第10話 インビジブルのボス

 翌日、昴からの連絡を受けて死神局に行くと、死亡予定者リストにインビジブルのボスであるアルフレッド・ウィル・ハワードの名前が載っていた。

 死因は心臓麻痺で、突然死する予定らしい。

 死神にとっては滅多なことで死の運命が変わることがなく魂の回収が最も簡単とされている死因だが、それだけ手堅い運命をアザミ達が導いてしまったことに太陽はぞっとした。

 こんな技術が誰かに悪用されたら警察はお手上げだ。尤も、死神と手を組まなければ実現不能なため、現世の人間は悪用しようがないだろうが。


 アザミがボスの案件を受注し、太陽とうさぎを連れて転送ゲートへ向かう。今回はアザミの復讐が完遂される記念すべき日ということで、太陽も同行が許された。


「そういや、センパイは次に生まれ変わる時も今の記憶を保持したいのか?」

「ううん。来世になっても不幸体質で虐められる夢を見るなんてごめんだし、怖いけど、霧島太陽の記憶は次には持ち越したくはないよ」

「そうか。ならちょうどいいな」


 転送ゲートに乗る直前、アザミが太陽の体を掴み、手をみぞおちから体の中へ差し込んだ。

 電気を流されるような強烈な痛みに太陽が呻き声すら出せずに悶絶していると、アザミが三枚の金属板を持った右手を引き抜いた。


「チートの力のもとは引き抜いた。これでボスに繋がった死の運命が断ち切られる心配もねぇ」

「う、うん……それはわかったけど、いきなりはちょっときつかったよ……」

「先に言ったら怖いって騒いだだろ。いちいち付き合ってられっかよ」


 だとしてもやはり心の準備はさせてほしかったと、太陽は溜め息をついた。


 転送ゲートからアメリカに飛び、インビジブルの拠点を目指す。三度目ともなると道に迷うことはなく、またボスの部屋の位置もすぐに把握出来た。

 窓からそっと覗き込んでみると、ターゲットであるボスは自室でスマホを耳に当て、誰かと会話しているようだった。

 英語だったので内容はわからないが、余程嬉しいことがあったのか満面の笑みを浮かべている。

 これから自分が死ぬなど夢にも思っていないのだろう。インビジブルに病死が管轄外だという何よりの証拠だと太陽は思った。


「死亡予定時刻まであと十五分くらいあるけど、時間になるまで隠れてるの?」

「いや。あいつはアタシの宿敵であり、死に追いやった原因だ。最後の復讐らしく、もっと恐ろしい目に遭わせてやるつもりだ」


 アザミは黒い翼をはためかせて窓から離れると、したり顔で八重歯を剝き出しにした。


「センパイとチビはそこで見てろ。終わったら拍手喝采な」

「わかった」

 アザミは大鎌を取り出すと、窓から部屋の中へ侵入した。


 通話を切ると、アルフレッドは胸に手を当てて深く溜め息をついた。

 安堵の表情を浮かべ、込み上げてくる笑顔を噛みしめながら天井を仰ぎ、革張りの椅子の背もたれに背中を預けた。


ああ、よかったWhat a relief! あの子は助かったんだShe was seved!」


 呟きながら革靴を履いたつま先で床を蹴り、子供のように椅子を緩く回転させる。

 そんな彼の傍を腕よりも長い大きな翼をはためかせて、一つの影が横切った。

 アルフレッドが反射的に体を起こすと、一人しかいないはずの部屋に翼と大鎌を持った長い黒髪の少女が立っていた。


「まさか国際的犯罪のトップが娘の安否ごときでそんなに優しい顔をするとはな。てっきり家庭のことなんて顧みない冷血野郎かと思っていたぜ」

誰だWho are you!?」

日本語で話せSpeak Japaneseこっちは客人だぞI AM a guest, right?」


 アルフレッドはドキッとした表情を浮かべ、アザミの姿をまじまじと見る。


「身の丈ほどある大きな鎌に背中から生えた大きな翼……まさか、あなたが?」

「ほぅ? アタシのこと知ってんのか。Cherryもアタシのことを意識していたくらいだ、案外有名人なのかもな、アタシは」

「当たり前じゃないか。それは日本人流のジョークか?」

「ジョーク?」


 アルフレッドは革張りの椅子からゆっくりと立ち上がるとアザミの前で跪き、斜め十字に指を切って手を合わせた。


「まさかあなた自ら姿を見せてくれるとは。会えて光栄だ、閣下Your Grace

「待て。一体何の話をしている? その祈り方はなんだ?」

「何って、決まっているだろう? 私はあなたにお礼を伝えているんだ。あなたのお陰で娘の手術は成功した。娘は助かったんだから」


 その話なら知っていた。先程窓の外から覗いていた時に電話で話していた。

 どうやら電話口にいたのは病院の医師で、無事に心臓移植の手術も終わって経過も良好だと話していたようだった。


「アタシはそんな話は知らねぇし、そのことで感謝される筋合いもねぇ。さっきから何の話をしている?」

「ははは、ご冗談を。何度も話をしていたじゃないか」

「だったらアタシの名前を言ってみろ。今すぐにだ!」

「名前? Uhh...日本語ではなんと言ったか……。私はいつもArch of Deathと呼んでいたから」


 Arch of Death、その名前は聞き覚えがある。

 確か昴が、アルフレッドが頻繁にやり取りしている相手だと言っていた名だ。聞いた時は『死の門』という意味だと思っていたが……。


「アタシに対して祈った時のあの仕草……閣下Your Graceという呼びかけ……まさか!」


 アザミは弾かれたようにアルフレッドの机に回り込み、PC画面を覗き込んだ。立ち上がったままになっているメール画面に捜していた人物の名があった。


「こいつは……!」


 何やら緊急事態の匂いを感じ取り、太陽とうさぎも窓をすり抜けて部屋に入った。


「影咲さん、どうしたの?」


 声をかけるとアザミは画面を指差した。メールの差出人欄には『Arch. of Death』と書かれている。


「昴君の言ってた通りじゃないの?」

「違う……ArchじゃなくてArch. だったんだ! ピリオドがついてたんだよ」

「この点ってそんなに重要なの?」

「ああクソ、これだから馬鹿は! いいか!? ピリオドは略語につく。つまりArch.ってのは略語であってarchの意味じゃねぇんだ! Arch.ってのは正式にはArchbishop……大司教の意味になるんだよ!」

「大司教って、それじゃあ……!」


 アルフレッドが急に胸を押さえて倒れ込む。ハッとしてタブレットで時間を確認すると、死亡予定時刻一分前になっていた。

 この発作が原因で彼は死ぬのだ。アザミは血相を変え、大鎌の先端をアルフレッドの首に突きつけた。


「殺されたくければ答えろ! Arch. of Deathとはどんなやり取りをしていた!?」

「金が必要だった……私は分け前をもらうために、その人の指示に従っていただけだ」

「金ってのは娘の手術費用か!? いくらかかった!?」

「に、二百万ドル……」


 アザミが目を見開く。怯えているようにも怒っているようにも見えた。一体何にそんなに驚いているというのか?


 アザミが固まっている間にもアルフレッドは助かる術を求めるように身をよじり、太陽の足首を掴んだ。

 ぞっとして思わず蹴るようにして掴んだ手を振り払う。するとアルフレッドは無念そうに何かを呟いて脱力し、そのまま動かなくなった。


(ボスはちゃんと死んだみたいだけど……)


 アザミはまだ大鎌を構えたまま固まっている。これほど動揺しているのは秋人と初めて会った時以来だ。

 いや、呆然としているところを見るとショックの度合いとしてはそれ以上か。

 アザミがなかなか魂を回収しようとしないのを見てうさぎは不思議そうに小首を傾げ、代わりにせっせと魂を刈り取って自分の鳥籠の中にしまった。


「二百万ドルって日本円にしたら二億円以上ってことだよね? 大金すぎて想像もつかないや」

「逆だ……。安すぎるんだよ。インビジブルはアタシが知る限り二億ドルは集めていた。桁が二つも違うんだ」

「二億ドルって、二百億円ってこと!? その大金はどこに消えたの?」

「知るかそんなの! ボスが報酬として1%もらってたとして、残りの99%はどこにいった? 二億ドルもありゃあ、その気になりゃロケットの一つだって飛ばせ……」


 クックッと耳障りな笑い声が聞こえてくる。窓の方を見ると、いつの間にか修道服に身を包んだ三つの人影が立っていた。

 真ん中の人物の服装だけは身分を強調するように細やかな刺繍が施されており、ロザリオの代わりに交差した二本の大鎌を首から提げていた。


 大死卿と、彼女の直属の部下である炎華と秋人だった。

 満足げに目を細めている大死卿を挟むようにして、炎華は歓喜に満ちた猟奇的な笑みを、秋人は非の打ち所のない爽やかな表情を浮かべていた。


「キサマらだったのか……インビジブルの本当のトップは!?」

「そうよ。インビジブルの意味には何の捻りもない。死神である私自らが立ち上げた組織だから見えざる者i n v i s i b l eなのよ!」


 ようやく終わるかと思われたアザミの復讐。

 しかしここに新たに倒すべき敵がいると知り、アザミは大鎌を構えたまま歯噛みし、静かに後退した。

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