時計の社会

バブみ道日丿宮組

お題:近い時計 制限時間:15分

時計の社会

 人の生命は時計と同じである。いや近くなったというのが私の見解であって、世界一般的に時計として捉えるのは少ない。時限爆弾というふうに考えてる人が多い。

「……」

 教室を見渡すと、腕時計をたまに見る生徒が多い。自分の生命がどれだけ減らされたか増やされたかを気にしてるためだ。

 腕時計は生命が電池のように確認できるようにと学者が設定し付けたものだ。ちなみに数値がゼロになれば、どこであろうと死ぬ。逃げ場なんてない。

 これは単純に生命が政府に管理されてると言ってもいい。

 この胸の鼓動が時計の針と近い音を立てるように、時計の針が音を止めると心臓が停止するという至極わかりやすいたとえだと私は思う。まぁ時限爆弾が一番しっくりくるのは致し方ないのかもしれない。

「げっあのせんこー10年分減らしやがった」

「あんたいじめてたのチクられたからでしょ?」

「もういじれねーじゃん……」

 いじめる奴がいじめられた奴に生命を制御される。その逆は起こり得ない。悪いことと判断したことのみ、政府が許可し実行される。

 なおこの時計は産まれた瞬間から心臓の中に埋めつけられる。人が人であるために法が法であるがために決まったことである。

 加えて、監視カメラも常時設置されており悪いことを言いつけられなくても悪即斬されることは日常的にある。

 最近では教師が生徒に性的セクハラをしようとしたがために、寿命の残りを一日に設定されたのが記憶に新しい。

 もちろん、死が近いからと日常生活を放棄することは許されておらず、その教師は授業中に突然停止した。まるでロボット。その光景に誰も悲鳴をあげず、教室に設置されてある政府へのインターフォンで死体の回収を連絡するのである。

「……」

 死体は生者のために解体され、部品として永久に機関へ保管される。葬式などは行われない。死ぬということは自分が悪いことをしたということと同義で誰も評価できることではない。

 ただ親族が悲しむぐらいはある。

 私の姉は主犯格ではなかったが、あるチンピラグループの運び屋としていいように使われて登校中に死んだ。

 何を隠してたのかはわからないが、毎日ひどく怯えてた。

 人に時計を見せるということは身内であろうとほとんどしない。それは自分がどんな人であるかを証明することにもなる。そのために意味不明な死が多いのも事実。しかたないといえばしかたないかもしれない。

 人は潔白でありたいと願う。

 その裏で、どんだけ汚れたことをしたとしても結果が生命に返ってくる。

 そうならば、生きるということはなんなのだろう。

 

 管理された世界で生きることはーーやはり時計の針に近い。

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時計の社会 バブみ道日丿宮組 @hinomiyariri

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