第35話:ある森の中で

 籠に2人乗せ、御者がいる馬車に追いつくのは難しくなかった。


 日も暮れ始め、夕方になっているところの森の中は、暗くなっていた。


「馬を休めているのか?」


 森の木々に隠れて、止まっている馬車の方向を見つめた。


 馬は1頭しかいないので3人と籠を引くとかなりの労働だろう。川の水を啜っている。


 御者が籠の扉を開けて、領主・シュテファンが降りてきた。鬱蒼とした森の周りを見ている。顔に寄ってくる虫が気持ち悪いのか、ご不満な様子だ。


「だったら、ゆっくりでも良いから降りずに進めばよいのに」


 森の中は夕方でも草いきれがある。村の領主とは言え貴族のシュテファンにとって、あまり良い香りじゃないのかもしれない。だったら尚更森の中で降りている理由はわからない。


「でもチャンスか……」


 籠のドアは開いたままである。乗ってきた馬を木に縛り、俺は少しずつ近づいていく。シュテファンは御者と、この場所の確認をしているようでこちらには気づいてない。


 籠のドアが開いている反対側まで足を運んだ。中を覗くとエルフリーデがまだ眠らされている。


「体に傷は……なさそうだ」


 胸をなでおろし、ドアを開けようとしたが、こちら側は内側から鍵がかかっていて開きそうにない。


「チッ」


 中のエルフリーデが起きる様子がないので鍵の指示は出せない。向こう側に回らないとダメなのか。しかし確実に見つかってしまうだろう。


「だけど、相手は2人か……」


 シュテファンを見る限り、剣に長けているようには見えない。体は無駄な脂肪が多く、地方で堕落した生活をしている貴族だろう。村民が貧しい暮らしを強いられているにもかかわらず、領主が肥えている。おそらく俺は負けると思えないし負けたくない。御者は命令されてきているだけだろうだが、申し訳ないがついでに倒す。


「ヤるか――」


 剣を抜き、馬のいない籠の裏側に回り込み、息を整えた。


「ふぅ……」


 一歩踏み出そうとしたその時、急に何かに気づいたようにシュテファンが声を上げた。 


「来たか!」


 見つかったか? と俺は思い、籠に隠れるようにしゃがみこんだ。しかし、俺が見つかったわけではなさそうだった。


「こんな時間にこんなところ……何とかならんかったのか?」


 籠の下から声の方向を見ると、向こうにも馬車と人の足が2人分見えた。どうもシュテファンはここの場所で待ち合わせをしていたようだ。


「なかなか表に出て話しできる案件じゃないから、仕方がないだろ」


「とはいえ……まぁ良いや、今日はどうして呼ばれたんだ? 手紙には時間と場所しか書かれてなかったが」


「あぁ、そっちでお世話になるための手土産として、かなり上等なものが手に入ったからな。お前さんに品定めしてもらおうかと思って」


 シュテファンと話をする人物が籠のあるこちらに近づいてきている。俺はまた閉まっているドア方向へ身を隠した。


 なんとか隙間から姿を確認できたが、隣国ビンデバルトの貴族のようだ。衣装がやや異国感がある。馬車が来た方向を考えても間違いないだろう。


 となりの文化を貶すわけではないが、すごく成金趣味のようだ。ゴテゴテとキラキラする宝石や貴金属を身にまとっている。あまり良いと思えない。


「ほぉ、これはなかなか綺麗な金髪だな」


 品定めということだったので、人身売買に加担しているのだろうか、エルフリーデの髪の毛を触る行為がどこか生々しい。


「しかも、サラサラしている……服装は汚れているがそれほどくたくたではないし……これはどこかの貴族の娘か?」


「さすが、お前さんは見るところが違うな。なぜか小屋で寝泊まりしていたようだが、かなりの上玉だ」


「どういうことだ?」


「この娘、ベン=オイレンの娘だ」


 その言葉に、相手側は表情を凍らせた。


「なんだと?」


 王女と分かっていて拉致をしたとなると、このシュテファンという男はかなりしたたかじゃないだろうか。俺は、この簡単な装備で来てしまったことに後悔した。周りには何もないところだが、もしかしたら誰か隠れているのかもしれない。村を出る前に、門番に伝えて支援を待った方が良かったのかもしれない。


「どうしてか、従者と二人で村に来てたみたいで、そっちの爵位をもらう時に良い手土産になるだろうと思ってな」


「ふむぅ……姫かぁ……」


 シュテファンが自信満々に言うほど相手側も歯切れが悪い。それはそうだ。過去に争いはあったにせよ、今は国交正常になっている国同士。その相手側の姫をどう扱ってよいか、簡単なものではない。売買をするにせよ、どれだけの高値になるか、もしくは全く値が付かないか。どの闇マーケットへ流せばよいのか、すぐに検討がつくものではない。


「なにを躊躇しているのだ? とてつもなく、お前さんのつけている装飾品よりも高価で価値があるぞ? 真の意味で国が買えるくらいにな」


 ハハハと、下品な笑いを響かせる。高価なものを手に入れた高揚感がそうさせているのだろうか、元々本人が持っている者だろうか、わからない。


「くっ……」


 俺は責任を感じている。近すぎてその存在の価値に気づいていなかった。本来あるエルフリーデの輝きは直視できないほど眩しいものだったのかもしれない。前の世界で世を捨ててしまった俺は、どうせ仕方がない、という思いから、見ようとしなかったのかもしれない。何となく前の知識で人を救ってこれた緩く続いていた日常だったので、この世界でも甘く考えていた。


 しかし、後悔してこのまま逃げてしまうつもりはない。俺に何か期待してついてきてくれた女の子を見過ごすなんてできない。15歳の女の子一人守れないで、何が「俺はオジサン」だ。自分の価値なんてどれほどのものか。そんなことはどうでも良い。


 覚悟を決めて改めて確認すると、いるのは4人。シュテファン、相手側の貴族、その双方の御者2人。順番としてはシュテファン→相手側の貴族→御者だろう。最悪殺してしまうことに成るかもしれないが、その時は仕方がない。エルフリーデの命が優先としよう。


 シュテファンはまだ下種な内容の話をしている。上手く交渉がまとまらなさそうでイライラしているようだ。


 この世界に来て剣に覚えがあるとはいえ、多勢に無勢。さらに失敗するとそのままエルフリーデが危険にさらされる可能性も高い。


 タイミングを見計らっているところ、後ろから肩を叩かれた。


「!?」

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