理想の友達

望月 栞

理想の友達

 渡辺アズサは母親が買ってきた、花瓶と赤いチューリップを受け取った。

「大事にするのよ」

「うん。ありがとう」

 箱に入っていたため取り出すと厚みと少し重みがあり、角に丸みのある四角くて小さな花瓶だった。待ちに待った花瓶がやっと手に入り、アズサはさっそく水を淹れる。チューリップの茎を剪定ばさみで丁度いい長さに切り、花瓶に差して自分の部屋の出窓に置いた。箱の説明書きを読んで花瓶の底にあるスイッチを押す。

「私、アズサ。今日からあなたをカズサって呼ぶね。よろしく」

 アズサがドキドキしながらチューリップに語りかけると、花瓶の表面に文字が浮かんだ。


 名前をくれるのね。ありがとう。こちらこそ、よろしくね。


 アズサはそれを見て自然と気分が高揚した。


 友達が少ないアズサはクラス替えで唯一の友達と離れてしまった。元々内気なこともあって新しいクラスで友達が欲しいと思っても、すでにいくつかのグループが出来上がっていた。休み時間に友達のところへ行こうとしたが、その子は別の仲の良い子と話していることが多く、その中に入っていくことも出来ずにいた。

 母親にその不安を漏らすと、最近流通し始めた植物と話せるというあの花瓶を買ってきてくれた。この花瓶は言葉が話せない生き物と話せたらという願いから発明されたもので、一般に販売されるようになったのだ。

 アズサはこれを手にしたら親しみを込めて花に名前を付けようと決めていた。今日も学校から帰宅してランドセルを置き、カズサに話しかける。

「ただいま。今日は漢字テストがあったんだけど、満点だったよ。この前は取れなかったからちょっとうれしい」

 アズサがそう言うと、花瓶の表面に文字が浮かんだ。


 よかったね。がんばったね。


「うん。いっぱい覚えたもん。でもね、体育もあったんだけど体力テストの日で、上体起こしが私だけ全然出来なかったの。明日も体育があって六十メートル走やるんだって。……いやなんだよね。体育は苦手だし、走るの遅いし。ほかの子は速いのに」

 アズサがため息を吐くと再びカズサの文字が出る。


 アズサは走るの速くなりたいの?


「うん。なりたいよ。うらやましいもん」


 漢字みたいに練習しないの?


「練習したってすぐに速くならないよ」


 じゃあ、他の子と比べちゃダメだよ。最後までちゃんと走りきることだけ考えて、がんばればいいんじゃないかな。


「それはそうなんだけど……」


 今日は、宿題はないの?


「あ、そうだ! 算数のプリントがあるんだ!」


 アズサはその後、寝る前にカズサにおやすみと一声かけて就寝した。

 翌日も学校から家に帰ると、カズサのもとへ行った。

「ただいま、カズサ」


 おかえり。水、換えてもらってもいいかな?


「うん。今やるね」

 アズサは花瓶を持ってキッチンへ向かった。カズサを取り出し、花瓶の中の水を捨ててきれいな水道水を入れる。カズサを花瓶に差して部屋に戻り、出窓に置くと文字が表示された。


 ありがとう。


 アズサは出窓の前に椅子を持ってきて、カズサと向かい合う形で座った。

「今日ね、算数の時間に先生に当てられて、黒板に書かれた問題を解かなくちゃいけなかったの。でも、わからなくて教科書見ながらやってみたんだけど、間違ってた。他に手を上げていた子はいたのに、何で私を指すかなぁ……」


 間違えるのは恥ずかしいことじゃないと思うよ。誰にでもある。その問題がどういうものなのかよくわからないけど、正しい解き方は教わったでしょう?


 アズサは頷いた。


 次は解けるように勉強してみたら?


「算数、苦手なの」


 何もしないといつまでも出来ないままだよ。わからないことがあったら、友達とか近くにいる子に相談してみるのもいいと思う。


 アズサが何も言えないでいると、カズサが話題を変えた。


 六十メートル走はどうだった?


「走ったよ。四人ずつやったんだけど、やっぱりビリだった」


 がんばったんだね。


「うん……」


 走ることができるっていうだけですごいと思うけどな。私にはできないことだから。


「あっ、そうだったね」


 もしまたやることがあったら、自分の記録が縮まるように意識してみるのはどうかな? 順位よりも、そこを少しでもよくなるようにすればいいんだよ。


「そっか。あんまり考えてなかったけど……そうすればいいんだね」

 アズサは少し心が軽くなったような気がした。それからもアズサは学校が終わるとすぐに帰宅し、カズサと話すことが続いた。

 ある朝、目覚めるとカズサの開ききった花びらが下を向いていた。首をもたげているようなその姿から、もう終わりなのかとアズサは悟る。学校へ行く前にカズサに話し掛けた。

「元気なくなったね」


 そうね。私達、花の寿命は短いのよ。


「話し相手がいなくなっちゃうよ」


 お友達とたくさんおしゃべりしたり、遊べばいいのよ。きっと楽しいわ。


 そんな相手は他にいないとアズサは思った。


 アズサと毎日お話出来てうれしかったよ。さあ、学校に遅れるといけないから、行ってらっしゃい。


 アズサは家を出る前に母親にお願いをした。

「新しい花、買ってきて」

「チューリップはどうしたの?」

「もう枯れちゃうもん」


 アズサが今日も一人で帰宅すると、母親が黄色いガーベラをわたしてくれた。アズサは花瓶を取りに部屋へ行くと、カズサの花びらは赤紫に変色していた。

「今までありがとう」

 そう囁いたが、もう反応はなかった。花瓶ごとキッチンへ持っていく。カズサを取り出し、水を新しく入れ替えてガーベラを丁度いい長さに切って花瓶に差す。

 カズサはキッチンにあるごみ箱へ捨てた。


 部屋に戻って花瓶のスイッチを押す。

「こんにちは。私、アズサ。あなたの友達だよ。あなたをこれからカズサって呼ぶから、よろしくね」


 こんにちは、アズサ。友達になってくれてうれしいわ。よろしくね。


 二代目カズサが生まれた。


 その後も今までと変わらず、帰宅したらカズサと話すことが日課となっていた。そんなとき、夕食の席で母親がアズサに訊いた。

「そういえば、お友達は出来たの?」

「うん」

 アズサにとって、それはカズサのことだった。

「あの花瓶が友達作りの練習になったんじゃない?」

「……練習なんてしないよ」

「遊びに行ったりしないの?」

「いっぱい話してるよ」

「そう。仲いい子が出来てよかったね」

 母親は学校でのことだと思い、それ以上は追及しなかった。

 アズサとカズサの友人関係はその後も続き、アズサはカズサが枯れるたびに新しい花を母親にねだった。

 今日もアズサが帰宅すると、ピンクのカーネーションであるカズサが部屋に飾られていた。

「ただいま。今日はね、図工の時間に絵の具を使って絵を描いたんだけど、先生に褒められたの!」


 よかったね。どんな絵を描いたの?


「カズサを描いたんだよ」


 そうなの。ありがとう。今度、見せてね。


「うん」


 それからアズサは明日の準備のためにランドセルの中の教科書を入れ替えていると、嫌なことを思い出して憂鬱になった。手を止めて、カズサに言った。

「明日、体育でサッカーしないといけないんだ。私、球技もダメだからやりたくないの。チーム戦になるから得意な子は熱が入るし」


 誰かに教わってみたら?


「そんなことしてくれる子、いないよ。失敗すればあとから、かげでブツブツ文句言ってるんだから」


 先生に相談してみるのはどう?


「言っても変わらないよ。……学校行きたくないな。カズサと話している方がいい」


 いやかもしれないけど、学校はちゃんと行った方がいいと思うよ。


 アズサは、何でそんなことを言うのかと感じた。

「カズサは学校に行かないからいいよね」

 とつぶやき、花瓶のスイッチを切って部屋を出ていった。

 翌日、アズサは結局学校へ行き、帰宅するなり、カズサに学校での不安や不満を吐露した。


 いやな気持ち、大変な思いをしているのはアズサだけじゃないと思うよ。ほかの子の中にだっていやだなって思っても、がんばって登校している子はいるんじゃないかな。だから、アズサもね。


 アズサは今のカズサと話すうち、これはカズサではないような気がしていた。寝る前に、母親に今回もお願いした。

「ねぇ、新しい花、欲しい」

「え? この間、買ったばかりじゃない。もう枯らしたの?」

 アズサは首を横に振った。

「まだだけど」

 母親はため息をついた。

「今回のカーネーションで最後ね」

「えっ!? 何で!」

 母親の言葉に、アズサはショックを受けた。

「欲しいなら自分のお小遣いで買いなさい。お年玉だってとってあるでしょう?」

 アズサはどうしたらいいか悩みながら、部屋へ戻った。


 自分のお小遣いを使うのはどうしてもためらわれて、アズサは代わりに道端に植わっているたんぽぽを見つけて喜び、摘んで持って帰った。洗面所で茎を洗い、部屋へ向かう。そしてカズサの前に立った。

「ただいま。カズサ」


 おかえり。アズサ。手に持っているのは、たんぽぽ? どうしたの?


「通学路の途中に咲いていたの」


 そうなんだ。きれいね。

 アズサは頷いた。

「カズサ、今までありがとう。今からこのたんぽぽが新しいカズサになるから」


 どういうこと?


 アズサはカズサの問いに答えず、花瓶から抜いてそこにたんぽぽを入れた。カーネーションのカズサを手にし、リビングへ行って母親に尋ねた。

「お母さん、普通の花瓶ってある?」

「あるけど、使っているから空いているものはないわよ。買ってあげたものがあるでしょう?」

「うん。それも使ってるの」

 アズサはまだ咲いているカーネーションをごみ箱に捨てることは出来ず、仕方なく庭に咲いている百日紅の根元に置いた。

「ごめんね。あなたはカズサじゃなかった」

 そう言うと、アズサは自分の部屋へ引き返す。曇り空の下、カーネーションは横たわったままアズサの後ろ姿を見送った。

 アズサは自室の扉を開け、花瓶のたんぽぽへ真っ直ぐ向かう。

「こんにちは。私、アズサ。今日からあなたをカズサって呼ぶね。よろしく」

 話し掛けたが、何の表示も出てこなかった。

「あれ? スイッチ入っているのに。カズサ……?」

 首を傾げながら呼ぶとようやく文字が表れた。


 ……こんにちは。ここはアズサのお家?


「うん。そうだよ」


 突然、連れてこられたからびっくりしているんだけど……。


「あ、そうか。ごめんね。新しい花が欲しいなって思っていたんだけど、あなたがきれいに咲いていたから」


 えっ、そうなの? ありがとう。さっきのカーネーションはどうしたの?


 アズサはどう言おうか逡巡し、告げた。

「あの子は別の花瓶に移したよ。だから君が新しいカズサだよ」


 名前を付けてくれるんだね。これからよろしくね。


 こうしてまた、新たなカズサが生まれた。


-fin-

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