第2話 4/27
美人だが不思議な転校生の噂は瞬く間に広がり、もちろん告白事件のことも学年全員が知っていた。幸い藍里は被害者のような立ち位置になっており、今までと変わらない扱いを受けていたが、表さきはそうはいかなかった。
グループワークも馴染めず、クラスの陽キャの男子からは未だにあの日のことでイジられている。
あだ名だった。高三になってもまだこのようなイジりがあることに驚きを隠せない藍里だったが、それと同時に自分に焦点が当たらなくてよかったと思わざるを得なかった。
「それにしても女子なのに告白ってすごいよな」
男子が廊下で表さきの告白のモノマネをしているのを見たからか。隣にいた東堂旭は唐突に呟いた。
「あぁ、私もびっくりしちゃった」
「渡辺から話聞いたときは焦ったし、何より藍里がイジられないか不安だったけど、無事でよかったよ」
「私は全然大丈夫!でも正直この歳になってもまだああいうイジりがウケると思っているのかな。正直ちょっと引いた」
「あれに関しては俺も同感だわ」
旭は軽蔑の目を陽キャの男子に向ける。
藍里は昔から精神年齢が高く、視野が広かったから子供じみたイジりが嫌いだったのでイジりに乗っからない旭とは一緒にいて気が楽だった。
(まぁ話てて楽しいし?別に嫌だと思うところもないし。このまま安全に付き合うのが一番だよね)
藍里は誰にも言えない蟠りを背負いつつ、今日も上手く旭と話せていることにホッと息をついた時だった。
「最近同性愛とか認められつつあるけどさ。それを鵜呑みにしていきなり曝け出されるのって正直迷惑だよな」
「‥え?」
困ったように笑いかける旭に藍里の何かが壊れた。理想像なのか、こうあって欲しいという押し付けなのか、それとも藍里が変わったのか‥。
藍里が思わしくない反応をして旭は驚いたように身を乗り出す。
「だっていきなり同性に好きって言われても困るじゃん?てか少し怖くね?」
「そ、そうかな?確かに最初は驚いたけど同性だからっていうのはあんま無いかも」
藍里がそういうと旭は少し身を引いてすぐには返答しなかった。
(あーー同意すれば良かった。これじゃ私も同性愛みたいじゃん)
一気に後悔の波が押し寄せてきて、藍里は頭をフル回転させる。少しでも誤解を解くために、空気を悪くしてしまったことへの謝罪、ゴールデンウィークの計画案。
色々と話題は思いつくが、何故かさっきの話から逸らしたくなかったし否定もしたくなかった。
そんな中真正面から声が聞こえた。
「おい、なんだこの空気」
「あ、蓮」
「よお藍里。なに気まずそうな空気漂わせてんだよ!いつもみたいにイチャイチャくそったれな空気漂わせろっつーの!!」
バシッと旭の背中を叩く男は、藍里の幼馴染で旭の(自称)相棒の杉山蓮である。いつも元気でバカップルの応援団長と名乗っている。
蓮が来てくれたことにより先程の空気はなくなり、旭も蓮の肩を組みいつも通りの突き合いをしていた。
「で、お前らゴールデンウィークの計画決まったのかよ」
「あーーまだだったわ」
「おいおいさっさと決めとけって。お前らいつも計画遅くって当日バタバタしてるじゃねーか」
「はいはい分かったよ」
旭は適当にあしらって手でしっしと蓮を追い払う。こういうことが気兼ねなくできる男子は羨ましいと藍里は思った。女子の中で、特にすみかにやったら裏でなんて言われるか。想像しただけでも恐ろしかった。
「じゃあ映画ってことでいいか?」
「いいよ!11時駅前集合だっけ?」
「そう!じゃあ当日遅刻すんなよ〜」
旭はそう言うと蓮とじゃれあいながら教室に戻っていった。その後ろ姿を眺めながら藍里は一人ため息をこぼす。
「はぁ、なんの服着よう。春っぽい女子っぽいのあったっけな」
「デート?」
「うわっ!?表さん!?」
後ろにはいつの間にか表さきが立っていた。先程の独り言を聞かれたみたいだ。旭を恨めしそうに見つめながら表さきは綺麗な黒髪を靡かせている。実はというとこれまであまり表さきが藍里に話しかけた事はなかった。これのおかげで藍里がイジられなかったようなもので、正直みんなの前で話すのは注目の的になるのではと藍里は心配した。
その様子に気づいたのだろう。
「ごめんなさい。いきなり声かけちゃって驚いた?やっぱり周りの目気になるわよね」
「あっ、いや全然大丈夫だよ」
「嘘、手をそんなに強く握ると傷ついちゃうわよ?」
そっと藍里の手をほぐすようにサラッと撫で、表さきは愛おしそうに微笑んだ。その笑みの中に若干の強張りがあるのを藍里は見逃さなかった。
「表さん、なんで今まで声かけなかったの?」
そういった後にハッとした。まるで声かけられるのを待っていたかのような言い方になってしまって、藍里は本日二度目の後悔をした。
(今日は調子悪い!いつももっと慎重に言葉を選ぶのに‥)
口に手を当て気まずい顔をなんとか誤魔化そうとする。そんな様子に表さきは気づく様子もなくただ驚いたように藍里を見つめていた。
(あ、綺麗だなぁ)
場違いにも程があるのは承知だったが、藍里は濡羽色の美しい瞳に気を取られてしまった。真っ黒なのにガラスのように透き通っていて、ブラックホールのような鏡のようなダイヤモンドのような神秘的な球体から目が離せなかった。
球体が少し左右に揺れ、一層反射する光が多くなり藍里は今まで感じていた不安や心配など忘れ去った。
「だって、嫌われなくなかったの」
「え?」
「いきなり告白して怖がってたし、何より私のせいで氷室さんまでイジられるのが嫌だったのよ」
まさか自分のことを案じて声をかけなかったとは思いもよらず、藍里の心はキャラメルのような甘さが広がった。しかしその瞬間、表さきがイジられていたのを見て、自分じゃなくて良かったと安堵していた汚らしい自分を思い出し心に広がったキャラメルは、焦がしキャラメルのようにほろ苦くなった。
「もし良かったら、これから話しかけてもいいかしら?」
「もちろんだよ」
藍里自身びっくりするくらい穏やかな声だった。即答してしまったし何より自分が表さきと話せると思うと何故かとても嬉しかった。
表さきは一瞬キョトンとした顔をしたが次第に花がゆっくりと開花するように、綻び目を輝かせた。
(あ、可愛いな)
どこかの誰か知らない隣人がそう呟く。
それに対して
(うん、可愛いね)
と藍里も返事をした。
白銀世界に混ざってしまっては見つけ出すのが困難だろう。その白い肌に二つ牡丹の花が咲いた。
その時だった。
「おい見ろよーー!表さんが氷室のこと口説いてるーー!!」
「え!まじじゃん!やっと進展ですかぁ?」
ゲハハと下品な笑い方で男子が近づいてくる。その男子に反応したのだろう。ニヤついた顔で周りの人が一斉にこちらを見てくる。地面に落ちたお菓子に群がる蟻のようにどんどん周りに集まってきて、終いには藍里と表さきの周りをぐるっと野次馬が囲った。
「籍はいつ入れるんですかーー?」
「キスした??」
「新婚さんっすねぇ」
実にくだらない。小学生以下の野次を唾と共に飛ばしてくる同級生に、藍里は軽い頭痛と吐き気を覚える。
手を握りしめ、いつものように何も言わずただ我慢していたら表さきがそっとまた手を撫でた。パッと顔を上げると”大丈夫”というような顔で藍里を見つめる彼女の顔が飛び込んでくる。
なんとなく、気持ちが楽になった。自分一人じゃないと思えた。
「別に貴方達に関係ないでしょ。どいて邪魔よ」
「ひっで〜〜!冷たいっすね!」
表さきがその輪から出ようとするとわざと出さないように、男子は密着する。表さきは女子の中では高身長の方だがやはり男子の前だとまだまだ小柄だった。
押し返される表さきを見ながら、藍里はどうしようもないくらいに頭に血がのぼる。
その騒動に気づいたのだろう。教室に戻ったはずの旭と蓮が慌てたようにこちらに戻ってくるのが見えた。
「おい!お前ら何きしょいことしてんだよ!囲むな!」
旭が男子の輪を掻き乱し藍里の方に駆けつけた。この行動に周りの女子は黄色い歓声をあげ、男子はヒューー!とひやかす。
こういう状況が藍里は一番嫌いだった。
「東堂イケメン〜!」
「うるせぇな。とりあえずお前ら解散!!」
「ちょっと待って。最後に表さんに聞きたいことあるから」
男子が一人手をあげて表さきの方を見る。彼女は”どうぞ”という風に腕を組み、鋭い眼光を男子に飛ばす。
「表さんはなんで氷室なんかが好きなんですか?」
藍里はサッと顔が赤くなった。恥ずかしいのではない。怒りからくるものだった。旭はピクッと反応したが何も言わずただその男子を睨んでいた。
藍里は手の色が変わるくらい握りしめ、惨めで情けなく自分の劣等感に再度認識させられた。
(表さんみたいに美人じゃないし、肌もお世辞にも綺麗とは言えないし、太ってるし一重だし、髪も綺麗じゃないし‥)
心の中で呟くと無性に泣きたくなった。目の前にいる凛とした美人と自分があまりにも違いすぎて、終わりのない負の感情に呑み込まれてしまう。
表さきは何も言わず動かない。その間が藍里の心を余計に蝕んでいった。
「やっぱりなんも言えないんですか?表さんって美人だから普通にしてた方が絶対いいっすよ」
反論が返ってこないと分かり、男子はどんどんと過激なことを言い始める。
「そもそもレズじゃないって言ってましたけど、本当に?」
「まさかwレズに決まってんじゃん」
好き勝手に言われる表さきを見つめることしかできない藍里だった。なんとかしたい、でも怖くてできない。自分が次攻撃されたらどうしよう。そんな思いが藍里の喉を締め付け、思うように言葉が出てこなかった。
そんな中旭が急に手を引っ張ってきた。
「え!?なに?」
「今のうちに離れよう。表さんにみんな注目してるから大丈夫」
(何が大丈夫なの?表さんは?あのまま一人にするの?)
旭に手を引っ張られながら、反発したい気持ちもあるのに逃げ出したい気持ちもあり藍里は自分の小賢しいところにどうしようもない葛藤があった。
しかし傷つくのは怖い。
そのままズルズルと尾を引きながら表さき達から遠のいた時だった。
「私、氷室藍里さんが好き。氷室さんだから好き」
表さきが静かに言葉を発した。
「私、レズじゃなわ。元の学校では彼氏もいたもの。でも氷室さんに恋をした。逆に貴方達のような人、絶対に好きにならないんだから!!なに自惚れてんのよ!このタコ!」
あまりの剣幕でいうものだから周りの男子もビビったように何も言えなかった。藍里が後ろを振り向くとバチッと表さきと目が合った。コソコソと逃げた自分に対して優しく手を振ってくれた表さきに、訳がわからなくなる。
自分が嫌いだった。成績もあまり良くなく顔も平均、特技もなく趣味は嗜む程度のゲームだけ。自分の言いたいことも言えず、周りの目を気にしていつも責任を負いたくなく人に押し付ける。
色々な感情が押し寄せてきてエンジンのように足に火がつく。今まで踏み出せなかった一歩を振り切るために腕に力が入る。そして手を引っ張ってくる旭から逃げたかった。振り払いたかった。もう遅いかもしれないけど、あそこに表さきを一人にしたくない。
そう思った瞬間にはもう藍里の足は心を掬い取るように表さきに向かって一直線。旭の驚いたような静止の声が聞こえた気がするが、そんなものどうでも良かった。
男子を掻き分け中央にいる表さきに突進する。
「表さん!今度遊ばない?この辺でいいカフェあるんだけど案内させて!!」
がむしゃらだった。とても大きな声で言ってしまったから表さきは少しのけぞったが、とても嬉しそうに顔一面に花を咲かせた。
「本当に!?行きたいわ!あぁなんて嬉しいのかしら!本当よね?嘘じゃない?」
「本当!絶対だよ」
男子達からの痛いくらいの視線を感じたが、藍里の心はとても晴れ晴れしていて後悔なんてしていなかった。
それと同時に自分がやりたいと思っていた行動を取れたことにひどく感動していた。
(できたじゃん)
どこかの誰か知らない隣人が呟く。
旭の方を見るとなんとも言えない顔をしながらこちらに近づいてきている。表さきもそれに気づき旭に対して挨拶をした。
「どうもこんにちわ。表さきって言います」
「東堂旭です」
旭のぶっきらぼうな言い方に少し藍里はカチンときた。まるで拗ねた子供のような態度を取る旭を見てスッと心が冷える。
「あの、表さん。藍里は俺の彼女だし、自分の恋愛が世間一般的に憚れるものだということをもっと自覚した方がいいですよ。藍里も困惑しています」
表さきはピクリとも顔を動かさず「はい」としか言わない。
旭の言葉にひどく落胆した藍里は自分でも驚くほど攻撃的になった。先程の勢いに身を任せ今すぐにでも旭に噛みつきたくなった。
しかし表さきがそれを分かっているかのように、また手を撫でてくる。
「そうですよね。私自身理解しています」
「なら、あまり関わらないでください」
「でも貴方も氷室さんを守れないわ」
「は?」
表さきは先程までの柔らかな雰囲気をまるでベールをはずしたかのように、すっと引っ込めてしまった。彼女は雪女なのか?そう錯覚するくらい冷たい眼差しを旭に突き刺し、食い殺す。
「彼女が遠回しにディスられているのに、何も言わずにただ睨むだけ。そんな貴方を私は軽蔑します」
藍里はハッとさせられた。表さきはまたしても自分の為に気分を悪くしているのだと思うと、もはや小賢しい汚い自分は逃げ出しており勇敢で本当の自分が先行している。
「私、氷室さんのことを本気で狙っているので彼氏という椅子にあぐらを掻いていられるのも今のうちですよ。その椅子から引きづり下ろすんで」
そういうと表さきは藍里の手を取りさっさと教室に戻って行ってしまった。
その後ろ姿を見つめる旭の目は実に情けなく思えた。そしてもう一つの目がおどろおどろしいく表さきを見つめていたのであった。
「表さん、私同性愛が嫌だとか気持ち悪いとか思ってないよ。確かに最初は驚いたけど困惑もしてないし迷惑だとも思ってないから」
「ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ。そう簡単に貴方を諦めてあげないから」
表さきはそっとウインクをしていたずらっ子のようにクシャッと笑った。
(この人になら相談できるかな)
藍里はそっとどこかの誰か知らない隣人に呟いてみた。
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