第2話 アザミを呼ぶ声

「うさぎちゃん、うさぎちゃん!」

「構ってる場合か!」


 アザミは太陽の手を掴むと、今度こそ飛び立ち、天井をすりぬけて外へ出た。


 真っ青な空の下、アザミはぐんぐんと高度を上げていく。


「なんでうさぎちゃんを置いていくんだ! うさぎちゃんがどうなってもいいのか!」

「あの状況で救えるわけがねぇだろ! 相手は大死卿を入れて手練れの終導師が三人だ。真正面からぶつかったところで勝ち目がねぇ!」

「だからって見捨てるのか!?」

「アタシは大死卿を倒す。奴がインビジブルを牛耳ってたってわかった以上、それがアタシの勝利条件だからな。大死卿が消えれば結果としてチビも救われるだろ」

「倒すって、どうやって!」

「死神裁判所だ。あそこに死神を殺す死の鎌デス・サイスがある。そいつを盗み出す」


 急に風が吹き荒れ、深紅の花びらのつむじ風が二人を襲う。

 無数の攻撃から身を守ろうと太陽が腕で顔を守っていると、深紅の翼を広げた炎華が目にも止まらない速度で追いつき、猟奇的な笑みを浮かべた。


「驚きましたわ。あの法廷を見て死の鎌デス・サイスを盗み出すことが出来ると思うだなんて、天才少女の目は節穴なのかしら?」


 アザミは咄嗟に太陽を突き飛ばした。太陽が灰色の翼で器用にバランスを取ると、アザミが大鎌を取り出し、無数に分岐させた刃で花びらの刃を瞬時に叩き落とした。


「大死卿が出廷を命じたことを知ってるのはこいつらだけだ。今死神局に行けば、センパイは生まれ変われるはずだ」

「そんな! 影咲さんまで置いていけない!」

「足手まといだっつってんだよ! チートの力もねぇ、大鎌の変形も出来ねぇアンタなんかいてもいなくても同じだ!」


 炎華が懐に入り、アザミを斬ろうとする。アザミは素早く反応して大鎌で攻撃を受け止め、コウモリのような翼をはためかせて距離を取った。


「自分の勝利条件を忘れるな。アンタの勝利条件は無事に生まれ変わることだろう! 内富聡里は霧島太陽の人生には何の関係もねぇ人間だ。だからとにかく逃げきって生まれ変われ! ここから先は食われなかった奴が勝利だ!」

「そんなこと言ったって!」


 アザミと炎華は激しく大鎌をぶつけ合う。

 アザミは奮闘しているが、飛行能力も仕掛け方も炎華の方が一枚上手なのが見て取れた。

 アザミは炎華の攻撃に反応するのに精いっぱいでなかなか反撃に踏み切れていない。なんとしても隙を作らなければと、太陽が大鎌を取り出すために両手を前に突き出すと、その手首を後ろから握ってくる人物がいた。


「無理だよ。炎華の強さは終導師の中でもトップクラスだからね。太陽なんて間合いに入った瞬間に斬られて終わりだよ」

「土浦さん……!」

「というかあの二人の戦いももう少しで終わるしね」


 秋人が先程まで太陽達のいた建物を指差して言う。指差した先に目を向けると、青い祭服を着た少女が大鎌を構えて猛然と向かってくるのが見えた。

 炎華が大死卿の方へちらりと視線をやったかと思うと、素早くアザミの後ろに回り込んでかかと落としを見舞った。


「ぐあっ!」


 アザミは無力にも高度を下げていく。落ち行く先には聡里がいた。

 アザミが気づいて急いで体勢を立て直そうとしたものの時既に遅く、聡里の大鎌に貫かれて真っ白な石像に変わった。


「影咲さん!」

「というわけで仲良く連行されてね? まさか君は仲間を置いて一人で生まれ変わるなんて非情な真似はしないだろ?」

「放してください!」


 太陽が夢中になって秋人の手を振り払う。手はすぐに離れたが、代わりに掴んでいた場所に銀色の包帯が巻きつけてあることに気がついた。


「まだ逃がさないよ。君にはやってもらわなくちゃいけないことがあるんだ」


 秋人はすっと手を出し、指をパチンと鳴らす。

 その瞬間、頭の中で回路が切れるようなブブッというノイズが聞こえ、太陽の意識はブラックアウトした。


  ◇


 何も見えない。何も聞こえない。

 無感覚な闇の中でアザミは意識を取り戻した。もしかしたら意識を取り戻したというのは錯覚で本当は夢を見ているのかもしれない。そう思うほど感覚がなかった。


 足音が急速に近づいてくる。反射的に振り返った時、グッと手首を掴まれる感覚があった。


「な、キサマは……!」


 そこにいたのは秋人だった。脚がガクガク震え始めて立っていられなくなる。

 掴まれた手を通じて何かが体の中に入ってこようとする嫌な感覚がし、アザミはここが現実ではないことと、秋人に追い詰められた時のことを夢に見ていることを理解した。


「なんでよりによってこんな記憶が!」


 目の前の秋人は普段の爽やかな表情から打って変わり、何かに憑依されたような不気味な笑みを浮かべている。


「いいねぇ! 一度アザミとは喧嘩がしてみたかったんだよ。ああ、なんて感動的なんだ! アザミ、アザミ、アザミ。何度その名を呼んでみたかったことか。復讐を意味する花の名だ。美しい響きだよ! 君にとても似合っている。きちんと名づけてくれた君のお母さんに感謝しなくちゃいけないねぇ!」

「チッ……!」


 夢の中だとわかっていても、見えるもの聞こえるものがあまりに鮮明で嫌悪感が湧き上がる。

 しかも秋人のハッキングを防ぎきれず、完全に体の設定の権限を乗っ取られてしまう。

 体が初期化されてしまい、動く力を失った脚はしおれた茎のようにカクンと曲がり、アザミは無力にも押し倒された。


「くはははは! 傑作だと思わないか、太陽! 自分は強者だと言って君を貶めてきた天才少女が、本当はこんな姿をした弱者の詰め合わせだった! そうだよ、だからやめられないんだ。強者という立場に固執する存在は皆弱い自分を隠しているものだ」


 アザミを支配下に置いたことで秋人が大声で笑う。

 夢の中でもなんともいけ好かない野郎だと心の中で毒づいていると、秋人が急に静かになり、虚空を見つめた。

 そこに空間から滲み出るようにして太陽が現れる。秋人は次の標的を太陽に定めたらしく、同じように手首を握って屈服させた。


「なぁ太陽、不幸な生前を送っていた君なら、ああいう子を見ると胸がスッとするだろう? どんなに惨めでもあの子よりはマシだ。歩けるだけあの子より自由だ。顔に傷がないだけ幸せだ。人間なんて皆弱いものさ。だから誰もが足蹴にしていい弱者を探して、自尊心を満たしている」


 改めて嫌な台詞だとアザミは思った。

 アザミはよく知っている。車椅子で押されながら外へ散歩に出れば、大人も子供も口を揃えてまだ子供なのに可哀想だと言う。

 髪で隠した顔の傷に気づくとぎょっとした表情を浮かべて見なかった振りをする。

 そしてその後に現れるのは安堵の表情。あの子よりはマシだという自尊心の慰撫。

 それが露骨にわかるから、アザミは生前自分の体が嫌いだった。


「何を偉そうに……健常者の癖して知ったようなことを言うな!」


 堪忍袋の緒が切れ、アザミが記憶の中の秋人に怒鳴りつけて気づく。

 猟奇的な笑みを浮かべる秋人の目にはアザミを無意識に見下してきた人達のような安堵の色がなかったのだ。

 銀縁眼鏡の奥で光る目は暗い闇を宿し、絶望と憤りに染まっているのがわかった。


「何故そんな表情をする? キサマはアタシを見下してんじゃないのか?」


 記憶通りに動いていたはずの秋人がふと真顔に戻り、アザミの方を向く。静かな瞳だ。そこに哀れみの色はあってもやはり安堵の色はどこにもない。


──いいよ、別に。だって僕、死神になった時点でタブレットにあった記憶の文章はかなり書き換えちゃったから。本物の記憶は僕の頭の中にしかない。誰も本当の僕には辿り着けないよ。


 アザミが秋人の記憶の文章をハッキングすると言った時、秋人は確かにそう言った。

 その時は逃げることに必死で考える暇がなかったが、おかしなことだと気づいた。

 生前に後ろ暗いことをしていたとしても死神裁判で裁かれるわけではない。仮に生前とは違う名前で生活したかったとしても、記憶の文章は本来ごく一部の終導師にしか読まれず、内容も周囲に公開されないのだから、勝手にそう名乗っておけば隠せる。

 わざわざ書き換える理由がないのだ。アザミも記憶の文章の改ざんは試みたことがあったが、設定を間違えれば頭の中の記憶ごと書き換わってしまう可能性があることに気づき断念した。

 それだけ高度でリスキーなことまでして秋人には隠したいことがあったということだろう。

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