第66話:それでもやっぱり腹は減る

 駆け足で、自分の知らなかった母親の話を聞かされたエルフリーデは、うつむいて固まっていた。


 そりゃそうだろう。自分勝手に出て行ったと思っていたが、こんな事実が隠れていたと知ったら。表に出てしまったら国が揺れる話である。


 フィンも黙っている。聞かされたいた話だが、それに衝撃を受けている娘で種違いの妹の落ち込み具合を見て、何か言える状態ではない。


 もちろん俺も、何か気の利いた言葉を言おうと思っているが、40年+17年とはいえ、そんなに人生を経験しているわけではない。いや、結構波乱万丈ではあるが、こういうたぐいのものは無い。


 空気の重さを感じたソフィアが口を開いた。


「だからあまり深く考えちゃダメ、って初めに言ったよね?」


 だから俺は、芸能レポーターが喜ぶ系の話になると思っていた。そうじゃなかった。結構落ち込む系だと思うけど……。


「もうちょっと、良い感じに話すことができればよかったんだけど、要点だけつまんで言うと、結構暗い話になっちゃうよね……」


 当事者で既に済んだことで、もうある程度覚悟があるからこうやって過去のことを割り切れているのだろうか。気丈にふるまっているということでは無いようだ。


 しかし、そう言われても、母親が出て行った新事実と、自分に新しい兄がいたとか、他にも知らなかったこととか、情報過多でまだ頭が整理できていないエルフリーデ。


 ソフィアさんは、そんなエルフリーデの肩を引き寄せて「寂しい思いさせて、ごめんね」と言うと、我慢してた涙が、さっきよりも溢れ始めた。


 周りに構わず泣き叫ぶ娘を「よしよし」とあやすように、頭を撫でている。何か包むような優しさを感じる。


 結果的に、どれも仕方がない事情で、ソフィアさん判断は当時としては一番マシだった選択肢だったのだろう。夫のベン=オイレンも事情を理解しているということは、たぶん夫婦で納得できた結果なのだろう。


 大人びていると思っていたエルフリーデが、感情的になっている姿を見て、少し羨ましくなった。俺もこの世界で甘えることができる本当の家族を持つことができるのだろうか。俺には前の世界でも今の世界でも、夫婦や家族をイメージすることはできない。


 隣まで聞こえたのか、訪ねてきた隣人に「大丈夫です」とフィンが対応していた。この彼もまたこの母親の子なのだろう。冷静にその場を判断しているように見える。



 いつまでも続くと思っていたが、エルフリーデが泣き止み落ち着くまで、小一時間かかった。その知らせは、俺の腹の虫が知らせてくれた。グゥ〜、と。


「あら、タナカさん」


 くすくすとソフィアさんが笑う。涙を拭きながらエルフリーデも続いて笑う。フィンはため息をついて、ストーブの上に鍋を置き、火を入れた。


「お恥ずかしい……」


 気が付けば、サービスエリアらしきところで食べた時から何も胃に入れていない。


「タナカ……もうちょっと空気読みなさいよ」


 そういうエルフリーデはまだお腹が空いてないらしい。そりゃそうだろう。


「エルフリーデはお隣さんのだし巻き卵まで手を出してたけど、俺はそんなに食べてなかったからだよ」


「な! そんな! あの時はタナカは何も言ってなかったじゃない! いま言うなんてずるくない?」


 エルフリーデも泣き止み、さっきとは違ってまた顔を真っ赤にしている。母親の前でされる行動ではないということは理解しているようだ。


 なにより、俺の腹の虫、でかしたぞ。重く苦しかった空気は一変することができた。


 俺とエルフリーデのやりとりを、ソフィアさんは楽しそうに見ている。


「二人のやりとりを聞いて、私は安心したわ」


 にこやかに、こっちを見て胸をなでおろしている。


「タナカさん、ありがとう。この子がこんなに楽しくしているのを聞かせていただいて」


 置いて行ってしまった末娘が、ここに来て、元気にしているということを理解し、納得はしていたが、後悔もしていたからこそ、感じるものがあったのだろう。薄っすら目じりに涙をにじませ、何度も「ありがとう」と言われている。


「お母さん……」


 二人でドタバタしていたが、その姿を見て、またエルフリーデがしんみりし始めそうになったところ、フィンが鍋を開けた。


 ふわぁっと部屋に広がる出汁の匂い。俺もエルフリーデも、ゴクリと唾液を飲み込んだ。いい匂いだ。


「この子の作るスープは美味しいよ」


 息子を自慢する姿は、いたって母親っぽい。そしてフィンが照れ臭そうにする姿もなかなか。


「まぁ、姫様の口に合うかどうかわからないけど」


 本心なのかわからないが、精一杯の照れ隠しをしているのも、案外可愛いところがある。


 二人とも匂いを嗅いだ瞬間に「ゴクリ」と喉の音が聞こえるくらいだったので、心配はないだろう。


「エルフリーデは王女だけど、食にどん欲だからね」


「ちょっとタナカ! またそうやって私が食いしん坊みたいに言う~!」


「でも、美味しい物好きだよね?」


「……否定しないけど」


 俺たちのやり取りで、この空間を温めることはできたようだった。ソフィアさんも笑ってくれている。フィンは笑うことになれてないのだろうか、ぎこちなく笑ってくれている。



 たしかに、ソフィアさんの言うとおり、フィンの作ったスープは美味しかった。聞くと、ショーパブで余った魚の骨をもらい、出汁に使っているということだった。


 ショーパブでの仕事は、客に出す料理に使う食材で賄いが出たり、あまったら持って帰ることもできる。食べ物に関しては苦労はないようだ。あまり物での調理も慣れたものらしい。


「そういえばこの前、蕎麦を育てたの!」


 エルフリーデは楽しそうに近況を話している。ただ、まだ過去の話を出せないようで、当り障りない話をしているように見える。


 ソフィアさんも楽しく聞いているが、時々疲れているような表情を見せた。


 よく見ると、スープにほとんど手を付けていない。フィンは気遣って聞いているが、あまり摂ろうとしていないようだった。


「大丈夫?」


 食器を下げていたフィンに近寄り、尋ねてみたが、「いつものことだから、問題ないと思う」という回答。


 いつもと同じってことは、食べないから痩せているのか、食べられないのか。俺が詮索することではないが、何かあったらエルフリーデが悲しむことになる。


 せっかく出会うことができ、テンションが上がっているエルフリーデ。母親が少し疲れ始めているのも気づいていないようだった。俺は、そろそろ帰ったほうが良いかフィンに聞くと、「今日はそのほうが助かる」ということだった。


「ソフィアさん、そろそろ今日はお暇しようと思います」


「あらそう?」


 気を使って、もっといても良いような言い方をしてくれるソフィアさんだけど、明らかに疲れている表情だ。


 エルフリーデは後ろ髪をひかれているが、「明日も来ようね」ということにしてその場を収めた。

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