第9話:居酒屋でオヤジのナンパ

 この国も街も、戦争の後、今から10年くらい前まで、衛生的に非常に悪かったらしい。


 川も濁り、飲み水に困っていたところ、ニコーレは昔から地下水を汲み上げた井戸を持っていた。だから普通にお茶を出すだけでお客さんがきていた。


 俺から言わせると、そこから何も努力してない結果が今に至るのではないかと。


 時代は豊かになってきて、各ブロックごとに深い井戸を掘る技術が浸透していった。さらに、川の水も浄化されはじめ、街の人が飲み水に困ることがなくなった。


 ゆえに、喫茶ニコーレの客足は遠のいたというわけだ。


「俺は、仕方がないと思ってるんだよ……」


 アンドレアから言われたことで、パパ・ヴェルナーに飲み屋に連れられて、延々となぜ店がダメになったかという話を聞かされている。


「おめぇ、もっと飲めよ」


 酔っぱらって、さらに絡まれるように語られている。面倒だ。


「飲んでるって……」


 この国は16歳から飲酒が良しとされているようだった。17歳の身なりだが、なかみは40のおじさんなので飲める。しかも、失敗しないように飲める。前の世界からこっちに来たのは、酔った勢いに任せてしまったことが原因なのはわかっている。何度となく後悔したが、前の世界に親兄弟親戚の類がいないので、結果的にこっちの世界でも特に心残りなく過ごせている。その都度後悔はしているが。それも教訓として。


「で、結局は時代に流されるままやってきたために、取り残されて貧しいってことだろ? そんなのは俺からしたらいいわけでしかないよ。さらにアンドレアに心配かけさせるとか、親なんだろあんたは?」


「ま、まぁそうなんだよ……な」


 このヴェルナー、気性の荒さはあるが、結構素直だったりもするようだ。娘のことを考えるとすぐにシュンとなる可愛いところがある。


 髭モジャの小柄な男が酒を持って隣に座ってきた。落ち込んでいるヴェルナーの背中をさする。


「こいつはよぉ、稼ぎがやばくなったから、嫁さんを実家に帰したんだよ。娘も嫁もみすぼらしくさせたくないって思いでね」


「トーマス! 若造に、つまらねぇこと、言うんじゃ、ねぇよ……」


 恥ずかしく怒鳴ろうとしたが、酔いが回っているヴェルナーに止めるだけの余力は残っていなかった。テーブルにうつ伏せている姿を見つつ、トーマスは続ける。


「ヴェルナーは律儀でな。嫁さんの実家が農家で、義父母に頭を下げて、手伝わせてもらっているんだよ」


「どういうこと?」


「嫁さんが手伝って、作った農作物を売って稼いでもらってんだよ」


「娘……アンドレアは知ってるのか?」


「いや、伝えないってことにしてるみてぇだ」


「どうして……」


「それは親父としてのプライドがあったり、母親としての考えがあったり。夫婦の問題だろうから知らないよ。でも、ニコーレ……あ、これは店の方の話だぜ、ニコーレの売り上げも戻りそうな気配が無いし、プレッシャーに耐えられなくなってんだろうな」


「意地張ってるようだけど、苦労してんだな……。娘の気持ちも考えてやれたらもう少し良くなると思うんだけどね。あんがいしっかりしてるぜあの子」


「そうだな、アンドレアはニコーレにそっくりで、子供なのにしっかりしてると思うよ」


「……ところで、ニコーレが店の方とは?」


「あぁ、ニコーレはヴェルナーの奥さんの名前だよ。好きすぎて店名にしちゃくらいだから、今でも愛してるんだよ」


 いきなり俺を睨みつけて、第一印象最悪だったこのオヤジが、と思うと、ますます良いやつに見えてきた。そして聞こえていたのか、耳がかすかに動き、目を開いてトーマスを睨んだ。


「トーマス……それ以上言うんじゃねぇよ」


「わかってるよ。でもな、何とかしてほしいのは俺も同じなんだよ」


 聞くところによると、トーマスは芋屋をやっているようで、売り物は芋を輪切りにして焼いたもの。味付けは塩。栄養を摂取する文化のこの国なので、それで昔から商売として今も成り立っているのだが、芋の仕入れ先がニコーレの実家の農家だった。


「ヴェルナーのところへ少しでも多く送金したいということで、もっと芋を買ってくれないかって相談があってな」


「買ってやれないの?」


「この街の人口も増えてないし、ここ1~2年ほど若い女性が芋を食べ減らす傾向にあってな……」


「なんで?」


「ダイエットとか言って、主食の芋を減らそうとしてるみたいなんだよ。なのに、取引量を増やしてほしいと言われると……でも状況は知ってるだけにな、どうしたら良いものかと思案してるわけだ」


 街を見ても、太っているという感じではなく、肉付きが良い女性の印象があったが、余裕ができてくると、世界は変わっても女性はスリムの美を求めるようになるのだろうか。


「俺は、みんながふっくらしているのは裕福な人が増えている傾向だと思うし嫌いじゃないと思ったけどね」


「だろう? だから、俺の芋屋もヴェルナーの喫茶も、さらに街の男女ともに健康的になるような環境を作れないか、って思ってるんだよ」


 このトーマス、髭モジャ小柄男だが、心は澄んで大志を抱いているように思えた。町長選挙みたいなのがあれば立候補しそうな真面目さんかもしれない。


「で、なんで俺にそんな話をしてくるんだ?」


 トーマスが俺にぐいぐいと野望を語ってきたのには理由があった。


「俺は今日、ニコでリゾットとやらを食ったんだよ。あれは良い。美味しいっていうのはあの体験のことなんだなぁと。で、店の奥を見たらいつもいるハンスとイルゼ以外にお前がいたわけだな。ってことは、あれを作ったのはお前ということが分かった。で、だ、たまたま飲んでたらヴェルナーとお前がいたから声をかけたってことだよ」


 真面目、さらに策士か! 端からターゲットにされていたようだ。しかも、俺が考えたのもバレてたみたい。


「だから、相談できないかなぁと思ったんだよ……どうだ?」


「どうだと言われてもなぁ……」


 先にアンドレアから頼まれてる喫茶ニコーレを何とかしなければならない。


 とはいえ、俺が伝えたリゾットを美味しいく感じ、自分の芋屋でも何かヒントをもらえないかという変化に貪欲な姿勢は、コンサバな考えが多そうなこの街では貴重で面白そうな男だ。


 俺が悩んでいると、体を起こし、顎肘をついて、軽くうなりながらヴェルナーが言う。


「つまりだ、トーマスのところが上手くいけば、ニコーレと実家も喜んで、うちもやりくりしやすくなる。だからうちよりも先に、トーマスを何とかしてやってもらえないか。さらに、トーマスはこの前、子供ができたばっかりで、何とかしなきゃって思ってるみたいなんだよ」


「うわぁ、断りづらい理由だなぁ」


「ってことだから頼むよ……え~っと、そういえば名前は何て言うんだ?」


「タナカだよ」


 それを聞き、トーマスもヴェルナーも「タナカ? 変な名前だな」と。


「らしいね」


 俺は仕事として受けることにした。対価はわからないが成功報酬で。

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