第2話

 騒がしかった周囲は少しすると落ち着きを取り戻し、とは言え、興奮冷めやらぬ――という状態ではあったものの騒ぐことはとりあえず止めて、呆然としている私に状況を説明し始めた。

 此処は、ウェンカインという国の城の中であるらしい。私は『救世主召喚』の儀式によって、異世界から呼び寄せられたとのこと。言語は聞き取れるが、理解が及ばない。よく見れば私の下には、複雑そうな魔法陣が幾つも書かれていた。はあ、これでその何とか言う儀式をしたんだね。なるほどね。分かんないわ。

「そして、我々があなた様をお呼びするに至ったのは、この世界に、魔王が誕生した可能性が高まってきたからです」

「はぁ」

 私が冷たい床に座ったままであることに彼らが気付いたのは、この話をした頃だった。誰かの指摘にハッとした全員が一瞬で表情を青ざめさせ、私に何度も謝罪しながら立ち上がらせてくれる。

 その後、応接間らしい煌びやかな別室に連れられ、上等なソファに座らされ、目の前にお茶菓子と紅茶が置かれた。まあ、私の口は完全に豚バラ大根の気分だったわけだからお茶とかお菓子って感じじゃないんだけど。お腹空いてるから仕方ないな。相槌か溜息か分からない声を漏らしてから、並べられたものをありがたく頂いた。

 この世界は、遥か昔からずっと魔族や魔物と言った存在と戦い続けているらしい。そして、「魔王が一度ひとたび生まれてしまえば、人は滅亡の危機を迎える」という伝承があるとのこと。『伝承』になってしまうほどの昔にも、同じことがあったんだとか。で、その伝承の続きが、『救世主召喚』によって危機を乗り越えた話に繋がる、と。

「何より、あなた様が召喚されたこと、これが、魔王が既に生まれている証なのです」

 説明役をしてくれている頭の良さそうなこの男性、いちいち言い方が迫真なんだけど、私はちっとも頭がついて行ってないんだよね。相変わらず気の抜けた「はあ」で相槌を打つ。

「救世主召喚の儀の条件の一つとして、世界に魔王が存在することが含まれております。魔王無き世界で、この儀式が成功したことは長い歴史の中で一度もございません」

 だから『成功』イコール『魔王が生まれている』って確認にもなるのか。それならあんまり良い知らせではないな。だけど続けられた説明では、既に各地で発生している魔族や魔物との戦いは激化の一途を辿っていて、それが魔王の存在による影響でなかったとしても、『救い』を求めてこの儀式に何度も挑んでいたらしい。ようやく実を結んだのが、今日であると。

 目の前の男性は、最後まで演技がかった大袈裟な口調でそう語ってくれた。まあ、言い方が大袈裟なだけで嘘じゃないことはんだけどさ。

「質問していい?」

「勿論でございます」

「このカップって、『メイデウルダ領』のもので、定価が金貨三枚くらい?」

「は……?」

 無遠慮に飲み干した為、話題のカップを片手で弄んでも零れてくるものは何も無い。だから部屋に居る全員が私のカップを凝視したまま動かなくなったのは、そのような心配をしてのことではないのは理解している。異世界から来た私が、カップの産地や値段など分かるはずもない。そもそも『領名』を知っていること自体がおかしいのだ。そんな言葉、説明の中に無かった。

 数拍固まった後で侍女らに確認を取った男性は、私の言葉が間違いないことを、驚愕の面持ちで伝えてきた。

「ふーん、じゃあこれ、本当なんだなぁ。此処に来てから、あちこちに何かタグが付いてるんだよね」

 私はそう言いながら、カップに付いているタグを指差した。他の人達には見えていないらしいが、カップから半透明のプレートが吹き出しのように伸びていて、産地や定価を表示している。勿論カップだけではない。私が視線を向けると、まるで説明をするかのようにタグは生えてくる。ふわりと浮かんでは消えるし、手で触れないから実体のないものだってことも既に知っていた。目の前に出された飲み物が『紅茶』であると初めから確信していたのも、このタグのせいだ。

「ちなみに、発言が嘘か本当かも、タグで出てる。とりあえず今の説明に嘘は無いみたいだねぇ」

「と、当然です、救世主様に、嘘を申し上げるような無礼は」

「ふふ、それは嘘だね」

 私が笑うのとは対照的に、男性の表情が凍り付く。それを少しだけ愉快な気持ちで見つめたのはただの性分であって、私の気分が本当に愉快な状態であるわけじゃない。

「あなたが嘘を吐かなかったのは『無礼だから』じゃなくて、『必要が無かったから』でしょ」

 敬ってくれる気持ち全てが嘘だと言うつもりはない。この部屋に立つ全ての人が『救世主』であるらしい私に対し、酷く恭しい態度を取っていて、それが演技でないことは何となく分かる。だけど、私は異世界から来ているだけで、あくまでも『人間』であって『神』じゃない。だから不都合を隠し、偽の情報を与えることで国益になる使い方が出来ると思えば、そうするだろう。私の言葉に男性は完全に口を閉ざしてしまった。利口な人だ。答えなければ本当か嘘かなんて判断できないからね。

 静かになってしまった部屋を見回して、手で弄んだままだったカップをソーサーに戻す。

「さて。改めて私が一番聞きたいことを質問するね」

 本当に『質問』したかったのは此処からだ。カップのことなんか勿論どうだって良かった。次の質問をする前に、私に見せられているタグの情報が事実かどうかを知りたかっただけ。同時に、これから回答する人達に、答えを偽る無意味さも教えてあげられたことだろう。緊張の面持ちで次の言葉を待っている男性に向けて、にっこりと笑みを向ける。

「私は、元の世界に戻れるのかな?」

 男性の目に確かな怯えが走り、口は開くどころか一層強く閉ざされた。真偽のタグなど見る必要もない。私は笑みを崩さないままで、内心、落胆の溜息を零していた。

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