第37話

 特に違和感などは残っていないと思うのだけど、ナディアはさっきからずっと、消えた焼印の場所を手で押さえている。

「この焼印は、私達が力を持つことが無いようにと組織が魔力を封じたものです。それを消すことは、あなたには」

「利は無いけど、別に損も無いよ。例え君達がどれだけ魔法を扱えるようになったって、私には敵わない――」

「アキラちゃん」

「いっ、痛い、痛いってラターシャ」

 唐突にラターシャが脇腹を抓った。それは痛いよ。ねえ。身を捩るとあっさり放してくれたけど、彼女はちょっと怒っている顔で私を見つめていた。

「そんな言い方しなくていいでしょ。ばか」

「……はい」

 ばかって言われた……なにそれ可愛い……。じゃなくてさ。

 確かに、私が今言ったことは紛れもない本音で真実だとは思うけど、彼女らを圧倒的な力で抑え込む場合の言い分だ。言うことがどうしても悪党になるのは性分なのかな。ラターシャが止めてくれたことに感謝しつつ、まだちょっと痛む脇腹を擦った。

「あー、ごめん、深い意味は無くて、気に入らなかっただけだよ。ナディアも深く考えないでね」

 早口でそう告げると、今度はちょっと逃げるような気持ちでそそくさと部屋を出た。少し遅れて出てきたラターシャが、丁寧に扉を閉ざしていた。

 一緒に厨房に入り込むと、ラターシャはきょろきょろと部屋を見回している。このような部屋に入ることも彼女は初めてで、珍しいのだろう。大きな調理台に手を置いて立ち、部屋を見ることに夢中になっている無防備な背中へ、軽くぶつかるようにして私は彼女を抱き締めた。ラターシャはその瞬間、びっくりし過ぎて文字に書き起こせないような声を上げていた。

「あ、アキラちゃん?」

 身体を少し屈め、私よりも背の低いラターシャの肩に額を押し付ける。

 縋っているとか甘えてるって言うよりは、多分、今ラターシャに顔を見られたくなかった。

 厨房の片隅に、少し低めの踏み台がある。あの男達が自分で厨房に立って調理をしていたとは思えない。外働きをしていないルーイが、主に此処であいつらの為に調理していたんじゃないだろうか。踏み台は、彼女が使うのに丁度いい高さに見えた。

 飼われていた彼女らの立場は低かっただろう。命じられたことにはきっと従う以外の選択は無かった。何より、反抗する意志すらもう、きっとすっかり奪われていた。

 焼印って何だよ。ふざけやがって。

 日本じゃまずお目に掛かれないような傷の付けられ方に、全然、気持ちが付いて行かない。

 今頃それを消してあげたからって、当時の恐怖や痛みは少しも癒えやしないだろう。どんな気持ちで他の女の子達が焼かれるのを見ていて、そしてどんな気持ちで、自分の肌が焼かれる痛みを受けていたのか。その痛みを知った彼女らが、それを与えた者に逆らう意志など残すはずもない。従わせる為に魔力を奪い、痛みを教え込む。それは『賢い』やり方かもしれない。けれど、ただ、ただ、私には。

 触れるものに感情をぶつけてしまいそうで。ラターシャの身体に腕を回すことはせず、両拳を調理台の上に付く。額を押し付けて歯を食いしばっているだけの私に、ラターシャは何も言わないで、ずっと拳を撫でてくれていた。


「――あ、早かったですね、すみません、もう運んできますから」

「いえ、ええと……何かお手伝いを」

「大丈夫ですよ、座ってて下さい」

 隣の食堂からラターシャとナディアの声が聞こえた。私がうだうだやってたもんだからちょっと朝食を用意する時間が押してしまった。柔らかな声で応対したラターシャが、また厨房へと戻ってきて、出来上がっている料理を運んでくれていた。私も最後の仕上げをして、残りを運び入れる。

「ごめんごめん、はい、召し上がれ」

 三姉妹はちょっと豪勢が過ぎる朝食に面食らった顔をしている。分厚く切ったベーコンはこんがりと焼き、スクランブルエッグには酸味のある野菜で作ったケチャップ風ソースを添えておく。新鮮な葉物野菜は適当に千切ってオリーブオイルを掛けて、上にマッシュポテトを乗せた。尚、ポタージュスープはナディアが働いているカフェが出してくれたのとほとんど同じレシピだ。その辺りはタグが教えてくれるので盗みたい放題。三種の野菜を混ぜて作っている。街で仕入れたお気に入りのバゲットは、分厚く切って焼いたものと、薄く切って間にハムとチーズを特製ソースと共に挟んだものと二種類。最後に、デザートとしてヨーグルトの中に二種の果物を細かく切って入れた。蜂蜜も混ぜてあるからほんのりと上品な甘さもあって私が好きな味だ。それぞれ量も多めに作ってあるから、足りるはず!

「三人共、ちょっと細いからさ。沢山食べた方が良いよ」

「アキラちゃん、食べさせるの好きだよね」

 少し呆れたようにラターシャが隣で笑っている。普段、自分も食べさせられているせいだろう。しかし私が特別変なわけではない。と思う。多分。

「みんなが細いから心配になるだけだよ~。ラタもね。いっぱい食べてね」

「うん」

 私とラターシャが最初に食べ、それから、戸惑う彼女らにも食べるように促した。ナディアが食べ始めたら、ようやくリコットとルーイも食べてくれた。

「二人は、何時に仕事が終わるのかな?」

 食事を進めながら聞くと、ナディアは十八時、リコットは十七時だと答える。太陽の動きは元の世界とほぼ同じで、一日は二十四時間。彼女らが告げている時間はまだそんなに暗くない。空が赤く染まり始める時間だろう。帰り道まで心配することは無いかな。

「出来るだけ真っ直ぐ帰って来てね。それから、今後についてみんなで話そう」

 あと三十分もしない内に二人は仕事に出なければならないから、今は話す時間が足りない。

 二人が戻るまでの間、この屋敷には此処に居る五人以外が入ることの出来ないように結界を張っておく。だから何か怖いことがあったら何とかしてこの屋敷まで逃げてくること。逃げ込むときに解錠はロスになるから施錠はしない。とにかく此処は絶対に安全な場所だから。私が丁寧にそう告げると、三人は神妙に頷いた。

「じゃあ、二人がお仕事を終えるまで、ルーイには街を案内してもらおうかな。私とラターシャは、この街に来てまだ数日でさ。お昼は、ナディアの働いてるカフェで好きなもの食べて良いよ」

「えっ」

 私の言葉にルーイが勢いよく顔を上げたから、彼女の青みがかった銀色の長い髪がふわりと揺れる。隣に座っていたナディアは、それがスープに掛からないようにと手を伸ばして避けてやっていた。ルーイはそんなナディアと私を、忙しなく見比べる。

「えと……スペシャルパフェでも……?」

「あはは、勿論」

 可愛い要望だな。甘いものが好きらしい。今まではそんなものを多く得ていたとは思えないから、今日は存分に食べさせてあげたい。

「大丈夫、私がルーイを傷付けることは無いよ。安心して仕事に行っておいで。お昼頃には、カフェに行くから」

 時間になって仕事へ向かうナディアへと静かにそう告げる。彼女は私を見上げてから、何も言わずに頷いていた。

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