知られざる大航海の記録

飯田太朗

第1話 恥辱

 その男がやってきたのは春の嵐の夜。

 奇しくも珍しい彫刻が運ばれてきた日のことだった。


 西の国に行く予定だった貨物船が難破し、その荷物が漂流した。

 我々のお屋敷の近くには小さな浜辺があり、その砂浜に、多くの漂着物があった。

 あのお宝はその内のひとつだった。


「奴隷が数名死んじまいましてね」

 ご主人様の領地にいる小作人が不満そうに告げた。

「どいつもこいつも頭が潰されてるんでさ。頭のおかしい奴が漂着したみてえです」

 私は口が利けない。よって身振りと表情、目線で応対する。向こうもそれに慣れている。


「村の警備を整えておきまさ」

 小作人が麦わら帽を掲げて去る。私は同僚に合図する。

「不審者?」

 同僚は私の同郷だ。身振りで言葉を伝える技術を習得している。

「一応ご主人様に伝えておくか……」


 天気は悪かった。すこぶる。

 雲の色だろうか。緑がかった空だった。遠くに雷鳴。風の強さから春が近づいていることが分かった。この季節はよくない。生き物も風も人も、みんな浮足立つから。



 私の国が戦争に負けてもう久しい。東の王朝はそれまで私たちの国を属国として扱っていたが、西の帝国と貿易上の不都合が起きるとすぐさま私たちの国を切り捨てた。「この国をやるから不都合は大目に見てくれ」と言わんばかりに。


 私の国は血気盛んな人間が多い。

 王朝に捨てられた時、我々は「ついに自由を勝ち取る時!」と西の帝国と戦争をする決意をした。少ない物資、少ない兵士では当然、最新鋭の武器を持つ西の帝国に勝てるはずもなく、我々は無残に敗北した。


 負けた国の常だ。国民が奴隷として搾取されるのは。


 女たちはほとんどが性奴隷になった。男は当然ただの労働力として使われた。私のような一部の「特殊な」人間だけが名前と地位を与えられ、名のある家の下僕として仕えることができた。「特殊な」とは、そう、例えば、我らの国に伝わる特殊な技術……西の帝国はこれを武術マーシャルと呼んだ……の習得者である。


 我々の技術には、帝国の人間が驚くようなものがいくつかあった。その内のひとつが「気」に関する技術である。


 我々は幼いころから「気」について習う。その中で才能のある人間だけが選ばれて「師匠」の下で修練を積む。修練者は「気」にまつわる様々なことができる。例えば「気」を断ったり、逆に「気」を充満させたり、「気」を整えたり。

 それは戦闘術であると同時に哲学であり、教訓であり、また医療でもあった。極めて抽象度の高い概念なのでこの国の言葉にするのが難しい。が、とにかく、我々は時に人を痛めつけ、時に人を癒し、人外の存在をコントロールする、そんな術を身に着けていた。


 私はそれが理由で今のご主人様に拾われた。


 私の「気」の流派はしゃべることをよしとしない。沈黙によって得られた「気」を扱うことで常人の得られる「気」以上の性能を発揮しようという考え方である。故に私もしゃべれない。それは宗教的戒律という意味もあり、また人生訓という意味もあり、同時に哲学でもあった。


 つまり私はご主人様からすれば「頑なに話さん変な奴」だった。しかし腕は確かだったので、高値で買われた。門番として。護衛として。奴隷に落とされた奴らからすれば比較的優遇された方だろう。その分恨みを買うことも、多かったが。


 問題の事件は、私がご主人様に買われて二年が過ぎたある日のこと起きた。


 ご主人様の一家……ペインリッヒ家……が惨殺されたのである。


 その兆しはお屋敷にある人物が来た時から現れた。



 私の予想した通り、春の嵐が来た。

 風が唸り、大雨が地面を叩きつけ、濁流が村を飲む。そんな夜だった。

 ご主人様の領地の村人の多くが死んだだろう。洪水は丘の麓を飲み込んでいた。私のいる詰所からはその様子がありありと見えた。同僚が何度かご主人様に連絡を入れたが……ご主人様は取り合わなかった。


「ひでえ話だ」

 同僚が唸る。大雨の中を門から屋敷まで往復したのでびしょ濡れだった。

「ひでえ話だ」


 同僚が二度目に唸った時だった。丘の麓、まだ洪水にギリギリ飲み込まれない辺りに、人影が見えた。その人はどうやら、お屋敷に面する小さな浜の方からやってきたようだった。


「よう兄弟」


 小汚い男だった。ほとんどボロ雑巾のような服を着ていた。頭には船乗りと思しき帽子。これも汚かった。そして海の男らしからず身長が小さかった。私とほとんど変わらない。私の民族は西の人たちと比べると一回り小さかった。そんな私たちと変わらないのだ。小柄な部類だろう。


「ちょいとこのお屋敷に泊めてもらいたくてね。何せこの嵐だ」

「帰れ」同僚が突っぱねる。「ここはお前のような人間が来るところじゃない」

「まぁ、そう冷たく言うなよ。兄弟」


 男はすっと、右手の中指にはまっていた指輪を外した。


「蝋、あるか?」

 あった。私は一瞬同僚と顔を見合わせたのち、封蝋に使っていた蝋を取り出した。

「ほうら、できた」

 男は蝋に自分の指輪を押し当てた。それが何を意味するのか分からなかったが、しかしこの指輪が高貴なお方にしか身につけられないものだということは分かった。


「これをご主人様に見せてみろ」

 男は自信たっぷりだった。

「すぐに気が変わるぞ」

 男の言う通りだった。

 蝋に押された印を見た瞬間、まずメイドの顔色が変わった。次に執事様。そして話はすぐにご主人様に伝えられたらしく、男が屋敷の中に出迎えられることになった。まるで大事なお客様が来た時のように、丁寧に。


「隙を見て、殺せ」

 それはご主人様の命令だった。私は静かに頷いた。

「あの指輪は盗品に違いない。しかし価値はある。男に用はない。晩餐の後、部屋をあてがうフリをして廊下に締め出す。一番東の廊下、牢屋に繋がる廊下だ。そこで殺せ。なるべく汚すな」


 ご主人様の、仰せとあらば。


 晩餐が終わるまでの間、私は昼間に摘んでおいた木の実をアテに酒を飲んだ。もちろん仕事に差し支えがないよう、少なめに。



 玄関ホールは物でいっぱいだった。例の難破船から漂流した美術品の回収で手いっぱいで、とても屋敷の中の整理まで気が回らなかったからだ。色々なものが置かれていた。宝石類の箱詰め、貴重な酒、茶、彫刻、シルク、反物……どれもひとつ売るだけで私五人分の命に相当するものだった。


 酒類と茶に私は夢中になった。何故なら懐かしい祖国の酒、茶があったからである。それも一級品。祖国でも逆立ちしないと飲めないような代物だった。酒類と茶の箱は妙な彫刻の横に置かれていた。顔を覆って、こちらを窺うような彫刻である。その後ろには宝石類の入った箱が置かれていた。その中から覗くルビーの色が私を魅了した。美しい赤だった。


 指輪の男はそんな折に、しかも高貴な指輪をつけてやってきたのだから狙われて当然だった。どうせ近隣の浜辺に打ち上がっていた貴族か何かの貴重品を盗んだに違いない。私でさえそう見込めた。


 問題の時間まで、後少し。


 酒を飲みながら私は懐中時計を覗き見た。これの使い方を知ったのはこの国に買われてからだ。便利な品だと思った。祖国にはない。時間を測る機械なんて。


 約束の時間になって、私は真っ直ぐ屋敷へと向かった。使用人専門入り口からではない。正面玄関から。東の廊下に行くにはそれが一番の近道だからだ。と、同時に私は楽しみでもあった。今日浜辺から回収された品々を見るのが。


 玄関の大扉を開ける。しかしそこで声を上げた。


 血。


 いや、これから見るはずだったものである。あの謎の男を殺し、多少なりとも漏れ出るであろう液体である。


 しかし私はこの展開を予想していなかった。そしてその血の主を見てさらに驚いた。


 お坊ちゃま……。


 死体の頭はなかった。まるで熟した木の実が地面に落ちたかのように破裂して、飛び散っていた。脳髄と思しき、白子のような物体が血にまみれて落ちていた。そしてその臭い。血だった。私がこれから見るはずの血だった。しかし若い……いや幼い……血は臭いが違った。どこか青臭かった。


 立ち止まる。何が起きたか分からない。

 周囲を見渡した後、危険がないことを調べ終わると、私は執事様の元へ向かった。見つけたものの報告に。


「ご主人様にはまだ告げるな」


 執事様は現場を見るなりそうつぶやいた。執事様の後にはメイド長がついてきた。カサリナという女だ。


「私が現場を調べる。お前は一度詰所へ戻れ。そして武器を持って戻れ。カサリナ。お前は私とここに残れ」


 私は言われた通り詰所に武器を取りに戻った。私が祖国にいた頃から愛用している刀である。どうもこの刀という道具を西の人間は知らないらしく、しきりに「剣」というのだが、私の祖国では剣と刀は別物だった。突くのが剣、切るのが刀。


 鞘にしまったままの刀を持ってお屋敷に戻った。そしてそこで、驚くべき光景を目にした。


 執事長とメイド長……カサリナ……が死んでいたのである。

 お坊ちゃま同様、頭を弾けさせて。


 刀を抜く。警戒する。誰かいる。そう思った。息を殺す。沈黙。沈黙。沈黙。何もない。誰もいない。


 不穏な気配を察したのだろうか。


 ご主人様がゆっくりと姿を現した。どうやら私の仕事が遅いことに耐えかね、声をかけにきたようである……と、推測できた……。そしてホールの惨状を見て声を上げた。


「お前がやったのか!」

 叫ばれる。私は首を横に振る。こういう時にしゃべれないと難儀である。

「お前か!」

 胸倉をつかまれる。しかし私じゃない。私は必死に首を横に振る。


「この恩知らずがぁ!」

 大柄な西の人からすれば、私一人を担ぎ上げることなど訳ない。ましてや主従関係だ。こちらに反撃は許されない。私はあっさりと床に叩きつけられた。続けざまに腹を蹴られた。呻き声が出る。


 物音を聞き付けて同僚がやってきた。そして玄関ホールの惨状を見て息を呑む。しかし混乱状態の同僚にご主人様が告げた。


「こいつを牢屋に入れろ! 明朝八つ裂きの刑だ!」


 かくして私は牢屋に入れられた。今にして思えば、これが神の救いだった。


 静寂だけがあった。牢屋に音はなかった。

 それは私が……私の流派が……選んだ黙秘に近しい状態だったので、私は却って安心した。だから微かな音とともに光が差し込んだ時、私は却って動揺してしまった。飛び上がらんばかりの勢いで振り返ると、そこには同僚がいた。息を荒くし、ひどく混乱した様子で。


「わ、訳が分からないんだ……!」

 同僚が叫ぶ。

「ご主人様が殺された! 今奥様が玄関に行ったんだが、気づいたら奥様も殺されていた! メイドも五人……この屋敷にメイドは五人しかいなかったよな?」


 私は頷く。私の知る限りだと、掃除婦が二人、料理人が二人、雑用が一人。それにメイド長と、執事様が加わる。七人でお屋敷のことを回していた。ご主人様の家族はお坊ちゃまと奥様を含めて三人。つまり、ほぼ壊滅状態ということだ。私たちを除けば。


「あの男がやったに違いない! あの怪しい男が! あいつ腰に剣を持っていたし、間違いなくあの男が……」


 あいつの持っていた剣はカットラスというものだ。南の部族が持っている、突くことも切ることもできる剣と刀のいいところどりのような武器。その分扱いも難しいが、船の上や、馬上といった不安定な場で単純に振り回すだけならそれなりに強い。つまり、あの男は船乗りか……そうじゃなければ、北の騎馬民族に関係する人間だと判断することができた。


「来てくれ! 十人も殺した相手だ! 俺一人じゃ手に負えねぇ!」


 同僚も私と同じように刀を持っていた。同僚は私を牢屋から出すと、私の刀を手渡してきた。


「抜いておけ。何が起きるか分からん」

 私は身振りで謎の男の所在を訊いた。

「客室だ。東の来客室。一番汚い部屋」

 あそこか。私は屋敷の図を考える。あの部屋の窓からなら、壁伝いに玄関に行けなくはない。何かしたのだろう。そう判断するのに苦労はしなかった。


 同僚と二人で、東の客室に向かう。起きている事態とは裏腹に、東の客室廊下は何だかほっとするほど静かだった。私たちは客人の部屋の前に立った。


 慎重に、ドアを開ける。

 大いびきが聞こえてきた。


「ね、寝ている……?」

 同僚が声を震わせる。

「寝ているな……?」


 刀を持って近づく。これなら訳なさそうだ。


 しかし刀を持って近づいた時だった。


「寝首を掻くのは紳士としてどうなのかなぁ」


 ドアの後ろから声がした。あの男がカットラスを構えて立っていた。と、同時にベッドの上にいた男が消えた。まるで霧のように。「気」を使ったのだとすぐに理解できた。


「お前! よくもご主人様たちを!」

 同僚が叫ぶ。しかし男は首を傾げる。

「何か起きたのか?」


「お前が殺したんだろ!」

 同僚の言葉に男がさらに訝し気な顔をする。

「殺し?」

「どうやったか知らないが頭が弾け飛んでいた!」

 男がさらに不思議そうな顔をする。


「俺は何もやってない」

 しかしその言葉が信用できないことくらい私でも分かった。


「お前しかいないだろ!」

 同僚が叫ぶ。私も同感だった。


「なぁなぁ、おい、考えてみよう。俺は殺してない。お前らも殺してない。どういうことか分かるな? 俺たちは危機に陥っている」


 同僚が黙る。


「よし分かったこうしよう」

 男がカットラスを鞘に納める。

「俺の手を縛れ。そうすりゃ安心できるだろ。靴にナイフ? 調べていいぜ。ほらよ」


 靴を脱いで放る。ボロクズみたいな靴だった。おそらく革靴だったことは見て取れる、という程度の。一応調べる。


「て、手を縛るぞ」

 同僚が腰に用意しておいたロープで男を縛り上げた。不審者を縛り上げるために門番が常に持っているものだ。男は素直に縛られた。


「安心したか? よし、行くぞ」

「行く?」


 男は首を傾げる。

「何かあったんだろ。調べないとただ殺されるだけだ」


 勇ましかった。両手が使える、私と同僚よりも。私たちはほとんど引っ張られるようにして玄関ホールへと向かった。そして惨状を見た。


「こりゃひどい」

 男がヘラヘラと口にした。

「誰がやったんだ?」


「お、お前だろ!」

 同僚が叫び、刀を抜く。

「白状しろ」


「じゃ、俺をこの屋敷から放り出せ。俺さえ安全なら文句は言わねぇ」

「そうはいかん」

「でも領主さまが死んだんだろ? 誰が俺を裁くんだ?」


 この領地では領主様が絶対だった。犯罪は領主様……つまりご主人様……が裁く。しかしその領主様がいないとなったら……。どうしようもない。


「お、お前が殺したんだ!」同僚が叫ぶ。「お前しか……」

 と、男が鋭い目を床に投げた。つられて私たちも床を見る。


 カード。


 数枚のカードが床に散乱していた。よく見るとそれは、弾き飛ばされたご主人様や、執事様、お坊ちゃまを含め全員の頭部……があった場所……に置かれていた。内一枚を、私が近づいて拾う。そこにはこう書かれていた。


「見ないで」


 それだけだった。他のカードも拾ってみる。血にまみれた白のカードには、どれも「見ないで」とだけ書かれていた。不気味だった。何を見てはいけないのだろう。


「死に際の伝言か、あるいは殺した奴が残していったか……」

 男がつぶやく。

「何にせよ俺じゃない」


「どうしてそう言える!」

 同僚が吠えた。すると男が訳もなさそうに答える。

「俺は字が書けない」

 試してもいいぞ。しかし同僚はその提案を突っぱねた。

「書けないフリをするかもしれない! お前なんか信用……」

 と言って、同僚が振り返った瞬間だった。


 同僚の頭が弾け飛んだ。


 何かが飛んできたことは目に見えた。白い不思議な影が目にも留まらぬ速さで近づいてきて同僚の頭を吹き飛ばした。しかしそれが何か分からず私は困惑した。ただ顔にこびりついた、同僚の生温かい血を感じて震えていた。男の目が驚愕に見開かれた。


「見たよな?」

 男が告げる。

「俺じゃない」

 私は頷くしかなかった。


「疑いが晴れたなら俺の手を」

 男が手を差し出す。

「お互い守り合おうぜ」

 その提案を、私は飲むしかなかった。



 しかし状況は不可解だった。


 私と男しかいない。第三者的な視点に立てばどちらかが殺したことは明らかだが、私が犯人じゃないことは私が一番知っている。つまり男が犯人になるわけだが、男の手が縛られていたことは私が知っている。つまり男にも不可能なのだ。誰がどうやって殺したのか。十一人もの命をどうやって奪ったのか。


 男が唸る。男にとっても不可解な状況であるらしい。しかしカットラスには手をかけない。刀を構えた私とは対照的である。男が考える。


「振り返った瞬間死んだな」

 男の顔が恐怖に染まる。


「なぁ、聞きたいんだが」

 男がつぶやく。

「この丘の下に村があったよな? ここにこの物品を……」男は浜に流れ着き、お屋敷に運び込まれたお宝を指差した。

「運んだ連中に、何かなかったか?」


 思い当たることがあった。


 ――奴隷が数名死んじまいましてね。

 ご主人様の領地にいる小作人の言葉だった。

 ――どいつもこいつも頭が潰されてるんでさ。頭のおかしい奴が漂着したみてえです。


「思い当たるんだな?」

 男の声に私は頷いた。

「お前口が利けないのか。何があったかしゃべれないんだな?」

 頷く。

「じゃ、俺が考えるしかないな」


 と、男はお宝の類を見て回った。宝石、酒類、茶、彫刻、シルク、反物、ゆっくりと見ていった。そしてつぶやいた。


「お前、東の人間だな」

 その通りだった。私は頷いた。

「魔法を……お前のそれはカタナだな……切れるか?」

 頷く。我々が「気」と呼ぶものをこちらの人間は「魔法」と呼ぶ。


 男は真剣な顔でつぶやいた。


「試してみてほしい」



 結果として、私は男のおかげで助かった。

 お屋敷を後にする時、男は重たい口調でこう告げた。


「俺はアンソニー・デルモッゾ。キャプテン・アンソニー・デルモッゾだ。お前名は?」


 私は身振りで男に掌を出すように促した。男は……アンソニーは……手を差し出した。


 ――チェン。


 私は自分の名を西の国の言葉で書いた。


「チェン、か?」

 私は頷く。

「さっきはありがとうな」

 男の感謝に私は首を振る。

 だって私一人じゃ、あの謎は解けなかったから。



 それからだ。私とトニー……アンソニーの愛称……が船旅をしたのは。

 私たちは多くの海を駆けた。そこで様々な財宝と出会った。

 あのお宝は……私たちが最初に出くわしたあのお宝は……その内のひとつだった。


「恥辱」


 お宝にはそう名前がついていた。

 ……お宝に名前? 不自然だって? 

 別に不自然じゃない。

 宝石、酒類、茶、彫刻、シルク、反物。これらの中で名前が入るのは酒類、茶、そして彫刻だ。


 酒は私がたっぷり見た。茶もだ。つまり、残る一つが怪しい。残る一つが犯人だったのだ。


「恥辱」


 彫刻にはそんな名前が彫られていた。そして顔を覆う手の、指の隙間には、カードが挟まれていた。それに何が書かれているのかは見なくても分かった。


「顔を見られるとその相手を殺す彫像なんだ」


 トニーが語った。


「呪いの宝だ。顔を見た相手の頭を弾き飛ばして元に戻る。お前の同僚さんの頭を吹き飛ばしたのも、あの屋敷の人間の頭を吹き飛ばしたのも、全部あの彫刻だったんだ。あの彫刻は『顔を見られる』という恥辱に耐えられなかったんだ。だから顔を見た奴を殺すんだ」


 試すことは、出来なかった。死ぬ恐れのある実験をする勇気は私にはなかった。


 今でもあの彫刻の残骸はあの屋敷にある。

 私が絶ったのだ。あの彫刻の「気」を。だから今でもあの彫刻は頭がないまま……あの場所にある。頭がなければ問題がないのかは……頭がないから分からない。さっきも言った通り、死ぬ恐れのある実験をする勇気は私にはない。


 多分人目にはつかない、そういう意味では、あの彫刻は永遠の安らぎを得た。


 今でも時々、考える。


 破壊された顔。もう見ることはできない顔。


 あの彫刻の顔は、どんなのだろうと。

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