第58話

「どうしてあの状況で私を選ぶかなぁ~別に良いけどさー」

 着替えなどを少し此方の部屋へと運んできたリコットが何処か呆れた顔で笑う。私はベッドの上で枕を背凭れにして座っていた。

「リコが一番、そっとしておいてくれそうだから?」

「その思考、完全にナディ姉にバレてたでしょ」

 うん、そうだね。睨まれたのもそのせいだと思う。怖いのよナディアさん。

「ちょっと仲良くなった気がすると思ったらこれだもんなぁ。まあ、ナディ姉も心配だから怒るんだろうけど」

 笑いながらそう言うと、リコットは水の入った瓶を渡してくれた。食堂でもらってきてくれたらしい。確かに、水分くらいは取らなきゃいけない。お礼を言って受け取って、ゆっくりと傾ける。喉を通る水が酷く冷たく感じた。身体が熱いせいかな。

「他、何かいる?」

「ううん。大丈夫」

「そっか、じゃ、私はお風呂入ろーっと」

 明るくそう言うとリコットはあっさりと私の傍を離れた。心配していないのとは違って、これは彼女なりの気遣いだ。だから今の私にとってはありがたい。

 着替えを用意して離れて行く背中を見た時、ふと思い出したことにハッとして「リコ」と呼び止めた。声が思ったより弱くなってびっくりした。私が呼んだからリコットは振り返ったのに、声の違いが見付かった気がして少し焦る。

「えっと、お湯、あー、今ちょっと出すの難しいな……」

「ははは。良いって。向こうも使ってないんだし、大体、普通は水なんだよ」

 向こうとは、ナディア達が休む四人部屋のことだろう。確かにそうだ。

 王城に行く前は、夜には余裕で回復してると思っていたから、そんなこともしてあげられるつもりだったんだけどなぁ。

「アキラちゃんのそのサービス精神、何処から来るのかな」

「サービスと言うか……みんなを甘やかしたいだけだよ」

「もう充分されてるってば」

 何処か楽しそうに笑い飛ばしたリコットは、また私に背を向けて浴室の方へと消えた。

 水をもう少し飲んでから、それを脇に避けてベッドに寝そべる。丸一日寝ていたはずなのに、すぐに眠気が襲ってきて目を閉じた。そのままどうやら眠ってしまったらしくって、水浴びを済ませたリコットが出て来たこととか全然知らない。意識の遠いところでリコットが「アキラちゃん」って呼ぶ声がした気がして、私は彼女に、何かを言ったような。夢だったかな。

 次に目を覚ませば部屋は真っ暗だった。消灯とか諸々リコットが済ませてくれたみたい。カーテンの隙間から微かに漏れる光を見る限り、もう空は白み始めているのか。随分とぐっすり眠ったらしい。そういえば何か背中が温かい――。

「び、っくりした……」

 何で一緒に寝てるんだ。隣のベッドがガラ空きですが。

 横向きで眠っていた私の背中にぴたりとくっ付いてリコットが眠っている。身じろいで彼女の方を向けば、振動に彼女も目を覚ました。

「リコ?」

「んー、おはよ、ってまだ早いよー、真っ暗じゃん~」

「いや、うん、早いけど。何で一緒に寝てるの」

 別に良いんだけどね、勿論ね。頭を撫でてみると、リコットは少し可笑しそうにそれを受け止め、小さな欠伸をした。

「アキラちゃんが寒いって言うからさー、別に寒くないでしょって思ったけど、縮こまってるの可哀想だったし温めてみた」

「え、ごめん、全然覚えてない」

 寒かった覚えすらないが。熱が高くて寒気を感じたのか、変な夢でも見ていたのかな。リコットは楽しそうに笑っている。けれどまだ早いせいで眠いのだろう。頑なに目を閉じたままで身体を起こす気配は無い。しかし体温の高い私と寝るのは逆にリコットからすれば熱かったのだろうに、寝苦しくはなかったのか。聞こうと思ったけど、眠そうだから口を噤む。髪を撫でながら、リコットが二度寝をするのを待った。

 彼女の口元から笑みが消え、目を閉じたままのリコットが静かになったから、もう眠りそうかなって撫でるのを止める。けれど、そうすると彼女は目を開けてしまった。薄緑色の瞳がじっと私の顔を見つめる。まだ撫でろってことか? もう一度手を動かそうとしたのと、リコットが口を開いたのは同時だった。

「……もう体調は平気?」

「ああ、うん、すっかり。えーと体温も、平熱だね」

 確認すれば三十六度五分ぴったり。風邪や疲れとはまた違う身体の拒絶反応みたいなもんだからなぁ、復活する時はあっさりだ。

 するとリコットはほんの少し身体を起こして、私の上に乗っかってきた。上体を重ね、デコルテあたりに頬を乗せている。慌てて腰に両腕を回して彼女の身体が滑り落ちないように支えた。何だこれは。私には得だけど。

「ふふ、本当だ。熱くないね」

「こんな熱の計り方ある?」

 可愛いな。どんなサービスよ。しかも計り終えてもこのまま乗っててくれるの? 贅沢だな。調子に乗って彼女の綺麗な黒髪を撫でて額に口付けを落としてみる。リコットは微かに肩を震わせて笑った。

「アキラちゃん」

「ん? ……おわ」

 急にリコットが伸び上がってきて唇にキスをくれた。そのまま両肘を私の頭の横に付いて、頬や目尻、額とあちこちにキスを落としてくる。すごいサービス過多だ。何か欲しいのかな。何でも買いますが。思わず口元を緩めていると、またそこに啄むみたいなキスが落ちる。

「なに、リコット。どうしたの」

「大好きだよ、アキラちゃん」

 その言葉に『本当』のタグが出るものだからちょっとびっくりした。別に嫌われているとは思っていなかったけど、大を付けてもらえるほど好かれているとも思っていなかった。私は目を丸めていたのだろう。リコットは私の顔を見て笑っている。

「絶対、分かってないと思ったよ」

 そう言って目を細めている表情は、今まで見たどの表情よりも、大人の女性だった。十九歳のリコットを子供だとは思っていないけれど、それでも日本で言えば未成年だ。なのに今私を見下ろしている彼女は私よりもずっと成熟しているみたいな色を漂わせる。

「地獄から引っ張り出して守ってくれてること、優しくしてくれること。みんな感謝してるんだよ。ナディ姉もあんな態度だけど、その気持ちは一緒だから」

 あの組織に居た日々のことを彼女が「地獄」と言うのを聞いて心臓が震えた。どれだけ繰り返そうとも決して麻痺できるものではなく、確かに彼女が日々痛み、苦しんでいたことが分かるからだ。後半の言葉を飲み込めたのは、先に湧き上がってきた悲しみが少し落ち着いた後だった。

「愛されるばかりじゃ居た堪れないよ。私達からの愛情も、ちゃんと受け取ってね」

 リコットは私の表情の変化を見守った後で、そう言って改めて私の唇にキスを落とす。

「……贅沢だなぁ」

 私の返答に、「こっちの台詞」と言ってまたリコットが笑った。

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