第36話_焼印

 ラターシャを残している宿に戻った私は、先日同様、お風呂に入って仮眠を取った。そしていつもより少し早く起床して、よく眠っているラターシャを揺り起こす。

「う、ん……アキラちゃん」

 ちょっと甘えた声が可愛い。寝惚けていても私の名前を呼んでくれるのは、私が傍に居る生活に早くも慣れてくれた証拠かな。昨日の騒動で多少なりとトゲトゲしていた心が癒されていく。

「ごめんね、ラタ。早いけどちょっと起きてくれる? 一緒に来てほしいんだ」

 頭を撫でながらそう言えば、まだ眠そうに目を擦っているのに、ラターシャは躊躇わずに頷いて身体を起こした。そして共に身支度を済ませると、朝食を取らないままで宿を出る。

「昨日ね、ちょっと厄介事に首突っ込んでさ、麻薬を扱ってた組織を潰してきちゃったんだよねー」

「アキラちゃん……」

 驚くことにすっかり慣れているラターシャは私の言葉にただ項垂れていた。

 ラターシャは子供だけどもうすぐ十六歳になる子だからと、あまり気にせず、彼らが行っていた内容を話した。娼婦を使っていたこと。その中に十一、二歳の少女まで居たこと。ただ、男達については「まとめて闇から闇に葬った」という言葉に留めておく。ラターシャは何か言いたげに私を見つめたけれど、深く問い詰めては来なかった。

「で、とりあえず女の子三人をどうしよっかなーって感じ。まず朝食でも一緒に取りながら、落ち着いて話そうと思ってさ」

 組織から解放され、娼館に戻る必要もない彼女らが今後どう生きたいと願うのか、それを聞きたかった。帰る場所があるなら帰してあげたいし、無いなら身の振り方を一緒に考える。そこまで説明はしなかったけど、多分ラターシャは自分の時がそうだったから、何となく察しているんだろう。納得した顔で頷いていた。

「此処だよ。屋敷にはもう女の子しか残してないし、……うん、他に誰かが出入りした形跡もなし、っと」

「何か術を掛けておいたの?」

「うん、扉を開けられないようにしてたんだ」

 だけど発動した形跡が無いので、誰も扉には触れていない。念の為に敷いた術だからその可能性が一番高いとは思っていたものの、取り越し苦労に安堵するくらいの人間らしさは私にもある。

「……何で鼻歌?」

「え。来たのが私だって分かるように?」

「あぁ……」

 よりによってラターシャに不審な目を向けられた。そりゃ唐突に私が今まで一度もしなかった鼻歌という行動をしたんだから違和感はあるだろうけど……でも続けた言葉ですぐに納得してくれたので、まあいいか。

 夜、間接照明でほんのりと橙色になっていた廊下は趣も感じたものだが、夜が明ければ何処か殺風景で味気ない。ちらりとそれを見つめてから、階段裏へと回り込む。丁寧に二つのノックをした。

「アキラだけど、入って良い?」

「……はい、どうぞ」

 応えてくれたのはナディアの声だった。お邪魔しますと陽気に告げて入り込む。三姉妹はまだ起きたばかりだったようで、それぞれベッドに居た。

「すみません、このような格好で」

「全然いいよ」

 むしろナディアの寝間着を見れたのはラッキーだったかな。思ったけど今はそういう状況ではないので飲み込んで、ラターシャを振り返る。彼女はまだ部屋に入り込むことを遠慮していたが、私が勝手に手招いた。

「この子は私の連れのラターシャ」

 名前だけを伝え、次に、ラターシャへと三人の名前を伝える。ラターシャは一拍遅れてから、「カフェの」と言ってナディアを見つめていた。ナディアはラターシャからの視線を知りながら、気まずそうに視線を落として応えない。まあその辺りも今は良いだろう。

「とりあえず、ゆっくり準備してていいよ。一緒に朝ご飯を食べようと思ってさ。これから用意するから、支度できたら昨日案内してくれた食堂に来て。厨房は勝手に使うね」

「え? は、はぁ」

 一夜明けてもまだ三姉妹は私の行動に困惑している。『今後』が明確にならない限り、仕方ない。きっと会ったばかりの時のラターシャもそうだった。だけど落ち着いて話をする必要があると思うから、まずは休んでほしかったし、次にご飯を食べてほしい。この辺は私の勝手な価値観だな。とにかく朝ご飯を作りますか。

 そう思って厨房に向かうべく、部屋を出ようとした。ナディアは多分、身支度を整えようとしたんだと思う。私に背を向ける形でベッドを降りようとしていて、偶然、『それ』が目に入った。私が「何だろう」と思ったから、タグが生える。足を止めた。

「ナディア」

「はい」

 彼女はベッドを下りる動作を止め、肩口に振り返る。私はそのまま彼女に歩み寄った。狭い部屋だから、数歩だった。袖の無い柔らかな寝間着に身を包む彼女の、剥き出しの二の腕。その裏側と呼ぶべきだろうか。背後に回ったら見える位置に、小さい魔法陣みたいな傷がある。

「……これ、何?」

 私の声のトーンが落ちて、ナディアが身体を震わせた。タグは出ている。聞かなくても分かっている。『魔力封印の』と表示されているものが何を意味しているか分かっているから、私は。

「アキラちゃん!」

 大きな声でラターシャが私を呼んで、ちょっとびっくりした。振り返ると、彼女は悲しそうな顔をしていた。

「この人達が怖がるから、怖い顔、しないで」

 その言葉でようやく私はさっき、ナディアが身体を震わせていたことを思い出した。リコットとルーイが、息を潜めるみたいに私の動きを見つめている。

 全く、ラターシャは本当に賢くて良い子だ。怒りは消えて行かないけれど、それをぶつけるべき相手は少なくとも此処に居ないんだから。ゆっくりと飲み込んで、口元に笑みを浮かべる。

「そうだね。ごめん」

 まだナディアは私に怯えているけれど、その柔らかな二の腕を右手で少し引いて、焼印を覆うように左手を添える。武器の時と同じだ。制御権さえ奪ってしまえば簡単に解呪できる。じわりと浮き出た靄を、手の中で握り潰した。魔族の呪いほどの強さは無い。そして意味の無い傷痕になったその印に、回復魔法を掛ける。

「えっ――」

 彼女の肌から、焼印が綺麗さっぱりと消えた。驚いて目を見張るナディアから離れ、次は後ろに居たルーイへと身体を向ける。

「君も同じものがある? 見せて」

 ベッドにゆっくりと膝を付いて願えば、ルーイは大人しくそれを見せてくれた。彼女の印は、背中の左肩甲骨にあった。ナディアにしたのと同じ要領で、解呪してから傷を消した。次にリコット。彼女は右の太腿。淡々と、私はそれを消していく。

「じゃ、支度が出来たら食堂に来てね」

「待ってください、あの」

 それ以上、印については聞かずに部屋を出ようとしたら、今度はナディアの方が私を呼び止めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る