19歳成人の私たちへ

鳥羽るか

第1話 4/7

| 南平高校での青春もあと一年となってしまった。

 大学受験に向けての意気込みやビジョンはまだ見えない。受験の不安と大学への期待と自分への劣等感を抱えながら、変わり映えしないクラスメイトを氷室藍里は一番奥の席から眺めていた。

「おはよー!藍里!案の定クラス替えなかったね」

「わっ!すみか!?いきなり飛びつくのやめてよ〜」

 フレンドリーに挨拶をしてきた渡辺すみかは、ニヤニヤしながら藍里の顔を覗く。元気でお茶目で噂好き。そんな彼女のこの顔は嫌いだった。

「おやおや?愛しのダーリンと同じクラスになれなくて落ち込んでると思ったのになぁ」

 ”愛しのダーリン”

 その言葉に胸のどこかが鈍く鼓動した。

「そもそも高2でクラス替え最後でしょ!旭君と同じクラスになれる希望とか、はなから持ってませんーー!」

 ”東堂旭”

 氷室藍里が去年の冬から付き合っている俗にいう”彼氏”だ。

「それもそっか!まぁ隣のクラスなんだし会いに行ってあげなよぉ〜」

「え〜〜!すみかも一緒に来てよ!」

 いつも通り少し甘えん坊のようにすみかにお願いすれば、待ってましたとばかりに目を輝かせる彼女が見える。

 藍里にとってこの瞬間がなによりも苦痛だった。

(あぁ‥会いたくないな)

 そう思ってしまうと最後。どんどんと気が重くなる。

 皆から見ればゲーム好きで仲の良いカップルなのだろう。

 しかし藍里の心の中は‥‥

 チャイムが鳴り皆自分の席に座り始める。そんななか愛理はふと違和感を感じた。席がひとつ多いのだ。

 クラスメイトも徐々に気付き始め、湖に投げ込まれた石の波紋のようにその興奮はクラス全体を包み込んだ。

 藍里もまたその中の一人で、席の近い子とイケメンがいいだのと話をしながら先生が来るのを待つ。

「あ!先生来た!」

 廊下を監視していた男子が、興奮が覚めないような様子で声を荒げる。

 教室のドアが開き担任の鈴木先生が入ってくるや否や、皆ぴたぁと静かになり先生の後ろを凝視する。

 そして全員が絶句した。

 艶やかな黒髪、透き通る白い肌、猫のように大きく切長な瞳

 童話の世界から出てきたと表現するにはあまりにもアンニュイな、独特で目を惹かれる美女であった。

「みんな気づいていると思うけど、転校生が一人います」

「転校生の表さきです。よろしくお願いします」

 透き通る声で手短な自己紹介をした彼女は、緊張している様子もなく品定めをするようにクラスをぐるっと見渡した。

 なぜか藍里は彼女の目を追いかけてしまう。それはきっと表さきの外見が藍里の理想像だからだろう。

 私の視線に気づいたのか。表さきは藍里の方を向き、そしてまるで蛇が獲物を見つけたかのような鋭く絡みつく眼差しを藍里に向けた。

 奥の席からでも分かる、その熱望するような食い殺すような、はたまた愛でるような瞳に藍里は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。

「あら?さきさん?あなたの席はそっちじゃないけど‥」

 表さきは藍里にどんどんと近づいてくる。クラスメイトも見当違いなところに歩いて行く転校生を目で追う。クラス全体が表さきの呼吸一つにさえも支配されたような、そんな威圧感と好奇心をそそられる雰囲気が彼女にはあった。

「ねぇあなた」

 近い

 藍里の席の前に立ち表さきは藍里の強張った顔を見下ろす

 近い

 彼女の真っ黒な髪が藍里の頬を掠める

 近い

 彼女の目には藍里しか映っていなかった。藍里自身それを認識してしまうくらいに‥

「あぁ、いいね。私はあなたに一目惚れしてしまったようだわ」

「っえ‥?」

 全員が絶句した。藍里は狼狽してしまい表さきの瞳を見つめ返すことしかできない。

 普段だったら教室内の告白など、中心グループの男子が茶化して大騒ぎになるのに、今回はそうもいかなかった。

 沈黙が続く教室に誰かがこぼした小さな呼吸音。藍里の喉はカラカラで毛穴という毛穴から汗が噴き出ているのが分かる。

「わ、私‥お、女なんだけど‥」

「分かってるわよ」

 くすくすと上品に笑う表さきにいっそう汗が出てきた。いきなり美女に告白されたのだ。まだ相手は藍里の名前も知らないのに。

 そんな中、朝礼の終了のチャイムが鳴り鈴木先生がハッとしたように動き出した。

「あ、あの表さん。朝礼は終わってしまったからとりあえず席につけるかしら?」

「えぇ分かりました。」

 さっきまで頬を掠めていた黒髪からは、桜のような椿のような匂いが尾を引いて離れていく。その後ろ姿が藍里にはやけに遅く見えた。

 一限目が終わり中休みになったが、未だクラスは表さきの様子を観察するように、否草食動物がライオンの動向を警戒するような雰囲気が立ち込めている。

 しかし張本人である表さきは涼しい顔をして学校の規則を読んでいた。

「ちょっと、っていうかだいぶ変わった子だよね」

「う、うん‥私にいきなり告白?してくるくらいだから」

 すみかは藍里と表さきを交互に見たあと、いいことを思いついたかのように唇を人差し指で撫でる。

(あ、すみか。きっとまたお節介なこと思いついたんだろうな)

 藍里はまた一人、胸の中がすっと凍るような感覚を覚えた。案の定すみかはニヤつきながら目を輝かせて言った。

「藍里本人からは聞きづらいと思うから、私が聞いてきてあげるよ!」

「え、まさか!表さんにさっきの事聞くつもり?」

「もちろん!てかクラスみんな知りたがってるでしょ!藍里が中々行動しないから私が代わりに聞いてあげるって!」

「い、いいよぉ。単なる言葉の綾でしょ?」

「何言ってんの!とにかく私が聞いてくるから!藍里は安心してそこに座っててね」

 藍里の静止も聞かずにすみかは表さきの座る席までスキップしそうな足取りで向かって行く。後ろ姿でも分かる。彼女は今面白いネタに突っ込んでいってるのだ。

(やめてよ、終われるなら何もなく終わりたい!!)

 藍里は恨めしそうにすみかの後ろ姿を見つめ、いつの間にか拳をぎゅっと握りしめていた。嫌なことや我慢しなくてはいけないことがあると、いつもやってしまう藍里の癖だ。

「あのぉ表さん」

「あら、初めまして。お名前は?」

「私渡辺すみかって言いますー!さっき表さんが告白した氷室藍里ちゃんのお友達です!」

 クラス中がどよめきそして一気に注目は二人に集まった。ニヤつく者、心配そうに見る者、興味なさげにすましているが、実は聞き耳を立てている者。

 すみかは注目されるのが大好きだ。いつもは友達想いでいい子なのだが、時折その友達すらもネタにする節がある。

「それで、私に何か用かしら?」

「いやーー!さっきの藍里への告白びっくりしちゃった。本当にガチの告白?それとも仲良くしようっていう意味?」

「あら、本気じゃなきゃみんなの前で言わないわよ」

(ありえない。そもそも初対面で告白とは漫画の世界でしょ。しかも同性よ?もしかして、表さんってレズなのかな?)

 きっとクラスの誰もが感じていることだろう。

 表さきはレズなのか。

 一番知りたいことだが一番踏み込めないことでもあった。セクシャルに関して友であろうと、親友であろうと、はたまた付き合ってる愛人、家族にすら言いづらいし聞きづらいことだ。

 藍里は不安だった。すみかはあまり考えず人に聞くところがあるから、表さんに聞くんじゃないかと気が気でない。藍里は単語帳を開いていたが最早内容なんて入ってこず、ただ何事もなくチャイムが鳴ることを祈っていた。

 しかし神様というのは無慈悲なものだ。

「表さんってレズなの?」

 すみかの一言にクラス中が静まり返った。まるで陸に打ちつけられた魚のように肺呼吸を忘れて、表さきを凝視する。

 藍里の血管一本一本が鼓動していると錯覚するくらい全身の脈が波打つのが分かった。内部が熱いのに死人のように手が震え、手汗で単語帳の端がふにゃふにゃになっている。

 表さきの様子が気になるが、藍里は顔を上げることもできずにただ奥の席で震えていた。

「レズじゃないわ」

 ただ一言。それだけ言うとまた表さきは学校の規則に目を落とした。背筋を伸ばし、凛とした佇まいには一切の焦りも感じず穏やかな雰囲気が流れていた。

 藍里は騒動に発展せずにひとまず肩の力を抜く。全身が硬直してたようで首を動かせばごきっと鈍い音が鳴る。深呼吸をしてやっと顔を上げることが出来た。

 クラスもだんだんと音が戻ってきてこのまま微妙な空気のまま終わると思っていた。

「じゃあなんで藍里に告白したの?」

 すみかは困惑したように表さきの頭上から言葉を発した。

「別に、好きだなと思ったからよ」

(あぁ‥もう)

 こうなるんだったら自分が行けばよかった。すみかを止めればよかった。そんな後悔と共に藍里は頭痛を感じた。いつもならすぐに鳴ってしまうチャイムが今日はどうやら壊れてしまったようだ。待てど待てど全く鳴ってくれない。

「レズじゃないけど女が好き?私その辺のセクシャル詳しくないから分からないんだけど、女と分かってて藍里が好きなんだよね?」

「えぇ」

「えーーー!なら表さんに忠告!藍里の恋愛対象は男だしラブラブな彼氏もいるからね!」

 表さきは今まで保っていた涼しい顔に少しの動揺を浮かべる。少し眉間に皺を寄せ、キュッと唇を噛み締めた。まるで手が届かないと分かっていたけど、憧れと少しの期待を持ってショーウィンドウから眺めていた宝石が、ある日突然あっさりと買われてしまったような横顔が見えた。

 余計なことを。と藍里は思った。事実であることは確かだし彼氏持ちと知っててもらった方がいいはずなのに、藍里はどうしようもなく苛立った。

 表さんに知られたくなかった。別に知らないでもよかったんじゃない?そもそもなんですみかが言うのよ。私まだ表さんと話したことがないのに。

 こんな見当違いな思いが溢れてきて藍里は訳がわからなくなった。ただ一つ分かったことは、思い描いている世界に上手く動いてくれず不甲斐なさや恐怖、戸惑いで一杯一杯で泣き出しそうだということだった。

 表さきはチラッと藍里の方を盗み見て、またすみかの顔を見上げた。

「残念。ライバルがいるなら攻略難易度が上がってしまったわ」

 表さきはそういうといきなり席を立って、藍里の方に歩み寄ってくる。いきなり立つもんだからすみかはビクッと体を強張らせ、ただその場を動けないでいた。

 先程の桜のような椿のような匂いが微かに香る。近づいてくる香りにどこか安心感を覚え藍里は表さきの瞳に自分を映した。

 表さきは藍里の後ろに立ち優しく肩に手を置いて一呼吸おく。

「渡辺さん。安心してね。私はこの人が好きだから。渡辺さんを好きになる事はないわ。女だったら誰でも恋愛対象ってわけじゃないのよ。もう少しセクシャルについて勉強する事をオススメするわ」

 自己紹介の時よりも大きな声で、クラスみんなに聞こえるように表さきは堂々と言い切った。

 藍里はこの瞬間瞳の奥に線香花火がパチパチと弾けた。何を考えてるかわからない、煙のような炎のような氷のようで花である彼女と、19歳で成人を迎える若者達の淡い恋が今始まった。

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