第42話

 夜も更けて、みんながそれぞれお風呂も寝支度も済ませたところで、火の片付けをしながら私はナディアを振り返る。

「ナディア。相手してくれるなら私と一緒のテント」

「え」

 瞬間、全員が一斉に微妙な顔をした。何でさ。私は私の目的をずっと明確に口にしていたでしょうよ。

「……テントでするつもり?」

 あ、そういうことね。眉を顰めたナディアへ、私は柔らかく笑う。

「結界があるから危険は無いし、ベッドがあるから衛生的な問題も無くて、音なら魔法で遮断するよ」

 勿論、他の三人がわざわざ覗きに来ることも無いだろうから、それ以外はテントだからという弊害は特に無いと思う。私の説明が彼女の憂いを全て払拭したかどうかは分からなかったが、少しの沈黙の後、ナディアは溜息を挟んでから「まあいいけれど」と答えた。

「良かった。じゃあ三人はそっちねー」

 大きい方のテントを指差せば、三人は軽く視線を合わせてから曖昧に頷いていた。

「あ、リコはまた今度、相手してね」

「えっ」

「まあ無理強いはしないよ、考えといて」

 軽く背を叩いてそう言うと、すぐ傍に立っていたルーイが私の袖を引く。何だろうと思って見下ろしたら、無垢な瞳がじっと私を見つめていた。

「……わ、私も?」

 あー。そう来るとは思わなかったな。

 でも、彼女にとってはそれが当たり前だったんだよなぁ。みんなが静かに息を呑んだのを感じながら、私はルーイを両腕で抱き上げた。急な浮遊感に小さく悲鳴を上げてから、ルーイが私の肩にしがみ付く。十二歳だと聞いたが、多分、私の世界の平均よりもこの子は小柄だ。

「ううん。ルーイは子供だから、お願いしないよ」

 自分より少し高いくらいの視線に落ち着かせて、赤ん坊をあやすみたいに、その背をトントンと撫でる。そこまで幼くないことは分かっているけどね。

「ルーイは普通よりも少し早くそういうことを覚えて、頑張っていたかもしれないけど、今はもう良いんだよ。これまで頑張った分、これからはみんなに甘えて、何も頑張らなくていい。大人になるまでね」

 朝が眠かったら寝坊しよう。夜に眠くなったら誰よりも早く寝よう。甘いものもそうじゃないものも、食べたいものは沢山食べよう。遊びたかったら沢山遊ぼう。大人の真似事なんてもう、一切させない。私が一つ一つ告げる言葉に、ルーイは深い紺色の瞳を輝かせながら黙って聞いていた。

「じゃ、朝までゆっくり休んでね」

 腕から下ろして頭を撫でると、ちょっと不思議そうにしつつもルーイが頷く。顔を上げた時に目が合ったラターシャは、何だか複雑な顔をしているように見えた。隣のリコットはちらりと彼女を見た後で、二人に「もう寝よ」と声を掛け、連れて行ってくれる。

「よし、火の始末も終わり。寝ようか、ナディア」

「……ええ」

 私達も隣のテントへと入る。全てまとめて結界で囲っている為、特に夜の番も必要ないのが便利だ。結界魔法が使えない旅人は、大変だろうなぁ。

「ルーイのこと、ありがとう」

 ベッドへ腰掛けたナディアが、静かに呟く。もう既に消音魔法は発動してあるから、こうして話す声も何も、もう外には漏れない。私は彼女のベッドに無遠慮に腰掛けて、首を振った。

「当たり前のことだから、お礼を言われることじゃないよ」

「それでも、……私達には、当たり前ではなかったことだわ」

 ブーツを脱ぎ捨てる動作が、少し乱暴になったかもしれない。ナディアは気にしたように私を窺った。ううん、ナディアが悪かったわけじゃない。ただ、そんな現実がこの世界にあることに、苛立ちを覚えただけ。元の世界にだって、あったのだと思う。違う国だったら。もしくは日本でも、私が知るよりも更に残酷な社会の底でなら。だけど私はそれを当たり前には見てこなかった。だから、みんなよりもきっと、受け止める耐性が足りない。

「君達を哀れむのは、間違ってる?」

「どうかしら。私はそんなに賢くないから知らないわ。だけど優しくされるのは、……別に、嫌じゃないわよ」

「ふふ」

 華奢な身体を抱き締めて、ベッドへと沈めた。私を見上げるナディアに、戸惑いや怯えは全く見えない。あの屋敷のベッドでは、得体の知れない何かを相手にするように怯えていた猫耳も、今はふんわりと私の方を向いている。堪らなく可愛いそれに鼻先を擦り付けて、丁寧に手で撫でた。

「ようやくナディアに触れる」

「……あなたが勝手にした我慢でしょう」

 仰る通りだ。彼女はあの日、私に抱かれてくれるつもりで裏路地で待っていてくれたのに、私が私の意志でそれを止め、組織を潰す方向に走っただけ。何だか可笑しくなって、肩を震わせる。ナディアはそんな私の反応を、ちょっと呆れたみたいな顔で見ていた。

「でも手間をかけた分、――心置きなくね」

 今夜はもう、手を止めるつもりは全く無い。深く覆い被さって口付けたら、ナディアの手が緩く私の背を辿った。

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