第7話 転浄の門

 太陽の話を反芻するように、辰夫はパフェのぶどうを口に入れ、ゆっくりと噛んだ。


「幸せになるための考え方か。幸せというのは案外そういうものなのかもしれないな」

「……すみません。僕のような子供が生意気なこと」

「いいや。今の君を見ていれば復讐というのもあながち悪くないのかもしれないと思ったよ。勿論許されたことではないと思うがね。死神でもなければ、何があっても人は殺してはいけない」


 辰夫はタブレットを手に取ると、青白い光に変えて消し去った。


「復讐はあれからどうなんだね? 何やら犯罪組織を追っていたようだが」

「えっと、順調です。次のターゲットがインビジブルのボスなので、その人の魂が回収出来たら終わりだと、影咲さんが」

「終わりということは、もう自分の目的のために魂を回収しないのか?」

「生まれ変わるつもりだろうです。僕もうさぎちゃんも、今は生まれ変わるために最後の魂を回収しようとしているところです。それに影咲さんは復讐をゲームだと言っていましたから。ただゲームに勝ちたいからターゲットを仕留める、それだけのことなんです」

「そうか。今の話を聞いて安心したよ。うさぎも太陽君も彼女も、もうすぐ生まれ変わるんだね?」

「きっと辰夫さんと同じ時代に生まれてこれます。そしたらまたどこかで会えるかもしれません」

「見た目も変わり、記憶も消されるとなると、会ってもわからないだろうが」

「いいじゃないですか。会うことが大事なんです」

「そうだな。魂が覚えていることを願うよ」


 辰夫はうさぎの方へ視線を移す。うさぎも同じ気持ちのようで、愛らしい笑顔で体が弾むほど大きく頷いた。


「うさぎ、こんどはたつおさんとかぞくになりたい!」

「あはは、それは嬉しいね。親子は無理だろうから、兄妹かな」

「たつおさんがおにいちゃん? おねえちゃんかも! うさぎ、たのしみ!」

「ああ、私も楽しみだよ。一緒に育って、何かあったらお互い助け合えるような兄妹になろう」

「うん!」


 うさぎは嬉しそうに返事をすると、テーブルに置いていたスプーンを手に取ってパフェをまた食べ始めた。太陽と辰夫も半分ほど溶けてしまったアイスに苦笑しながら、甘いバニラクリームにフルーツを漬けてグラスを空にした。


 喫茶店を出ると、辰夫はその足で転浄の門に向かうと言った。二人くらいならば見送りに行っても問題ないそうなので、太陽とうさぎも一緒についていくことにした。


 転浄の門には太陽もブラザーが生まれ変わる時に行ったことがあった。

 死神局一階の奥にある有人の総合受付で転生の手続きをすると、対象者の体が青白く透ける。その状態で二階の転送ゲートに入ると、自動的に転浄の門がある区画へ飛ばされるのだ。

 太陽はブラザーと全く同じ手順で転生の許可を得た辰夫と一緒に、死神局の二階へと上がった。

 うさぎを含めた三人で転送ゲートのブースに入ると、次の瞬間直径十メートルほどの小さな円盤の上に立っていた。

 円盤の周りは宇宙空間のように真っ暗で、円盤の下には天の川のような光の塵が流れている。


「ここ、しにがみさいばんじょのとことにてる。あそこもあまのがわ、みえた」

「死神裁判所……? 天の川みたいになってる所は転浄てんじょうの川って呼ばれてて、あそこには強烈な磁場が流れてるんだ。生まれ変わる時はあそこを通るから魂が真っ新になるんだって」

「ふぅ~ん、よく知ってるね~! それ、普通の死神は知らない情報のはずなんだけどね~」


 よく知った声が聞こえて太陽は飛び上がった。

 いつの間にか背後に秋人が立っていた。修道服を着た秋人は銀縁眼鏡の奥で不敵な笑みを浮かべて手を振った。


「つ、土浦さんがなんでここに……?」

「だって僕、終導師だし? まぁ、転生の担当じゃないからここには仕事仲間とお喋りしに来たんだけどね~」


 秋人は太陽達の前方にある、交差した大鎌がデザインされたアーチの傍にいる終導師にウィンクする。

 二十歳程度の見た目をした彼女はぞっとした表情を浮かべて秋人から顔を背けた。


「僕を捕まえるために待ち伏せしていたんじゃないんですか?」

「ないない! そんなことするくらいなら家に押し掛けた方が楽だし。大死卿がアザミ達のことは不問にしろって言うからさ。上司にそう言われちゃあ部下は従うしかないじゃない?」

「不問って、見逃すってことですよね? どうしてまた……」

「まぁ、アザミが『境界』の敵になるかもって尋問しようとしたのも僕の独断だったわけだし? 真っ当な判断だと思うけどね」


 アザミにあれだけの執着心を見せていたというのに、今の秋人は不自然なまでにあっさりとしている。一体何を考えているのかわからず、太陽は僅かに身を固くした。


「そんなことよりさ、お別れの時間が近づいてるよ。行った方がいいんじゃない?」


 秋人が指差した先には引き寄せられるように大鎌のアーチへ近づく辰夫の姿があった。以前秋人がアザミを襲撃したことを知らないうさぎは、秋人には目もくれず後を追っていた。


「わかりました。それでは……」

「あ、そうそう。ついでに、太陽に一ついいことを教えてあげるよ」


 秋人は太陽の耳元に口を寄せ、囁く。


「フォルトゥーナ計画がまもなく始動する。これから先は誰が味方で誰が敵かよーく見極める必要があるからね」

「え?」

「まさか僕が君達の侵入に気づいてないとでも思った? まぁあれは僕の失態だから大死卿にチクらないし安心してよ。それより、いい加減理由を知った方がいいと思うよ。どうして君が記憶保持者になったのか」


 そう言って太陽のみぞおち、魂の基盤がある辺りを指先でトントンと叩くと、秋人は太陽が現れた転送ゲートに入り、青白い光となって消えた。


 辰夫の所へ行くと、うさぎが涙を零さないように必死に下唇を噛んでいる姿が見えた。

 辰夫はアーチの隣に立つ終導師に促されて、アーチに手をかざした。白い光の粉が手からアーチへ吸い込まれ、アーチが白くて淡い光を帯びた。終導師は一礼し、持っていたタブレットを弄った。


「確かにアニマは全額戴きました。手続きはこれで以上となります。よくぞ自殺の罪を償われました。今日までお疲れ様でした」


 終導師は一礼し、無駄のない所作でさっと身を引いた。辰夫はうさぎの頭を撫で、ちょうど駆けつけた太陽にも穏やかに微笑みかけた。


「短い間だったけど、最後まで世話になった。あと少しだけ、うさぎのことを頼むよ」

「わかりました。……気をつけて」

「ああ。次は敗北者にならないように、私なりに頑張ってみるよ」


 門の下を流れる天の川がオーロラのような薄緑色に光る。呼応するように透けた辰夫の体も同じ色で明滅した。


「それじゃあ、行ってくる」

「たつおさん、またね」


 絞り出すようにうさぎが言ったのを聞き届けると、辰夫は門の外へ身を投じた。

 天の川の光が近づくにつれて辰夫の体が色を失っていき、体の中に浮かぶ魂の基盤が輪郭を強めていく。一人の人間が形を無くし、無機質な四角い物体に変わっていく様を見ていると、あの基盤が本当に記憶や心の入れ物なのだと実感出来た。

 次の命を入れるため、魂の基盤はいっぱいに溜めた柳辰夫の全てを転浄の川へと放っていく。辰夫は転浄の川を作る光の塵の一部になったのだ。


(『辰夫さん』はこれでもうどこにもいない。今度こそ本当に死んでしまったんだ)


 基盤が川の流れに乗った時には辰夫の姿は完全に消え去っていた。終導師が交差した大鎌を表すように斜めに十字を切り、転浄の川に向かって深々と頭を下げた。


 生まれ変わることは嬉しいことだ。しかしどうしても胸の中がちくりと痛む。

 大丈夫、少し先に行っただけだ、これはお別れじゃないと自分に言い聞かせ、太陽は今にも泣きそうなうさぎをそっと自分の方へ抱き寄せた。

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