第57話_アンネス帰還

 私がアンネスの町に戻ったのは、もう明け方だった。

 あの後、洞窟は私の土属性魔法でぎっちぎちに埋めた。帰り道ずっと土魔法を使ってたと言っても過言でないくらい、魔法陣のあった大きな空洞は勿論、横穴も、通路も全部、土で埋めた。少なくとも並の魔物には掘り返すことは出来ないし、あの魔法陣を敷いた者でも容易ではないはずだ。

 その作業を終えたら砦に戻って状況の確認と、此方の報告などを済ませる。そして休憩を挟むことなく、再び転移魔法でウェンカイン王城へ。

 諸々、約束していた品を引き渡し、代わりに幾らかの硬貨を受け取って、あれこれと更なる御礼を渡したがる王様とベルクの言葉を聞き流して、最後の転移魔法を発動。アンネスの宿へと戻った。

 宿に帰って朝日を見た私は、転移したその場から一歩も動くことなく、ぐったりと床に両手両膝を付く。

「はー……あぶなかった、やっぱ出てきたな」

 ぽたぽたと、鼻から血が流れていく。床に数滴落ちて、汚してしまった。

 一人部屋にした理由の二つ目が、これ。

 私の身体は未だ、『魔力』ってものに、慣れていないらしい。大きな魔法を使った後はそれ相応の反動が来る。

 ちょっと落ち着いてから洗面台に立てば、目は真っ赤に充血していた。見た目がえぐいんだよな。こんなの、あの子らには見せられない。鼻血もなかなか止まらない。頭が、がんがんと痛んでいる。

 最近は普通の攻撃魔法くらいは何ともなくなった。しかし初めて魔法を使った夜――つまりこの世界に来た初日は、今日ほど大きな魔法じゃなかったのに身体中が痛んで、高熱が出た。そしてローランベルで転移魔法を使った日も、宿に帰った時に少し鼻血を出した。

 今日は転移魔法を何度も使っただけでなく、ほぼ手加減なしで攻撃魔法を連発した為、こうなるのは分かり切っていた。だからちょっと急いでいたのだ。偉そうなことを言っておいて、王様らの前で倒れるなんて嫌だったから。

「ゆっくり慣らせば問題ないんだろうけど、ちょっと今回は調子に乗ったな……」

 ようやく鼻血が止まった頃には充血も少しマシになっていたものの、見た目はまだまだ異常だ。

「朝食の合流は、無理か」

 へろへろの弱い声で呟いて、私はベッドに身体を横たえる。目を閉じたら、微睡む間もなく深く落ちた。

 昼頃には一度起きて風呂に入ったけれど、それだけで力尽きて、昼食での合流も諦めてまた眠った。その次に目を覚ましたのは、扉をノックされた音。やば。夕食時も過ぎてる。これ、みんなからのノックだ。やらかした。

 多分もう何度か叩いた後だよな。やばいやばい。

 慌ててベッドを降りて、扉に向かう。遠慮がちに再び扉が叩かれたのと私がそれを開いたのは同時だった。

「ごめん、寝てた――」

「ばか!! あなた服くらいちゃんと着れないの!?」

「あ」

 慌て過ぎて忘れてた。ズボンは前の留め具を一つも閉めてないし、シャツもそのまま素肌に着て、ボタンを一個も閉じてなかった。お風呂上がりに面倒臭くなって、この状態で寝てたんだったな。

 ナディアはシャツの前を合わせて隠そうとしてくれたんだろうけど、胸倉を掴むような形で部屋の奥へ私を押し込める。後ろに居たみんなも部屋へと素早く入り込んで扉を閉じていた。そうだね、廊下は誰が通るかも分からないもんね。とりあえず血とかその辺は昼に起きた時に綺麗にしておいて本当に良かった。

「早く着なさい、ちゃんと」

「えー、ナディが着せてくれるのかと」

「自分でやって」

「はい」

 吐き捨てるように言ったナディアが私のシャツから手を放す。そんなに怒らなくても良いのに……。ブラジャーは面倒くさかったので結局シャツはそのままボタンを閉じて、上からカーディガンを着た。ズボンも留め具を全部閉じましたよ。ほい。どうですか。って感じに振り返ったけど、もうナディアは私の方を見てなかった。何でさ。

「アキラちゃんが髪を下ろしてぼさぼさにしてるの、初めて見たかも」

「んー、そうだっけ……」

 笑いながらラターシャが手櫛で髪を整えてくれる。確かに寝る時以外は髪、下ろさないんだよな。元の世界でもずっとそうだった。後ろに一つで高く結んでる所謂ポニーテールなだけだけど。ラターシャに「出して」と言われたから、いつも使っている櫛を出して手渡す。梳いてくれるらしい。うーん、贅沢だな。ベッドに腰掛けながら、ラターシャが整えてくれるのを大人しく受け入れた。

「はい、出来た。結ぶ?」

「ううん、もう今日はいいや。ありがとう」

 ついさっきまで眠っていた名残りでまだ目が上手く開かない。目を擦っていると、ラターシャの指先が、私のこめかみと額に触れる。

「ちょっと熱い気がするけど……アキラちゃん、具合が悪いの?」

「え、ほんと、うーん」

 言われてみればちょっと怠いかなぁ。タグ、体温を出してくれ、私の体温。あー。三十八度。熱、ありますね。昨日くらいの無茶をすると反動も長いなぁ、ほぼ丸一日だ。

「アキラちゃん?」

「ん、あー、うん、少しあるみたいだね、ごめん、色々話すって言ったんだけど、明日でもいい? 今日はまだちょっと疲れてて」

「ちゃんと戻ってきたのだから説明はいつでも良いけれど。あなた、夕飯は?」

 夕飯どころか今日何にも食べてないな。帰ってきたのが早朝で、それからずっと寝てたから。何か食べた方が良いだろう。でも全然、食欲が無かった。俯いて黙っていると「アキラ」と怒ったようなナディアの声が降ってくる。

 どうしてだろう。森に居る時はあんなにみんなの顔が見たかったのに、今、ちゃんと顔が見れない。

「今は良いよ、食欲が無いや。ちょっと休む」

「……分かったわ」

 ナディアの声が確かに諦めの色をしていたから、私は仄かに安堵していた。

「じゃあ一人、選びなさい」

「へ」

 だから続いた言葉が想定外で、思わず顔を上げる。少しだけ霞む視界の向こう、ナディアが珍しく微笑んでいた。怖い方のやつ。カフェでナンパした直後に見せた顔に似ていた。

「そんな状態で放置してもらえると思ったの? 二人部屋で幸いね。一人、此処に残るから。選ばせてあげるわ」

 何にも幸いじゃないんだけど。

 しかし此処で押し問答するだけの体力が私には無い。くそ。そこまで読んでやってるなこの子は。私は苦笑いで肩を落とした。

「じゃあ……リコット」

「えっ、私!?」

 指名を受けた本人は驚き、ラターシャが微かにしょんぼり眉を下げている傍らで。ナディアが私を睨み付ける。睨むのは止めようよ。言われた通り、一人を選んだでしょ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る