猫とぽっぽ

仮名

第1話

 人生は、流れるように終わっていく。

 中学に入ってから始めたテニス部は、何のためらいもなく高校でも続けた。楽しかったという思いも、最後のほうにはなかったかもしれない。

 それと同じように仲良くなった友達のことも同じように忘れていくのだ。かつての思い出として、将来向き合った私にそれは、単なる化石でしかないのかもしれない。


 そして来月から行くことになった大学も決まった。何も考えることなく決めた文学部で、私はこれから何をするのだろうか。本でも読むのだろうか。大学を卒業してから厳しいぞ。周りに幾度となく言われたのだけれど、唯一行ったオープンキャンパスが地元の大学で、一つ上の仲良くしてくれた先輩が文学部に行ったというのを聞いて、そこに行こうと決めた。

 自分の意思を持たない学生が増えている、というネットニュースを見たけれど、きっと私のことだと思った。


 そして、大人になれば、そこでの新しい仲間と友好条約を結ぶ。それもまた過ぎ去ったのちに、いつか自分は死んでいくのだ。なんともつまらない人生。


 そう思っていた。今までは。


 だけど、その虚しい考えは間違っていたのかもしれない。ナツコやアッキー、学校の後輩たちが目の裏に浮かび上がっては、消えていく。そして、最後に出てきたのは、涙だった。

 私は今、自分の死に直面している。道路の真ん中で。私が蹴った猫は、道路の脇まで飛んだだろうか。そして、私はこの大きなトラックに飛ばされるのであろうことは、言うまでもない。トラックのならしたクラクションがいやに大きく聞こえてくる。危ないのはわかってるよ。

 みんなともう会えないのかな。



「お母さん早くいくよ」

 卒業式だからといって、母親にはついてきてほしくない。別にそんなに重要なイベントなのだろうか。

 ――ちょっと待ってよ。

 上から大きな声が返ってくる。いくらファンデーションで隠してもそれじゃばれるって。化粧にかける時間は年齢に比例するのだろうか。自分も玄関の大きな鏡で最終確認する。

 よし、可愛い。

 心の中でくらい、言ってもいいだろう。少し、明るめの口紅が私のお気に入り。学校の山田の生徒がお化粧なんて。なんていう皮肉も今日で聞くのも終わり。

 前髪も大丈夫。風で崩れたししないだろうか。首を左右に軽く振ってみる。髪も一本たりとも遊ばせては置かない。みんなきれいに後ろのピンクの髪ゴムの中。

「もう先、行ってていい」

「待ちなさいよ」

 その言葉と同時に、どすんどすんと階段を駆け下りてくる。何十年たとうとも、この母親体系にはなりたくないものだ。母親が、次はキッチンのほうへ行く。なんとも忙しそうだ。

「ほら、お茶」

「ありがと」

「じゃあお父さん、行ってくるからね」

 耳元で叫ばないでほしい。


 母親と二人で、家を出る。なんだか恥ずかしい、と思うもののこれが最後と自分に言い聞かせる。じゃあ、車でいこっか。母親がついてくる唯一のメリットに内心、ニコニコになる。だけどそれを母親に見せたくない。私だって、思春期だ。

「ほのかも、卒業だね」

「そらいつまでも高校生だと困るでしょ」

「そんなこと言ってるんじゃないの」

 窓の外は快晴。自転車で言っていたら汗だくになっていたかもしれない。ナツコと制服の可愛さで決めた高校なのに、最後の最後にそれはなしだった。


 自転車では、いつも大変なその距離も車にしてみればあっという間。スマホをいじりながら、気づけば学校についていた。文明の利器というのは本当に恐ろしいな。そう考えながらも、車のドアをバタンと閉めてやる。だからって私が丁寧に扱うのはなんだか癪に障る。校門の前ではきれいな花のコサージュをつけて写真を撮っている親子が多数いる。

「ねえ、あれうちらも撮るの」

「もちろんよ、最後くらいはお母さんとツーショットしてね」

 そして、タッツーにお願いして撮ってもらったスマホには、ほうれい線をくっきりと浮かべた母親がこちらを見ていた。私の三十年後なのだとは、信じたくなかった。


 一旦、母親と別れて教室へ向かう。いつも通りのがやがやは、最後ということを互いに知らしめるためにわざとしてるのだろうか。

「ほのー、おっは」

「はよー」

 今日もきれいにショートカットをといたナツコと、いつも羨ましい茶髪のロングを首から手前に垂らしたアッキーが私の席に来た。

「ほの、口元が妙に赤いね」

「最後くらいいいじゃん。それより二人とも、いつもよりおきれいなようで」

「「そりゃ、私たちだって女の子なんだもんねー」」

 二人が顔を見合わせる。

「私はー?」

「ほのは、肌白いし、きれいじゃん」

 両頬をいやらしい手つきで触られる。二人のも十分きれいだ。ナツコに抱き着いてやる。この夏が終わった後でも部活をしていた彼女の少し筋肉のある体系は羨ましくて仕方ない。あと単純に、抱き心地がいい。これともお別れか。

 ふいにでた寂寥せきりょう感に、自分でも驚いた。

 そこで担任が入ってきた。妙に大げさな彼女の言葉の数々は、私には少しも響かなかった。


 そのあと、卒業式は何事も起こることなく、粛々と、いや淡々と終わってしまった。

 そして、十分泣いた後、しっかり整えてきた顔もぐちゃぐちゃになりながら、ナツコとアッキーと三人で帰ることになった。

 学生にも優しいファストフード店で、学生にしては少し豪華な最後の晩餐を終え、長い距離を歩いて帰ることにした。自転車でかえるよりもさらに長く感じるそれが全然苦じゃないと思えるのは二人のおかげなのか、卒業という私たちの状況なのか。わからないけどそれでいいと思った。あと今日知ったのだけれど、二人とも来年から通うのは同じ大学だった。少し安堵するのと同時に、大学でも付き合っているかは正直、今の私にはわからなかった。


 普段通らない、平日の昼間というのは、道路に車がよく通ってるものだと知った。すぐ隣を通り抜けていった車の乗り主も、卒業を何度も経験していたと思うと、その価値は案外高くないのかもしれない。


 白猫が道路を気持ちよさそうに横切る。まるで自分のための世界だと決めて疑わないようにその足取りが優雅だ。遠くからトラックがきているが見えた。少し不安だった。

 急に猫が道路の真ん中で立ち止まる。

 何か虫でも見つけたのだろうか。軽トラックを背に、地面をたたき出す。トラックの運転手がスマホをいじっているのが、唯一私の長所であるいい目で見えた。その距離がだんだん近づく。

 これまずいかも。頭で考える先に足が動く。卒業証書の入ったカバンをよそに投げ、何のためらいもなく、道路に入っていく。

「ほの」

 後ろから二人の驚いた声が聞こえてくる。だけどなぜか、私はできるという気がした。すぐさま猫をボールのように蹴る。

 そして、私も道路を駆け抜ける。

 ほらできた。トラックが何事もなかったように通り過ぎる。じゃない。人生そう簡単にできていなかったのだ。私が立ち止まった対向車線も車が走っていた。それも大型のトラックだ。

 やばい、これ私逃げられない。

 足が動かなかった。


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