〈四月〉小さな大冒険

 今日は春休みの最後の日。

 お父さんもお母さんもお兄ちゃんも朝からお出掛けで、瑠璃子るりこは夕方まで一人でお留守番。

 家を出る時、お母さんは「ほんとに一人で大丈夫?」と瑠璃子に聞いた。

「大丈夫だよ。部屋で昨日買ってもらった本を読んでるから」

「それじゃ、ちゃんと鍵を閉めて、いい子にしているんだぞ」

 車の運転席から言ったお父さんに、瑠璃子は手を振って見せた。

「行ってらっしゃい。気を付けてね」

 道の向こうに消えて行く車を見送って、瑠璃子は家に入った。そして二階の自分の部屋に戻り、机に向かって本を読み始めたのだけれど、いくらもしないうちに眠ってしまった。



 瑠璃子ちゃん、瑠璃子ちゃん……と、誰かの呼ぶ声で、瑠璃子は目を覚ました。

「瑠璃子ちゃん、起きて」

 一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。何だかごわごわしたものの上に寝ているみたいだけれど……。

「これ、何?」

「瑠璃子ちゃんが読んでいた本だよ」

 言われて見ると、確かに文字が書いてあった。巨大な文字が! それは何と巨大な本だったのだ。

「あ、開きっ放しだ」

 瑠璃子は本の表紙を閉じようとしたけれど、重くて持ち上げることが出来なかった。

「だめだー」

「誰か手伝ってあげてよ」

 その声に反応して、瑠璃子の足下の、巨大な引き出しがすっと開いた。それを見て、瑠璃子は自分が巨大な机の上にいることに気が付いた。巨大な机――? 違う。本や机が大きいのではなく、瑠璃子の体が小さくなっているのだ。今読んでいたこの本、『不思議の国のアリス』のように。

 瑠璃子が驚いている間に、引き出しの中から次々と指人形たちが出て来て、本の表紙に取り付いた。瑠璃子が慌てて手を伸ばした時には、本はもう小さな指人形たちによって閉じられていた。

 瑠璃子は改めて、自分の体を見下ろした。小さくなったと言っても、普段とあまり変わらない。手足もちゃんと動く。体が軽くて飛んで行っちゃいそうだとか、そんなこともない。

 ぼんやりしていると、指人形たちが纏わり付いて来た。表情は変わらないし、何も喋らないけれど、自分の意思で動いているように見える。

「おーい、瑠璃子ちゃん」

 机の下から声が聞こえたので、瑠璃子は膝を突き、縁から身を乗り出して覗いてみた。

 椅子の陰に立っていたのは、テディベアのマシマロだった。

「あ! さっきから話し掛けてたのってマシマロだったの?」

「そうだよ。とにかく下りておいでよ」

「どうやって? はしごもないのに」

「飛び下りたらいいよ」

「えー、こわいよ」

「大丈夫、僕が受け止めてあげるから。さ、早く」

 下は絨毯だし、うまく落ちれば痛くないかも。瑠璃子は思い切って、えいっと飛び下りた。

 指人形たちが、まるで守るように周りにくっ付いて来た。瑠璃子の体はマシマロよりずっと小さくなっていたので、ふわふわした腕の中にすぽんと着地することが出来た。

「よくやったね、瑠璃子ちゃん」

「ありがとう。ねえマシマロ、どうして普段からそうやって話してくれないの? 瑠璃子のいるところでは全然動かないよね」

「何言ってるのよ。私たちはいつだって動いているわ。あんたたち人間が気が付いていないだけよ」

 声のした方を振り返ると、猫のぬいぐるみがタンスの上から見下ろしていた。

 わー、シャーベットだ。シャーベットも動いて喋ってる!

「人間ってほんとに鈍いんだから」

 シャーベットはひらりとタンスの上から下りて来た。

「そうなの?」

 瑠璃子はマシマロの方を見て聞いた。

「君たちには、僕たちは人間の十倍の早さで動いているように見えるらしいからね」とマシマロ。

「えー、十倍! 一秒が十秒になるってこと?」

「そうそう、例えばこっちからあっちへ動いてまた戻ったとしても、せいぜい二、三十秒だから、人間にとっては二、三秒にしかならないんだ」

「そんな速かったら見えないわけだね。でも、どうして今は見えるのかな」

「そりゃあ、君も今は人形だからね」

 瑠璃子は本棚の上の壁に掛けてある時計を見上げた。時間は十二時を少し回ったところ。

「お母さんたちが帰って来るのは五時だから、たっぷり遊べるね!」

「いいけど君、食事はどうするの? お昼ごはん、まだだよね?」

「あ、そう言えば、おなかすいたな。十倍の早さで動いてると、十倍の早さでおなかがすくのかな」

「それじゃあ、まず台所に行こうか」

 振り返って見ると、ああ、良かった! 子供部屋のドアは開いている。

「君はいつも閉め忘れるから」とマシマロ。

「よし、じゃあ、台所に出発!」

「待って」

 走り出そうとする瑠璃子を、マシマロが止めた。

「君はそんなに小さいんだから、何の用意もなしに行くのは危険だよ」

「大丈夫だよ。よく知ってる家の中だもん」

「今は違うよ。……誰か頼りになる人が一緒に来てくれるといいんだけど……」

「私はごめんよ。めんどくさいし、眠くなっちゃった」

 シャーベットはあくびをしながらタンスの上に戻ってしまった。

「困ったな……」

 マシマロが考え込んだ時、どこからか声が聞こえた。

「私がお供致しましょう」

 続いて、本棚の方からカタコトと音がし始めた。

「ここから出して下さい」

 瑠璃子はマシマロに持ち上げてもらって本棚の戸を開けた。かなり力が要ったけれど、何とか少し動かすことが出来た。

 本の間から出て来たのは、兵隊の人形だった。瑠璃子はこの人形をここに閉じ込めたことを、すっかり忘れていた。いつだったかいとこと遊んでいた時、喧嘩して右腕を引きちぎってしまって以来、本棚の奥に入れっ放しにしていたのだ。咄嗟に名前も思い出せず、瑠璃子はいたたまれない気持ちになった。

 兵隊の人形は片腕で上手にバランスを取って、本棚から下りて来た。そして、絨毯の上に片膝を突いてお辞儀した。

「私をお連れ下さい」

 マシマロは目を丸くして見つめた。

「アコーディオン、君がそんなところにいたなんて知らなかったよ。どうして今まで声を掛けなかったんだい?」

 マシマロのおかげで、兵隊の名前はアコーディオンだということがわかった。とは言え、聞いてもあんまりぴんと来ない。

 ――あ、そうか。アコーディオンは元々お兄ちゃんの人形だったんだ。だから、名前を付けたのもお兄ちゃん。瑠璃子がだだをこねて欲しがって、無理矢理譲ってもらったんだっけ。

 マシマロの質問に、アコーディオンは答えなかった。ただ黙って立っているばかりだ。

「まあいいや。君が来てくれるなら心強い」

 マシマロはアコーディオンの肩を軽く叩くと、瑠璃子の方を見て言った。

「さあ行こう、瑠璃子ちゃん」

「うん」

 ちょっとためらってから、瑠璃子はマシマロのあとに付いて歩き出した。アコーディオンが瑠璃子たちの背後を守るようにして続く。

 階段の上まで来た瑠璃子は、思わずあとずさりしてしまった。

「ここを下りるの?」

 一階へ下りる階段は、一段一段が瑠璃子の身長より高く、一番下は見ているだけで震えて来るほど遠い。まるで山の上にいるようだ。

「だからいつもとは違うって言っただろ」

 マシマロがくすくす笑う。

「全部で何段あったっけ……」

 ヘたり込み、早くも引き返したくなりながら瑠璃子は呟いた。

 マシマロがぴょんと一段飛び下りた。

「さあ、さっきみたいに受け止めてあげる。勇気を出して」

「でも、うっかりしたら一番下までまっさかさまでしょ。この階段、意外と滑りやすいんだよ」

 アコーディオンが前に進み出た。

「私に掴まって下さい」

「でも……」

「私が信じられませんか?」

 瑠璃子はアコーディオンを傷付けたくなかったので、そっと彼の手を取った。マシマロも手を伸ばして瑠璃子を支えてくれた。

 上と下の両方から守られていると、恐怖はあんまり感じなくなった。指人形たちが邪魔にならないよう一列になって、端の方をぴょんぴょん下りて行くのを見て笑うだけの余裕も出来た。

 時間が掛かったけれど、何とか階段の下に到着。瑠璃子は大きく息を吐いた。

「何だかすごい大冒険みたい。こういうのも楽しいね」

「まだまだこれからだよ」とマシマロ。

 瑠璃子たちはぴょんぴょん跳ねる指人形たちを先頭に、台所へ向かって歩き出した。

「お昼はゆうべのシチューの残りを食べなさいって、お母さんが言ってた」

 歩きながら、瑠璃子はみんなに教えた。

「鍋の中に飛び込むつもりならね」

 マシマロが意地悪そうに答える。

「あ、そうか。それなら、テーブルの上のパンとチーズをかじればいいよ。ネズミみたいに」

 それも簡単には行かなかった。台所のテーブルは、瑠璃子の机など問題にならないくらい背が高かったのだ。テーブルの足の一本一本が、そびえ立つ塔のようだった。

「こんなの上れっこないよー」

 瑠璃子は思わず絶望的な声を出した。

「まず、椅子に乗ればいいよ。それから、椅子の背を伝って……」

「無理だよ。取っ掛かりも何もないのに」

 マシマロは口を閉じた。多分、自分でも出来ないということがわかったのだろう。

「シャーベットだったら、楽に飛び乗れただろうになあ」

「あ、じゃあ、呼んで来ようか」と瑠璃子。

「あの階段を往復してたらおなかがもたないだろ」とマシマロ。

 アコーディオンは無言で床に落ちていた栓抜きを拾い上げた。

「それを使って上るの?」

 ハーケンを想像して瑠璃子は言った。うーん、でもちょっと難しいんじゃないかな?

「いいえ。これは武器です」

 アコーディオンは冷静な声で答えた。

「武器?」

 瑠璃子が聞き返した時、キイキイと甲高い声が響いた。

「ネズミだ」

 マシマロがぞっとしたように叫んだ。

「ネ、ネズミ?」

「瑠璃子ちゃんが呼んだりするからだぞ」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 謝りながら、瑠璃子はマシマロの後ろに隠れた。

 ネズミが特別苦手なわけではなかったけれど、自分とほとんど変わらない大きさで、台所の隅から次々と現れるのを見ると、震え上がらずにはいられなかった。

「シャーベットだったら、やすやすと撃退出来ただろうになあ」

 マシマロがぼやく。

「私に任せて、下がっていて下さい」

 アコーディオンがきっぱりと言って栓抜きを構えた。

 けれど、瑠璃子は頷けなかった。瑠璃子のせいなのに、アコーディオンを盾にして逃げることなんて出来ない。それに、アコーディオンがいくら兵隊でも、左手だけで巨大ネズミの大群に敵うわけがない。

 今にも飛び掛かろうとするネズミたちに向かって、瑠璃子は叫んだ。

「やめてー、お願いだから、話を聞いて!」

 ぴたっと、ネズミたちの動きが止まった。

「……話だと?」

 一番前にいたネズミが口を開いた。

「お前たちは、俺たちの縄張りを荒らしに来たんじゃないのか?」

「違うよ。おなかがすいたから、ちょっと食べる物が欲しかっただけ」

 ネズミは上を見た。

「あのテーブルに乗っているやつか?」

「うん」

「食べ物が手に入れば出て行くんだな?」

「うん、そうする」

「それなら取って来てやろう。そこを動くんじゃないぞ」

 三匹のネズミがテーブルの足を上って行った。

「落とすぞー」

 合図と一緒に、テーブルの上からまずパンが、次にチーズが、そして最後にはバターも少し降って来た。

「わあ、ありがとう。こんなにたくさんいいの?」

「俺たちはレディーには優しいネズミだからな」と、最初のネズミが言った。

 瑠璃子たちはパンとチーズを持てるだけ持って台所を出た。

「親切なネズミさんたちで良かったね」

 パンを小さくちぎって口に入れながら、瑠璃子は上機嫌でマシマロを見た。あれ、何だかマシマロは面白くなさそうにむっつりしている。どうしたんだろう?

 瑠璃子たちは来た道を引き返して部屋に戻った。階段は上がる方が大変だったけれど、下りる時ほど怖くはなかった。

「あら、早かったわね」

 部屋の真ん中に寝そべっていたシャーベットが瑠璃子たちを出迎えた。

「指人形たちはどうしたの?」

「えっ?」

 瑠璃子はびっくりして振り返った。そこに指人形たちは一人もいなかった。

「付いて来てると思ってたのに!」

「どこへ行ったんだろう? まさか台所でネズミたちに捕まっちゃったんじゃあ……」

 マシマロの言葉に瑠璃子は青くなったけれど、アコーディオンは首を振った。

「ネズミに驚いて、台所の外へ一目散に逃げて行くのを見た」

「怖がってどこかに隠れてるのかも。探しに行こう!」

 瑠璃子たちはパンとチーズを床に置き、また階段へと戻った。今度はシャーベットも付いて来た。

「指人形たちって、全部で何人いたっけ?」

 マシマロが尋ねる。

「えーと……七人だったと思う」

 少し考えて、瑠璃子は答えた。

 階段を下り切ると、瑠璃子たちはまず一番近い玄関から探し始めた。

 二人の指人形は玄関マットの下に埋もれていた。それから洗面所のごみ箱の中にいた二人を助け出し、居間でソファーのクッションにへばりついている二人を見つけた。

 けれど、最後の一人はなかなか見つからなかった。呼んでも返事はないし、他の指人形たちにも居場所はわからないようだった。

 念のため台所も探してみようかと相談していた時、シャーベットがピアノの上をじっと見ながら言った。

「あのランプに引っ掛かってるの、そうじゃない?」

 瑠璃子はぱっと振り返って見上げた。

「ほんとだ! どうやってあんなところに上ったんだろう」

「下りられないみたいだね」とマシマロ。

「シャーベット、背中に乗せてくれる? 瑠璃子が行って指人形を外すから」

 瑠璃子はシャーベットにお願いした。

「いいわよ。しっかり掴まってね」

 シャーベットは瑠璃子を乗せると、まずピアノの椅子に飛び上がり、それからピアノの蓋の上に乗り、弾みを付けててっぺんまで行った。

 瑠璃子が指人形を下ろしてやっている間に、アコーディオンが自力で蓋の上まで上って来た。

「もう大丈夫だよ」

 瑠璃子がそう言った時、すぐ上に掛かっているハト時計がポッポーと鳴いて一時を告げた。瑠璃子はびっくりして、ピアノの縁から足を滑らせてしまった。

 瑠璃子は水の中に落ちた。一瞬、アコーディオンが瑠璃子のあとから飛び込んで来るのが見えた。

 それはお母さんが飼っている熱帯魚の大きな水槽だった。アコーディオンが沈み掛けていた瑠璃子の腕を掴んで、水面に引っ張り上げてくれた。マシマロが首のりぼんをほどき、ピアノの下からシャーベットに向かって振って見せた。

「これで二人を引き上げるんだ!」

 シャーベットはピアノの上からすごい勢いで走り下り、マシマロが前足にりぼんを結び付けるとまた矢のようなスピードでピアノの蓋の上に飛び乗った。

「さあ、アコーディオン」

 シャーベットが水槽の上にりぼんを垂らした。アコーディオンは左腕で瑠璃子を抱えていたので、口でりぼんをくわえるしかなかった。シャーベットはあとずさりしてりぼんを引っ張った。

 瑠璃子とアコーディオンが水槽の縁に這い上がると、真下にクッションを広げたマシマロが叫んだ。

「アコーディオン、ここに飛び下りて!」

 瑠璃子たちはこぼれる水のようにクッションの上に落ちた。

 瑠璃子はすぐに体を起こしたけれど、アコーディオンは動けなかった。左手で首の辺りを押さえてうずくまっている。

「ああー、ごめんね、アコーディオン。ごめんね、ごめんね。痛かったでしょ。ごめんね」

 半泣きの瑠璃子を安心させようと、アコーディオンは顔を上げてにっこりして見せた。

「二人とも、体を乾かさなきゃ」

 マシマロがタオルを持って走って来た。

 瑠璃子とアコーディオンはその場で二人一緒にタオルにくるまれた。更にあったかくしようと、シャーベットが瑠璃子たちを包むように丸くなった。指人形たちも周りに集まる。そうしているうちに、瑠璃子の気持ちはだんだんと落ち着いて来た。

 瑠璃子が心配そうに見上げると、アコーディオンは「大丈夫だよ」と言い聞かせるように笑顔を向けてくれた。

 瑠璃子はアコーディオンがとても好きだと思った。どうして今まで本棚の奥に閉じ込めたままにしてしまっていたんだろう……腕もちぎれたままで……これからはもっと大事にしてあげなくちゃ……そんなことを考えながら、瑠璃子は眠りに落ちて行った。



 二時を知らせるハトの鳴き声で、瑠璃子は目を覚ました。

 随分長い間寝ていたようだ。とてもおなかがすいていた。

「瑠璃子ちゃん、ほら、これ」

 マシマロの声がして、振り向くと、シャーベットも一緒ににこにこしながらどこからか見つけて来たお菓子の缶を開けて見せた。

「わあ! ありがとう」

 良かった。目が覚めたらベッドの上で、マシマロもシャーベットもアコーディオンも指人形たちも、誰もいなくなっていて、全部夢だったんだー、なんてことになるんじゃないかと思っていたから。ちゃんとみんないて、ほっとした。

 瑠璃子はタオルから這い出して缶の中に手を突っ込んだ。

 それからみんなで食べたり、歌ったり、踊ったりして楽しく過ごした。かくれんぼに鬼ごっこ、本を滑り台にして滑ったり、おもちゃの白い木馬の上にみんなで座り、ゆらゆら揺られながらお喋りしたり。

 あんまりはしゃいだので、しばらくすると瑠璃子はまた眠くなってしまった。

 そこでみんなは二階に戻ることにし、シャーベットが瑠璃子とアコーディオンの二人を乗せて階段を上がった。

 それから瑠璃子はベッドに寝たのだけれど、枕でさえもすごく大きくて、体が沈んでしまいそうだった。

「おやすみなさい」

 タオルを掛けてくれたマシマロを見上げながら、瑠璃子は言った。

「少ししたら起こしてね。今度は何かゲームをして遊ぼう」

 みんながベッドの端に座って頷いていたので、瑠璃子は安心して目を閉じた。



 目が覚めた時、一瞬そこがどこなのかわからなかった。

 ベッドと机の間の床に寝ていることに気付き、椅子の下に落ちている本に目を止めた時、自分が小さくなっていたことを思い出した。けれど、今瑠璃子の体は元の大きさに戻っていた。

 振り返って見ると、時計は三時半を指していた。

 瑠璃子は一階へ下りて行った。しんと静まり返っている。台所に入ってみたけれど、ネズミたちの気配すらなかった。

 それから、居間を覗いた。しばらくがらんとしたその部屋の中を見ていた瑠璃子は、はっとして、台所に引き返した。さっき食べ損なったシチューを急いで食べ、口をもごもごさせながら二階へ駆け戻る。



 お母さんたちが帰って来た時、瑠璃子は部屋に裁縫道具を広げて縫い物をしていた。アコーディオンの右腕を付け直していたのだ。

「あらあら、どういう風の吹き回し? お裁縫は嫌いだったのに」

 お母さんが笑いながら覗き込んだ。

 瑠璃子は糸を切り、軽く引っ張って、腕がきちんと付いているかどうか確かめた。

「よし。これで次に会った時は、両手を繋ぎ合って踊れるね」

 瑠璃子はアコーディオンをぎゅっと抱き締めた。

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