿論この一瞬で作る程度のものは、みんなにあげた守護石みたいな大きさじゃないし、そこまでの効力は持たせられない。ただ、これも私の魔力の結晶であることに違いはない。

「……適性の所在って魔力か? それとも使用者?」

 魔法陣だけで術を行使できていることを考えれば前者の可能性が限りなく高い。特殊魔法に関してはまた違う解釈があるかもしれないけれど、私の仮説が正しければ実現方法も何種類か思い付く。後はそれを、誰を利用して、どう実験するか。

「最優先はここの四人だけど、今はまだ無理だな……彼もダメだし、じゃあ城しかないけど、それじゃまた見返りを渡さなきゃいけなくなるし……」

「一人で喋ってるね、アキラちゃん」

「先に食べてしまいましょう」

 すごく寂しいことを言われているんだけど、やっぱり私の頭にそれは入ってこなかった。

 実現できれば有用だ。けれど極端に言えばこれは拳銃を開発するようなもので、悪用されたら洒落にならない。でも使用者を限定させるような契約を入れるとなると、それにも課題があって――。

「駄目だ。まとまらない。ごちそうさま、みんなちょっと休憩してて」

「えっ、ちょっと、ばか! 食べるか治癒するかのどちらかを優先しなさいよ!」

 ナディアが怒った。しかし私が立ち上がってテーブルを離れる方が早くって、引き止めようと伸ばした彼女の手が空振りする。――という状況も全部、後から思い出して気付くんだけど、この時の私は一切見えていない。

「……私が、何か余計なことを言ったのかしら」

「アキラちゃんのあれを予想するのは無理だと思う……」

「ナディ姉、お疲れ~。サンドイッチは包んでおこっか」

「リコお姉ちゃん、これはどうしたら……?」

「げ、魔法石の欠片!」

 テーブルに残していったサンドイッチと魔法石を囲み、みんながきゃいきゃいと騒ぐ声が遠い。今日はもうどうせ雨だしこのまま此処で野営でも良いよね。馬車周りに巨大テントを二つ出し、私は二人用のテントの中へと入り込んだ。

 勿論、ベッドに潜り込むのではなく空いているスペースに小さめの机と紙とペンを出して、今の考えを書き出す。

 やりたいことは『適性を持たない人にも魔法を使わせる』こと。回復魔法や結界魔法は特に便利だと思う。守護石は確かに威力が強く、確実に契約者の身を守る。けれど、契約者が自由に扱えるものじゃないから、契約者が守りたいと願った人を守る能力は無い。それでは、本人の身だけが守られて、心を傷付けてしまう事態が起こる。出来ることを増やすっていうのは肝要だ。

 別に、こんなに今すぐ考えなきゃいけないほど急務だったかっていうと、全然そうじゃない。単純な好奇心だったというのも勿論ある。思い付いたらすぐに答えに辿り着きたいし、難しい場合でもある程度はキリの良いところまで整理しておきたい。

 だけど、こんな雨の日は。

 雨音を忘れる為に、集中しなければならない目の前の課題はとても都合が良かったのだろうなと、気が済むまで考えて、ちょっと満足して、机に突っ伏して居眠りを始めた頃に思った。

「アキラちゃん、起きて」

「んー」

 柔らかなラターシャの声と、優しい揺さぶりで起こされ、のんびりと目蓋を開ける。申し訳なさそうな顔で私を覗き込んでいるラターシャと目が合った。

「おはよう……?」

「うん、夕方だけどね」

 笑うラターシャの眉が更に垂れ下がる。私がテントに籠り始めたのは昼だったから、確かに今が朝だとしたら私は彼女らを半日放置したことになっちゃうな。夕方で起こしてくれて助かった。目を擦りながら上体を起こす。そろそろ晩ご飯の支度をしなければ。

「みんなは? ごめんね、お腹空いたよね」

「それはまだ大丈夫だけど、あのね、ちょっと気温が下がってきて、サラとロゼが心配なの」

「ああ」

 彼女の言いたいことをすぐに理解して立ち上がった。ラターシャ達にはローブも渡しているし、テントを出しているからベッドもある。だから寒くなったら彼女らはテント内に避難が出来るけれど、サラとロゼは屋外に居るのだ。寒さに強い動物とは言え、急な冷えは流石に体調を崩すかもしれない。慌ててテントから出たら、心配そうに二頭に寄り添う三姉妹の姿があった。

「ごめん! みんなも寒かったね、すぐに火を起こして温かいもの淹れるよ」

「私達は良いから、この子達、どうしたら」

「大丈夫、馬着があるよ。これ、着せてあげてくれる?」

 二枚の馬用の防寒着を手渡すと、三姉妹とラターシャが協力してそれを掛けてやってくれた。その間に、私は馬の足元に少し藁を敷き詰める。少しは底冷え対策になるだろう。

 しかし、サラとロゼもそうだけど、みんなの分も防寒着や携帯食料くらいは馬車に乗せておいた方が良いかもしれない。私が不在だったり寝ていたりして、欲しい時に使えないのはあんまりだ。便利だからと言って何でも私の収納空間に放り込んでいたら駄目だな。

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