第60話

「アキラちゃんってさ、よく分かんないよね。優しいんだとは思うけどさ」

 街の広場の端にあるベンチに座り、リコットは露店で買った飲み物を傾けながら徐に呟く。

 今日、彼女らはアキラ抜きでのんびりと町に出ていた。アキラは朝食後から部屋に籠っていて、姿を見ていない。

 広場の奥、少し離れた場所では中年男性らが演奏会をしていて、ラターシャとルーイがその傍で目をキラキラさせながら演奏を見ていた。リコットの隣で彼女らを眺めていたナディアは、二人から視線を外してリコットの方を見るが、彼女はまだ視線をラターシャ達に向けたままだった。

「そうね」

 同意を示しながら、ナディアは二人へと視線を戻す。アキラはまだ子供であるあの子達、ラターシャやルーイに対しては徹底的に甘く、大人になることをまるで求めない。そして子供ではないリコットやナディアにはベッドの相手を求めはするものの、強要することは全く無く、ベッドの中での優しさも知っているだけに、その点を強く否定する気持ちは少しも生まれなかった。しかし。

「それでも、本気で好きになるべきひとではないわ」

「ふふ。それは分かるよ」

 間髪を入れない肯定にナディアは内心、安堵していた。アキラがリコットを抱くと言う時に彼女が最も懸念していたのはこの点だったからだ。「絆される」という柔らかな言い方をしたものの、本当に心配だったのは、リコットがアキラを本気で好きになってしまうこと。そうして未来で傷付くことだった。

「絶対、私らだけじゃ済まないし、ラターシャも大人になったら普通に餌食でしょ」

「っはぁ~……」

「あはは! すごい溜息」

 演奏の邪魔にならぬようにか、リコットは堪らず漏れてしまった笑い声を腕の中に隠すように顔を埋めた。ナディアは自らの反応がリコットを笑わせていることを知りながらも、眉間に深く皺を寄せてまた一つ息を吐く。

「ラターシャが可哀想で、今から憂鬱だわ。あの子は私達よりずっと純粋にアキラのことを慕っているんだもの」

「ルーイもそんな感じあるけど、あの子は『大勢の一人』って感覚はあるんだよね~」

「前職の良くない教育ね」

 二人はアキラという人の優しさを否定はしない。人柄として認めている部分も大いにあるだろう。

 けれど『ただ一人として愛されたい』と願う気持ちがあるのなら、彼女を選ぶべきではない。少なくともナディアとリコットはそう認識していた。

「今の状況も、どう思っているのかしらね」

 心から慕うアキラと二人きりだったところへ、彼女ら三人が加わった。そして内二人が、時折アキラの夜の相手をしている。特殊な環境で育っていたようだけれど、もうすぐ十六歳になるだろう彼女が、一切意味を理解していないとは思えないし、分かっているような言動を取ることもあった。

 ラターシャ本人が三人と仲良く話してくれている為、ナディア達も変に気を遣わないようには接している。しかし初めて顔を合わせた時の気まずさは途轍もなかった。ナディアは特に、いつも仲良くカフェに訪れる彼女らを知っていたのだから。

「何にも感じてないってことはないだろうけど、私達が一緒じゃなくても、アキラちゃんって一生ああでしょ。アキラちゃんを慕う以上、解決策が無いよね」

「本当にね……」

 例え今、アキラの相手をしている二人が居なくなったところで。アキラという人が変わるわけではない。また長い溜息を吐いた後で、ナディアは唸るように呟く。

「十八になるまでに、アキラより良い人を見付けてほしいわ」

「それしかないね!」

 リコットはまた腕の中に笑い声を押し込めて、肩を震わせた。

 なお、アキラが「十八歳」という年齢を大人と子供の境として見ている元の世界の価値観は、幸か不幸かこのウェンカイン王国と共通している。この国が結婚を許可する年齢もその「十八歳」であって、二人は大きな違和感なくその考えを受け止めていた。

「でもあんなに女好きなのに、三人で~って言い出さないのも、実は意外」

「好都合だわ、あなたと三人でなんて気まずくてならないもの」

「まあねー」

 ただ、求められたとしても二人にとって不都合かと言えば、拒めば良いだけなのでそうでもない。二人が拒めばアキラが強く求めてこないことも分かっているのだ。以前、彼女と共に入浴することは既に拒んでいて、アキラがきちんと引き下がったことからも明らかだった。

 そして、つまりそれは、二人が夜を求められた際に拒まず応じる理由が確かにあるという証明でもある。二人が応じているのは、決して守られている引け目などではなかった。

 二人の間に短い沈黙が落ちると、予想外の人間がそれを徐に破る。

「意外かなぁ? 私、ベッドでは一人をじっくり愛したいんだよねー」

「うわ!?」

 リコットは思わず叫んだ。ナディアも声こそ出なかったものの、尻尾が膨らんでいる。話題の人は、いつの間にか真後ろに立っていたらしい。アキラは、そんな二人の反応を見ながらニコニコと楽しそうに笑っていた。

「アキラ……いつから居たの?」

「えー、本気で好きになるべきじゃないみたいなところから」

「ほとんど最初からだねー」

 話題に上がった直後から後ろに立っていたタイミングの良さに、リコットは笑ってしまった。しかしナディアはアキラを睨むように眉を寄せている。

「匂いがしなかったのだけど、一体どうやったの」

「うんうん、前回の反省を生かして、消音と消臭魔法を併用してナディアに気付かれないよう実験してみたよ。大成功だね」

「勝手に私で実験しないで」

「二人って仲いいよねぇ」

 リコットの指摘にナディアは微かにむっとした顔をして、それ以上の口論は諦めたように言葉を飲み込んだ。一方のアキラは表情を変えることなく、いつも通り機嫌良さそうな笑みを浮かべている。

「なんて言うのかなー、自分が抱いてる最中の子は独り占めしたいんだよね。誰にも見せたくないし、声も聞かせたくないし」

 そのままリコットの隣へと腰掛けたアキラは、自らが話題となっていた井戸端会議に何食わぬ顔で参加を始める。彼女の発言に、リコットを挟んだ向こう側からナディアが溜息を零した。

「一夜限りのスポットな恋愛ね」

「あはは、そっか、そんなかんじかもねー」

 半ば嫌味であったナディアの言葉にも、アキラは楽しそうに笑うだけだ。そして何も知らない顔で笑ったくせに、少し離れた場所で演奏会を楽しんでいるラターシャを見つめ、何もかも知ったような顔で目を細める。

「……ラタには、悩む期間がまだ二年以上あるよ」

 静かな声だった。アキラにはちゃんと、ナディアとリコットがラターシャを心配し、憂えている心が理解できている。だからこそナディアの不安や憂鬱な思いは強まるばかりで、少しの慰めにもならない。

「あなたのそういうところが、混乱を招くのよ。ただの酷いひとだったら、ラターシャの夢も直ぐに覚めるのに」

 いつの間にかリコットを挟んで会話を始めてしまった二人に、間に置かれたリコットは、苦笑いしながら、冷たさを失った飲み物を傾けていた。

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