第2話―Day1「庭園の少女たち」―
「はぁはぁ……遅刻遅刻! 今度遅れたら補習課題だってのに、私のバカぁ!」
とある夏の日の朝。眩い日差しと茹だるような熱気溢れるこの街で、大声でマンガみたいなセリフを叫びながら走る少女がいた。
活発的なショートカットの黒髪が風になびき、陽光を浴びて星型のピン留めがきらりと輝く。額に浮かんだ汗も、キラキラと輝き首筋を流れていく。
「あぁもう! もうちょっと早起きしてればよかったぁ!」
少女の名は
高い学力を誇るその高校の生徒が、今汗だくで嘆きながら走っている。それ故周りからは好機の目が向けられてはいるが、そんなこと瑠璃には気にしている余裕はなかった。
「あぁ、でも早起きして家出てたらあのおばあちゃん困ったままだったろうし……」
彼女が遅刻したのは何も寝坊したからではない。人助けをしていたからだ。
通学中に財布を無くしたおばあさんと出会ってしまい、捜索の手伝いをしていたのだ。
無事財布は見つかったが、始業時間まで残り10分となってしまった。
「間に合うには……公園を突っ切るしかない! フェンスを乗り越えれば大幅なショートカットだ!」
瑠璃は急いで公園へと足を向けた。だがその瞬間だ、彼女の瞳に困っている人が映ってしまった。
瑠璃は困った人を見れば助けずにはいられない性格なのだ。
「あの、妹を探しています! 心当たりある方は教えてください!」
そう言いながらビラを配る大学生くらいの男。瑠璃は本能で男からビラを受け取ってしまう。
そこには「行方不明! 情報求む!」と、大きく書かれ、瑠璃と同い年くらいの女の子の写真が載せられていた。
さらりとした赤い髪にぱっちりと大きくて澄んだ瞳がキレイな女の子だ。
「さやま……すずねさん?」
「
「あ、すいません……期待させちゃって悪いんですけど、私、この人のこと知らなくて……たぶん廊下とかですれ違ったことはあると思うんですけど……クラスも違うし」
「いえ、いいんですよ……」
はぁ、と男は溜め息を吐きビラの写真に目を落とした。彼の手に力がこもり、ぐしゃり、ビラの端が崩れる。
「あの、鈴音さんはいつから帰ってこないんですか?」
もう瑠璃の頭に遅刻する、という考えはなかった。今目の前に困った人がいる、彼を助けたい、その思いで頭がいっぱいだ。
彼は瑠璃を見る、潤んだ瞳で。
「もう2週間はたちます……多分、帰ってこないとは思いますけど……何かせずにはいられなくて」
「帰ってこない?」
「えぇ。2週間前、鈴音の失踪とともに家に大金が届きまして……知ってるでしょう? 最近ニュースで取り上げられてる連続誘拐事件。鈴音はそれに巻き込まれてしまったんですよ」
彼女は思い出す。今朝も朝食を食べながら見ていたニュースでやっていた。
「全国各地で起こってる誘拐事件ですよね? 1か月以上たっても犯人が見つからないって事件。女の子だけを狙った犯行で、誘拐と引き換えに大金を置いていくっていう……いろいろネットでも噂になってます。犯行現場には証拠が何もなかった、とか、外国で人体実験に使われてる、とか……あっ、ごめんなさい! 私、そんなつもりじゃ」
「いいんだよ、気にしてない。周りのみんながそう言ってるからね、もう慣れたよ……」
男は小さく自嘲気味に笑って見せた。愁いを帯び、今にも消えてしまいそうだ、瑠璃にはそう見えた。
「あの……私でよければ学校でいろいろ聞き込みしてきますから。もしかしたら何か情報が掴めるかも。だから、お兄さんは諦めないで、信じてあげてください」
「……うん、ありがとうね。それで、キミ、時間は大丈夫なのかな? 鈴音はこの時間だと学校に着いてるって言ってたから」
そこで彼女は思い出す。自分が遅刻ギリギリだったことを。
「あっ! そうだった! ごめんなさい! 私、学校行ってきます! 鈴音さんのこと、いろいろ調べておきますから、お兄さんも頑張ってくださいね!」
瑠璃は受け取ったビラを丁寧に折りたたみ、カバンの中にしまう。
そして学校へ向け走りだした、のだが。
「お兄さん! ビラ、もうちょっとください! 学校に貼っておきますから!」
「いいからキミは学校に行きなよ、遅刻するんだろう? 俺は当分はここでビラ配ってるし、また今度でいいから」
「わかりました、では!」
「はぁ……騒がしい子だなぁ。でも、珍しいよな、あんな優しい子。俺の話もちゃんと聞いてくれたし……いい子だよ、ほんと。鈴音にそっくりだ」
男はそう呟いたが、走り去る瑠璃の耳には届いていなかった。
「あのフェンスを飛び越えれば……3分で着く! ぎりぎり滑り込みセーフだ!」
瑠璃は全力で走り、公園に辿り着く。彼女の目には公園の奥のフェンスしか映っていない。
全力で駆け、フェンスまであと少し。と、いうところで彼女の視界がぐにゃり、歪んだ。
はじめ彼女は夏の暑さと走った疲れで脳がパンクしてしまった、もしくは陽炎か、なんて思った。
しかしそうでないことを残念ながら理解してしまう。なぜなら、歪みはどんどんと大きくなり、目の前の空間にぽっかりと大きな黒い穴が開いたからだ。
現実ではありえないそれに足を止められ、彼女は自身の遅刻を悟った。これが夢や妄想ならいいな、とどれだけ願ったことだろうか。
「あぁ、神様……課題の山だけは勘弁してほしかったのに……」
空間にぽっかりと開いた真っ黒な非現実。それを見ても、彼女の口から漏れることはそんなことだった。
何せよくわからない穴が目の前にできたとして、どういうリアクションを取ればいいのか、普通の人間にはわからない。
「あっ……なんか出てきた……きもっ」
遅刻が確定した遠い目で穴を見つめていると、そこからにゅるり、と人が這い出てきた。その様はテレビの中から這い出して来る貞子のよう。
ずるずると這い出るさまを瑠璃はドキドキと異様な心地で見るしかない。
這い出してきた人物がべちゃり、地面に滑り落ちると穴はあっという間に消えてしまう。そんなもの、元から無かったかのように目の前は元通りだ。
セミの鳴き声も、車の音も、道行く人々も、目の前の景色も何もかも同じ。
ただ一点、這い出してきた人物を除いては。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
見た目は完全に大丈夫ではない。そうわかっているのに、瑠璃はそう声をかけるしかなかった。
「女の、人……? 何この格好、コスプレ?」
這い出てきた人物は燃えるように真っ赤な長い髪に、日曜の朝にやっている女児アニメみたくピンク色のフリフリした衣装を身にまとっている。
それに手には炎のようにオレンジに輝く銃剣が。
コスプレに疎い瑠璃だが、とても完成度が高い衣装だな、なんて感心してしまう。
が、それも束の間。彼女の肌にところどころ刃物か何かで切り裂かれたような、鋭利な傷があるのが目に入り慌てて抱え起こす。
ついさっきできたような生々しい傷跡だ。真っ赤な純血が滲み出している。
「あの! 聞こえますか! どうしたんですか!」
抱え起こして彼女の顔を覗いた時、瑠璃は驚いた。それは先ほどビラで見た、狭山鈴音だったからだ。
「り、鈴音さん!?」
「ど、どうして……私の……名前……」
鈴音は顔にもべったりと血が付いている。息も絶え絶えだ。焦点が定まらぬ目が驚きの色を帯びて瑠璃を見ている。
「お、お兄さんが探してて、それで……って、救急車! すぐ救急車呼ぶからね! えっと……救急車って何番だっけ!?」
電話をかけようとする瑠璃の手を鈴音は握り、首を横に振った。そして血が漏れ出す口を必死に動かし言う。
「私は……もうすぐ……死ぬ……もう、かまわないで……あなたまで……巻き込んでしまう……」
「え……? どういうこと? え!? 何かの撮影かドッキリとか!? それならたちが悪いよ!」
「違う……本当、なの……巻き込まれないうちに……どこか……いって……」
「そんなのできないよ! 目の前で死にそうな人置いて、どこかになんて行けない!」
困っている人がいれば放っておけない、それが死にそうな人ならばなおさらだ。瑠璃はどうにか鈴音を助けようとするが、体中の無数の傷から彼女の命のガソリンがぼたぼたと滲み出している。
それをすべて止めるには瑠璃の知識は少なすぎた。
「えっと、どこから傷を塞げば……一番おっきい傷は……」
「あなた……お兄ちゃんを……知ってるんだよね……? じゃあ、これを……お兄ちゃんに……今すぐ……持って行って……」
鈴音は震える手を動かし、自身の首に下がっていたネックレスを瑠璃に手渡した。瑠璃はそれを受け取り、手のひらの上で広げてみせた。
彼女の血がべったりと付着しているそれは、ユニコーンのネックレスだ。血の合間から見える銀色が陽光を浴び鈍く輝いている。
「それで……お兄ちゃんに……言って……私は……幸せだったって……今までありがとうって……」
瑠璃はネックレスを持ったまま、鈴音の手をぎゅっと握った。
「ううん、鈴音さん、それはあなたが言うの。今すぐお兄さん連れてくるから、それまで待ってて」
もし救急車が来ても彼女は助からないかもしれない。ならば最後に、お兄さんに会わせてあげたほうが彼女のためなのかもしれない。
瑠璃はそう思い行動することに。
「すぐに、連れてくるから。だから、待ってて」
「お、にい、ちゃん……」
瑠璃はもう一度強く鈴音の手を握りなおす。絶対に連れてくるから、それまで耐えて、そう言わんばかりに。
鈴音は安心したようににっこりとほほ笑んだ。とても穏やかで、愛らしい笑み。
だが、次の瞬間だった。
「えっ……?」
目の前で彼女が爆ぜた。そう、文字通り、爆発。
何の前触れもなく、彼女の上半身が破裂したのだ。
にっこりと笑った顔も、握った手も、もうそこにはない。あるのは主を失った下半身と、大量の鮮血のみ。
「えっ……?」
瑠璃はもう一度呟き、自分の手を開いたり閉じたりを繰り返す。さっきまで手にあった彼女の感触がない。残されたのはネックレスのみ。
次に彼女は自分の頬を拭った。生暖かくねっとりとした液体が付着している。
「鈴音は……?」
脳裏にフラッシュバックする彼女の最後の笑顔。それが今は無く、ただの液体になってしまっている。
それが信じられなくて、恐ろしくて、彼女は動悸が早くなるのを感じた。
ドクドク、ドクドク―。そして心臓の鼓動が最高潮に達したとき、プツン、と彼女の意識はまるでテレビの電源を切るかのごとく、ブラックアウトした。
目の前で何が起こったのか、彼女には最後まで理解できなかった。
そして、この出来事が彼女の日常の終わりだということも、今の彼女には到底理解できなかった。
「ほら、瑠璃、お買い物に行くわよ」
「瑠璃、いつまで寝ているんだ? 早く起きないと置いていっちゃうぞ」
「いいもん! 私、行かないから! ずっと家で寝てるもん!」
「なんでよ。今日はママたちと一緒にお買い物ってずっと言ってたでしょう?」
「ママもパパも、ずっと自分のお洋服ばっかり見て楽しくないもん! 私、オモチャ見たいの! オモチャ買ってくれないなら、行かない! 寝てるから!」
(あぁ、ダメだよ、私……起きないと……)
駄々をこね、布団から出ることを拒む少女。それに困った顔を浮かべる両親。
いつかのそんな光景を、彼女はふわふわとした心地で見ていた。
「オモチャならこの前誕生日で買ったでしょう?」
「でも新しいの欲しい! みんな持ってるもん!」
「我がまま言わないの。ほら、お買い物行くわよ」
「行かない!」
(ダメだよ、行かないと……パパもママも困ってるでしょ?)
声をかけようとしても喉が話し方を忘れたみたいに震えない。
彼女は過去の自分に向け、手を伸ばすがするりとすり抜けてしまう。
「こら、瑠璃。お母さんを困らせちゃだめだぞ」
「知らないよ、そんなこと! 今日は行きたくないの! もう放っておいてよ!」
(ダメ、それ以上言っちゃ……)
「ママもパパも」
(ダメ!)
「大嫌いだ!」
過去の自分がそう言い放ったと同時、世界が真っ白な明かりに飲み込まれる。
そして、瑠璃の意識は現実に戻ってきた。
「あ、あれ……私……」
瑠璃は瞳をぱちくりさせ、ゆっくり起き上がる。呆けた思考が霧が晴れるみたく徐々に鮮明になっていく。
辺りを見渡して、彼女は首を捻った。
「ここ、どこ……?」
彼女が目を覚ましたそこは、真っ白な百合の花が咲き誇る庭園だった。2メートルはあろうかと思う壁に根が這い回り、そこから百合の花が咲いているのだ。
甘い匂いが彼女の鼻孔をいやにくすぐり、脳をぐらりと揺らす。まだ夢心地にいる気分だ、なんて思えてしまうくらいに。
「あ~あ、やっぱりこの人もわかんないか」
「まぁそうっすよねぇ」
「ちっ。誰だよ、次に来る奴はわかるって言ったのは」
「わ、私じゃ、ありませんから……ほんとですよ!?」
「まぁまぁ。わかるかもという話でしたから」
「……えっと、あなたたちは?」
彼女が目覚めてから見たものは、百合の花だけではなかった。
6人の少女がこの場にいた。皆高校生くらいだろうか。大人と子供、その中間の雰囲気を纏っている。
彼女らの服装を除いては。
「てか、何、あなたたち? コスプレ大会?」
「まぁそう思うっすよねぇ」
ここにいる少女たちは皆、コスプレのような衣装をまとっている。ドレス、ゴスロリ、アイドル、エトセトラ……
真っ黒なゴスロリに薔薇の髪飾りを付けたメガネの女の子が、トテトテと瑠璃に近付き言う。
「でもあなたも同じみたいっすよ」
「私も? 嘘!? ほんとだ!」
彼女は自分の衣装を見て初めて気が付いた。自分も、鈴音のような魔法少女のような衣装を着ていたのだ。
「恥ずかしぃ……」
「そ、そうですよね……」
「ボクも少し、恥ずかしいですね」
うっすらとした水色のドレスを纏うボブヘアの少女と、エジプトのお姫様が着ているような衣装をまとうポニーテールの少女が彼女に同調する。
「こんなので恥ずかしいの? ま、しょせんはパンピーだもんね。アイドルのあたしにはわかんないなぁ」
そう言った彼女はピンクのツインテールに、ピンクのフリフリした衣装。確かにアイドルのよう。
「アイドルなんてほんとかよ? オレは見たことねぇぜ」
男勝りな口調の彼女は長い金髪に学ランにズボン、いかにも不良っぽい見た目だ。
「あたしは今からがスタートなんですぅ! ようやくデビューして今からだってのに……こんなところに……」
アイドル少女はうつむいて呟く。他の少女たちも思うところがあるのだろうか、皆、無言になってしまう。
「えっと……あなたは、どうなのかな? さっきから黙ってばっかりだけど」
と、瑠璃は少女たちの輪から外れて一人、腕組をしている女の子に声をかけた。
彼女はいばらでも纏っているかと勘違いするほどの鋭い空気と闇を思わせる漆黒のドレスを纏う。彼女のドレスもまとっている空気みたくどこかとげとげしく見えた。
「あたしは……馴れあうつもりはない」
「え……?」
「あの子は放っておくっすよ。ずっとあんな調子っすから」
「う~ん……でも」
その時だ。瑠璃の言葉を遮るように、目の前の空間が歪み女の子が現れたのだ。そう、何もない空間から、突然だ。
その女の子もコスプレのような真っ赤なドレスを身に纏っていた。
「はぁ……また来たみたいっすね」
「また……? ってことは、私もこんな風に?」
「そうですよ。ボクは全部見てましたから。あ、でもあの人だけはボクが来るより先に」
ポニテ少女がいばら少女をちらり見る。
が、いばら少女は彼女らに興味なさげに、小さくあくびをした。
「えっと、ここは」
「はぁ、また外れね」
「ったく、なんなんだよ、ほんとによぉ」
どうやらこの反応もおなじみと化していたようで、少女たちは存外落ち込んでいるようには見えない。
今やってきた彼女と、ボブヘアの彼女を除いては。
「えっ……? ここ、どこなんですか!? 私、確か先生と……先生!?」
「ねぇ、やっぱりここ、おかしいよ……わけわかんないよ!」
ボブヘアの少女は叫び、いばら少女の胸倉を掴む。その勢いはまさに鬼気迫るものがあった。
「ねぇ! あんたなんでしょう!? あんたが私たちをこんなところに連れてきた!」
「証拠は?」
「あんたが一番初めにここに来たからよ! 元からここにいて、さも私たちと一緒に来ましたって空気出してれば疑われないと思ったんでしょう!?」
「なぜそんなことをする?」
「それはこっちが聞きたいわよ! どうしてこんなことするの!?」
「知るか」
いばら少女は強くボブヘア少女を突き飛ばした。その衝撃で、ボブヘア少女のポケットから小さなキューブがころりと転がる。
少女がそれに触れた瞬間、キューブは輝いた。目が眩むくらいのまばゆい光。その後に目の前に現れたのは青白く輝くマスケット銃だった。
キューブがマスケット銃に変わったのだ。
「何よ、これ……なんなの、これ!? もうわけわかんない! おかしくなりそう!」
少女は強く叫んだ。鼓膜が劈かれるくらい、強く強く。
「ねぇ! ここから出してよ! おかしくなりそう! さっきからずっと聞こえるの! 死ね、死ね、ってずっと! みんなは聞こえないの!?」
彼女たちは首をかしげる。もちろん瑠璃にも聞こえてはいなかった。
そんな彼女らを見てボブヘアはさらに発狂したように奇声を上げ、とたん、電池が切れたみたいにがくん、と膝から崩れ落ちた。
「そうだ……死ねばいいんだ……これは夢だから……死んだら、覚める……」
ボブヘアはポツリ、そう呟くと物凄い勢いでマスケット銃の先端を自分の口に咥えた。
「やめ」
瑠璃がそう言う間もなく、彼女は引き金を引いた。
ズバリュンッ! 凄まじい音と光が放たれ、次の瞬間には彼女の顔は、下顎から上が吹き飛んでいた。
傷口は焼け焦げてくっつき、血しぶきすら上がらない。
普通の銃ではそんなことにはならない。瑠璃はその理由を、しっかりと見てしまっていた。
銃口から飛び出したのはただの弾丸ではなく、青白く輝く電流だった。それがボブヘア少女の顔を吹き飛ばし、超高温により傷口が塞がってしまったのだ。
ぷすぷす、と煙が上がる少女の咢を見て、彼女らは声が出せなかった。
「うわぁ!」
無言を打ち破ったのは、新しくやってきたドレス少女だ。彼女は地面に膝をつき、嗚咽とともに胃の中のモノを吐き出した。
「おぇっ!」
「うわっ!? きたねぇな、おい! ……って、お前、それ、なんだよ」
不良少女が指さしたのは、彼女の吐瀉物に紛れた小さな塊だ。
「何……これ……」
ドレス少女は目を凝らし、その塊を見た。とたん、塊に黒い染みが浮かび上がり、彼女は、キャッ、と短い悲鳴を上げる。その染みはまるで目のよう。
「これ……赤ちゃん、だよ……」
「そ、そうですね……胎児、みたいですよ」
塊は、胎児だった。だがなぜ口から、そんな疑問を持った彼女らをよそに、ドレス少女はそれを優しく包み上げる。
「あぁ、ごめんね……産んであげられなくて、ごめんね……先生との赤ちゃんができちゃったって知られたら、まずかったの……ほんとは産んであげたかったのに、ごめん……今から、お腹の中に戻してあげるから」
少女は優しく言うと、胎児を自分の口に放り込んだ。ゴクリ、それを飲み込み、そして小さく微笑む。
「あぁ、私の赤ちゃん……」
だが次の瞬間だ。少女は喉を押さえ、苦しみ悶え始める。
顔が真っ青に染まり、身体も痙攣し始めた。だが、彼女たちはそんな少女を救う知恵を持っていない。
結局1分ほどのたうち回り、少女は息絶えた。彼女たちにはその1分が、1時間にも、1日にも感じたという。
「死にたくなければ、まともな精神を捨てることだ。だからといって狂気に身を落としても死ぬ。生き抜きたければ、抗え。こいつらみたいになるぞ」
いばら少女はそう言って死んでいった彼女たちの身体を漁り、キューブを奪う。その一連の動作は慣れているように見えた。
彼女は死体を見るのも、触るのも、抵抗がないように見えたのだ。
「こいつのマスケット銃は使えるな。こっちは……ブーメラン? 使えないが、無いよりはましか……」
彼女はキューブを武器に変え、またキューブに戻しポケットに入れる。
「ちょっと待ってよ。あなた、何か知ってるんでしょう? もっと早く教えてくれてれば、この子たちも死なずに済んだのに……」
瑠璃は一歩前に出て、いばら少女に言う。だが彼女は冷たい視線とともにマスケット銃を瑠璃に向けた。
瑠璃の頭にボブヘア少女の死に際がフラッシュバックする。もし彼女が引き金を引けば、自分の頭もあんなふうになってしまう。
足が震えてきたが、ぐっと力を込めてそれをこらえ、いばら少女を睨み返した。
「何するの……」
「あたしのやることに口をはさむな。ヒントは教えてやった。それでいいだろう?」
「よくないよ! 私たちはこれからどうすればいいの!? 何があるの!? こんな武器を持って、何をすればいいの!?」
「すぐにわかる、嫌でもな」
そう呟いた彼女は瑠璃に興味を失ったみたく、背を向けて去って行ってしまう。
瑠璃は彼女の後を追いかけることができなかった。最後に向けられた彼女の視線が、怒りと悲しみと、そして絶望に染まっていたから。
「あの、皆さん自己紹介しませんか? ほら、ボクたちお互いのこと、何も知らないですし。結束を深めるいい機会ですよ」
ポニテ少女の一声で自己紹介が始まった。
「ボクは
「はっ。オレは誰とも仲良くする気はないね。好きにしなよ」
「もぅ、いきなり流れ潰さないでほしいっすよ。あ、あーしは
「あたしは
「私は鶴田瑠璃です。よろしくお願いします」
残るのは不良少女だけ。彼女は皆にじっと見られ、観念したように溜め息を吐いた。
「
全員の自己紹介が終わり、舞奈は満足したように頷いた。
「それで、これからどうしますか? ボクたちは何の因果かここに集められた。いつの間にかこんな不思議な武器を持たされて」
舞奈がポケットからキューブを取り出した。するとそれが光り出し、真っ赤な弓矢に姿を変える。
皆もそれに倣い自分のポケットをまさぐり、キューブを取り出して武器に変える。
「あーしはレイピアっすね! かっこいいっす!」
「俺はグローブだな。サイズもぴったりと来てやがる」
「あたしは……マイク? アイドルだから?」
「私は、盾だ。腕にぴったりはまるや」
「ふむ……全員が武器を持っている……」
「なんかゲームみたいっすね!」
なんて言っている時だ。ざぐっ、という足音が響き、彼女たちはビクリ、と肩を震わせる。
お互い顔を見合わせて、自分たちの足音ではないことを確認する。
それは庭園の角から、こちらに向かいだんだんと近づいてきた。
「な、何か近づいてきますね……」
「瑠璃どのぉ。盾持ってるんだし守ってほしいっすぅ」
「そ、そうよ! 守りなさいよ! アイドルのあたしを守れるなんて光栄なんだからね!」
「わ、わかったから押さないで……」
瑠璃は盾を構え、皆の前に立ち塞がる。
皆を守らなければ、見ず知らずの少女たちだが死んでほしくない。彼女はそんな意志の下、盾を構えるが心臓は痛いほどに叫んでいた。
何かよからぬものが近づいてくる、人間に残された動物的本能がそう叫んでいるのだ。
そして、角からやってきたそれはようやく姿を現した。
それは人の姿をしたものだ。だが人と決定的に違うのは、その体が獣のような毛皮に覆われていること。そして、オオカミのような頭をしていること。
「え……? 何あれ……人? オオカミ?」
「瑠璃殿、あれはウェアウルフっすよ! ゲームで見たことあるっす!」
「ウェ、ウェアウルフ……?」
「人狼って言ったほうがいいっすかねぇ」
「そんなのどっちでもいいよ! 誰でもいいからあいつ倒してよぉ! 気持ち悪いよぉ!」
ウェアウルフは彼女たちに気が付くと、手に持った槍を構えて突進してきた。
鈍色に輝く切っ先が彼女たちに迫る。
「わ、私が何とかしてみせるから……!」
皆の前に躍り出る瑠璃。いまだ恐怖が残っていたが、それを気にしている暇はない。
だが盾で何ができようか。それを考える暇も彼女にはなかった。
「こ、来い……!」
瑠璃とウェアウルフの距離が徐々に近づく。それに伴い彼女の鼓動は強く脈打ち、盾を握る手に汗が滲む。
逃げたい、その思いを押し込めて彼女は敵を睨んだ。
「みんなは、私が守ってみせる!」
意気込み叫んだその瞬間、ウェアウルフの姿が彼女の視界から消えたのだ。
「ど、どこ!?」
驚いて辺りを見渡した彼女の頬に、温かな液体が付着する。それは少し前にも浴びたことがあり、体が覚えていた。
「血……?」
「あっ……あがっ……」
悲痛な悲鳴が聞こえ、瑠璃は恐る恐るそちらを向いた。
「ひっ……あ、藍那殿……」
「なっ……どうして……」
そこには、ウェアウルフの槍が口に突き刺さった藍那の姿があった。
ウェアウルフは瑠璃を飛び越え、頭上から藍那を襲ったのだ。
彼女は驚愕と痛みに瞳をめいっぱい開け、助けてくれとでも言いたげな瞳を瑠璃に送る。
だがウェアウルフが槍を引き抜いた瞬間、口から驚くべき程の血が、そう、まるで噴水みたく噴き出したとともに、その瞳は光を失った。
「る、瑠璃殿! あーしたちを守ってくれるんじゃなかったんっすか!?」
「わ、わかってる……! 次は絶対に守る!」
ウェアウルフが藍那の血に濡れた切っ先を向け突撃してくる。今度こそ瑠璃を狙ってだ。
「今度こそ……今度こそ!」
「いえ、退いてください、瑠璃さん。そこに立たれると邪魔ですから」
舞奈の冷たい声音が瑠璃の背に響く。
「え……?」
「いいから早く退いてください! ボクは、絶対に生き抜いてお父さんのところに帰るんだ!」
彼女の言葉に従い瑠璃は動いた。その瞬間だった。
瑠璃がもともと立っていた場所に、ひゅんっ、と素早い何かが通過したのだ。
それは矢だ。舞奈が撃ち放った矢がまっすぐに飛び、ウェアウルフの眉間を貫く。
ぐっさりと眉間を貫かれたウェアウルフは、勢いそのままに地面に滑り落ち、動かなくなる。
「舞奈……?」
「ふぅ……動く的なんて初めてだったんですけど、案外射抜けますね」
舞奈は額に浮かんだ汗を拭い、一息吐いた。瑠璃は驚きで声も出ない。
「すげぇな、お前。ま、でも次はオレにやらせろや。オレだってあんなバケモノ、怖くねぇからよ」
「な、何言ってるんっすか! 怖くないなら戦えばよかったんっすよ! 藍那殿が、死んでしまったんっすよ!」
「は? 知らねぇよ。こいつがとろかったから死んだ、それだけだろ? オレはちゃんと避けたが、こいつは避けられなかった」
「そ、そんな言い方……ないっすよ!」
「ま、まぁまぁ、二人とも……」
泉美と雷花の間に瑠璃は割って入るが、どうなだめていいかわからずにいた。
何せ藍那が死んでしまったのだから。
彼女も表面では見せないが動揺を隠せない。
「落ち着いて、とは言わないよ……でも、今ここでケンカしてたらまたこんなのが出てきたとき負けちゃうよ? 今はみんなでどうやって生き抜くか、考えなくちゃ。そのために力を合わせよう?」
「ハッ。守る守るって言いながら何もできなかったお前がよく言うぜ」
「そうっすよ……瑠璃殿がもっと強かったら……藍那殿は……うぅっ……もうこんなの嫌っすよ……こんなゲームみたいな」
そう言って泉美はハッとしたように顔を上げた。
「泉美さん、何かわかったんですか?」
「ゲーム……そうっすよ、これはゲームっす! あーし達に武器が与えられて、モンスターが出てきて戦う……完全にゲームっすよ! だから、あーし達が決められた数モンスターを倒すか、どこかにいるラスボスを倒せば終わりっす!」
「は……? お前、頭沸いてるのか?」
「それに集められたのは女の子ばかりっす……それってもしかしてあの誘拐事件じゃないっすか!? あーし達は金持ちの娯楽か何かの実験のために誘拐されて、こんなゲーム強制させられてるんっすよ! あーしたちは何かVRのようなものを付けられて、こんなことさせられてるんっす!」
「飛躍しすぎだろ」
「いえ、それを否定する要素もありません。完全には肯定もできませんが……でも、敵が出てきてボクたちにはそれを倒す力がある。ならばそういうことかもしれませんよ」
「オタクの言うことはわかんねぇな。おめぇはどう思うんだ?」
雷花が瑠璃に振る。瑠璃は考えたが、答えは出ない。
「私は、わからない……でも、ここでただじっとしていてもダメだと思う。まずは何かヒントを探さなくちゃ。それにはあの子の助けが必要かも」
「あの子って……黒いドレスの女の子ですか?」
「えぇ。あの子は何か知ってる。だから、聞きださなくちゃ。でもそれには私たちの力が認められる必要があるのかも」
「だったら出てくる敵を倒すまでだな! 今度こそオレがぶっ殺してやんよ!」
「あ、あーしだって戦うっす! 怖いけど、帰るためっす!」
彼女たちは庭園を歩くが、何も見つからない。景色も白百合が咲き誇る壁のみで何も変わらない。
「はぁ……歩き疲れたっすぅ……オタクにこういう探索は向いてないっすよぉ……」
「ったくこれだからもやしは……ほら、オレが背負ってやるよ」
「え……? 雷花殿はオタクに優しい不良だったでござるか?」
「オレにはお前みたいな妹がいたんだよ。なんか、ダブっちまってな」
「雷花殿すきぃ」
泉美が雷花に甘えるのを二人は離れて見ていた。
「なんだか仲良くなってますよ。よかったですね」
「まぁ、そうだね」
「瑠璃さん、浮かない顔ですね? やっぱりさっきのこと、引きずってるんですか? 大丈夫ですよ。何の慰めにならないかもしれないけれど、ボクが盾を持っていたって、あれは守れなかったかもしれませんから」
「そ、そう、かな……? ううん、私はそういう風に割り切れないかな、やっぱり……」
瑠璃の脳裏には少女たちの死に際がきっちりと刻み込まれてしまっていた。振り払おうとしても振り払えない。
気を抜けば自分もあんなふうになってしまうかもしれない恐怖が身体を巡る。
もし舞奈たちがいなければ心が壊れてしまっていただろう。
自分じゃない誰かがいる、それが心強いものだと瑠璃は改めて気が付いた。
「ううん……弱音は吐かないよ。私は今度こそみんなを守らなくちゃ」
「そう思いつめなくても……いえ、そうですね。誰かのためになら力を出せる、そういうこともありますから。ボクもさっきはお父さんのこと考えてあいつを撃つことができましたし」
舞奈はぎゅっと胸に手を当てて、優しく言う。
「へぇ、舞奈はお父さんのために頑張ってるんだね」
「えぇ。ボクのお父さんは決して立派な人とは言えないですが、優しくて頼りになって、自慢のお父さんなんです」
「大事な家族なんだね」
瑠璃のその言葉に舞奈はにっこりとほほ笑む。
瑠璃には父親も、母親ももういない。帰るべき家族がいる彼女のことを、少し羨ましく思えた。
「ねぇ、二人とも。これ、なんっすかねぇ」
「何か見つけたみたい。早く行こう、舞奈」
泉美が指をさしたそこにあったのは、女性を模った石膏像だ。
美術品にあまり造詣がない瑠璃でもわかるほどその石膏像は美しいと思えた。
その女性像はポツリ、と場違いなように庭園に佇んでいる。
「すごいキレイな人……実在した人なのかな?」
「わかりませんが……この女性のほほえみは見ているだけで穏やかな気持ちになりますね……なんていうか、聖母様、みたいな」
「はっ! 聖母だぁ? 何わけのわかんねぇこと言ってんだ。それにこんな石像見つけても何の手掛かりにもなりゃしねぇじゃねぇかよ」
「でももしかしたら何かのヒントかもっすよ? それかセーブポイントか回復ポイントっす」
「は? 何言ってんだ? そんなわけのわかんねぇヒント探るよりかは敵を探してぶっ殺したほうが帰れる可能性は高いだろ?」
呆れたように雷花は溜め息を吐き、すたすたと行ってしまう。泉美もその背を遅れまいと着いて行ってしまった。
「瑠璃さんはどう思いますか? この石膏像、何かのヒントに繋がってると思いますか?」
「う~ん……ヒントって言っても、私たちの持ってる情報が少なすぎるから何とも……でもこんなところにポツンとあるってことは、何か意味があるんじゃないかって思えるなぁ」
「そうですよね。ボクもそう思います。今はまだわからなくても、後々何かに繋がるかもしれませんよね」
「とにかく今は先に進んで、もっと情報を集めよう。あとでここに戻ってきて調べてみようよ」
はい、と頷いた舞奈を連れて先に行ってしまった雷花の後を追う。
だが、そんな瑠璃たちの前に新たな敵が現れた。
「ひっ……!」
それを見て瑠璃は小さく悲鳴を上げる。それは童話に出てくるような巨大なカエルだった。
丸々と太った体に、ぬめった表皮を持ち、長い舌を手持無沙汰のようにべろべろと弄んでいる。
「ご、ごめん、舞奈……! 私、あれだけは無理! ぬめぬめ嫌いなの!」
「え、えぇ……?」
唾液を帯びた舌がぬらぬらと動くさまを見て、瑠璃は顔を真っ青に染め上げた。
そして隠れるように舞奈の後ろへ。
「ちょ、ちょっと、瑠璃さん!?」
「ほんとぬめぬめだけは無理なの! だから倒して!」
「はぁ……わかりましたよ」
舞奈は溜め息交じりに矢を撃ち放つ。ひゅんっ、と音を立て撃ち放たれた矢はあっという間にカエルの元へ。
しかしぬめりを帯び弾力のある肉には刺さらず、無残に地面に落ちてしまう。
「ゆ、弓矢が効きません!」
「えぇ!?」
と、そこへ騒ぎを聞き雷花たちが駆け付けた。
「モンスターっす! 今度はあーしも戦うっすよ!」
「オレもやるぜ! こんなきもいカエル、一撃だぜ!」
勢いよく飛び出した二人だが、カエルが口から吐き出した粘液を思いきりかぶってしまった。
ねっとりドロドロした粘液、瑠璃はもし自分がそれを浴びていたら、と考えぞっとする。
が、すぐに頭を切り替え、彼女たちを心配する。
「だ、大丈夫!? 身体が溶けるとかそういうの無い!?」
「な、ないっすぅ……ただべとべとなだけ……」
うへぇ、と舌を出しなんでもなさそうにふるまう泉美。その姿に瑠璃はほっと胸を撫で下ろした。
だが、その直後だった。
泉美の身体がビクリ、大きく震えたのだ。
「うぐっ!? な、なんすか、これぇ……」
「どうしたの、泉美!?」
瑠璃は泉美の顔を見て驚く。彼女の顔はリンゴかトマトのように真っ赤に紅潮し、じっとりと濡れた瞳は焦点が定まっていない。
息も荒くなり、もじもじと体をくねらせている。
「はぁはぁ……る、瑠璃殿ぉ……体が……熱くてたまらないっすぅ……」
彼女は体をくねらせ、何かに耐えているよう。
「な、何が起こってるの……?」
「体がどんどん熱くなって……もどかしいっす……み、みんなの前でこんなこと……ダメなのに……体が……言うこと聞かないっすぅ」
彼女はついに耐えられなくなったのか、自らの手で胸を、股座を触りはじめたのだ。
「き、気持ちいいっすぅ……でも、まだ足りないっす……体がどんどん、気持ちいいの欲しがっちゃってるっすよ」
彼女の自慰をする手が次第に早くなる。それに伴い、彼女は気持ちよさそうに喘ぎ声をあげるが、まだ足りないよう。
もっともっと、と快感を求める彼女はまるで獣だ。
そして彼女はついに、自らの局部を引っ掻くように自慰を始めたのだ。肉が削げ落ち、血が噴き出す。
「だ、ダメだよ、泉美! それ以上やったら」
「た、耐えられないっす! き、気持ちいいけど、全然気持ちよくないっす!」
彼女は自分の肉をどんどんとむしり取る。血がどれだけ噴き出そうが、お構いなしだ。
目の前に広がる凄惨な光景と、断末魔に近い泉美の喘ぎ声に瑠璃たちは言葉を発することができなかった。
それが終わったのは、彼女が失血により息絶えた時だった。
「こんなの……あんまりだよ……酷すぎる……」
「雷花さんは!? あの人も粘液浴びてましたよね!?」
二人は雷花のほうを見た。彼女も苦しそうに身悶えている。
二人にはそんな雷花を助ける術はない。泉美のように、ただ死んでいく様を眺めるしかないのだ。
「はぁはぁ……なんだよ……オレの体が……熱い! くそっ! 熱くてもう、我慢できねぇ!」
「雷花、ダメ!」
このままでは雷花は泉美のように死んでしまう。何もできなくてもいい、瑠璃は一歩踏み出した。
だが、雷花が取った行動は瑠璃の予想外のものだった。
彼女は殴ったのだ、巨大カエルの胴を。それも一度だけではない。何度も、何度も。
「あははっ! 気持ちいいぜぇ! やっぱり殴ってる瞬間が、一番気持ちいい!」
「え……?」
恍惚の笑みを浮かべカエルを滅多打ちにする雷花を見て、瑠璃はただ口をあんぐりと開けるのみ。
舞奈のほうを見ても、彼女もあっけにとられたようにポカンとしている。
「たっまんねぇ! 気持ちよすぎて死ねるぜぇ!」
雷花の殴打がカエルの胴体を揺さぶる。だが、ぶよぶよとした体にはダメージが入っていないのか、カエルは動かない。
何度も何度も打ち込まれる打撃にカエルはついに痺れを切らしたのか、口を大きく開け、雷花を呑み込んだ。
「あっ……」
それはほんの一瞬の出来事だ。瑠璃も舞奈も対処できず、雷花はカエルに呑まれてしまう。
そしてカエルが苦しそうに吐き出したのは、どろどろと皮膚がただれ落ち、その下の骨が見え隠れしてしまっている雷花の成れの果てだった。
「雷花まで……もう、私たち二人しか残ってない……!」
「瑠璃さん、まだあきらめてはいけません……ボクたちが残ってるんです。それに、さっき雷花さんが呑まれる瞬間、見えました。あのカエルの喉の奥に、どくどくと動くものがありました。多分、心臓です」
「カエルの心臓?」
「えぇ。ですからあれを撃ち抜けば、カエルを倒せるかもしれません。けれど敵も簡単には弱点を露呈させないでしょう。あいつの口をどうやって開けさせるか……」
「うぅ……なら、私が戦うしかないのかな……」
瑠璃は鳥肌の立つ腕をぎゅっと握り、カエルを睨む。
「あんなぬるぬるした奴……嫌いだ……気持ち悪いし、最悪……でも、あれに殺されるのはもっと最悪!」
その時、瑠璃の鼓膜に声が響いた。
(そう、その意気よ。戦うの。生き残るために)
「え……?」
その声ははじめ、舞奈のものかと思った。彼女を見たが、きょとん、とするのみ。
(あなたならできる……私を、使って)
瑠璃は気付く。その声は自分の頭の中に響いている、と。そしてそれは、ここに来る前に助けた鈴音のものである、と。
「鈴音……あなたなのね……」
瑠璃は無意識のうちにポケットに手を入れていた。そこには、もう一つキューブが。
彼女はそれを取り出して、掲げる。
すると、キューブから真っ赤な炎が漏れ出し、宙で渦を巻き始めた。蛇のように蠢く炎が次第に弱まり、その炎の中に銃剣が現れた。
鈴音が持っていたものと同じ銃剣だ。
(私の力だけじゃ生き残れないよ。瑠璃、あなた自身の力も使って)
「私の、力……」
瑠璃は瞳を閉じ、手に持った銃剣を握りなおした。
するとどうだろうか。銃剣が青白い炎のように、その色を変えたのだ。
静かにゆらゆらと、それでいて激しい熱を孕む青い炎が銃剣に纏わりつく。
「これが、私の力……答えて、“ブリュンヒルデ”!」
彼女は無意識にその名を叫んでいた。ブリュンヒルデ、戦乙女と同じ名だ。
銃剣はそれに応えるように、さらに炎を激しく燃え上がらせた。
そして、瑠璃は地を蹴った。一瞬の踏み込みからの蹴りで、彼女の身体はぎゅんっ、と敵との距離を一気に縮める。
彼女が蹴った土は焦げ、足裏には炎がまるでブースターエンジンみたく噴き上げている。
ジェット機のように激しく熱を放出し飛び込み、彼女は渾身の力でカエルの胴を切りつけた。
じゅわっ! と、激しい音が響く。粘液が蒸発し、肉が焦げ切れた音だ。
「やった! 切れたっ!」
だが、カエルはすぐに体から粘液を放出し、傷口を覆ってしまう。
「ダメです、瑠璃さん! 傷がすぐに覆われています! これじゃあ雷花さんと同じになってしまいます!」
「これは鈴音の力よ。私の力は、まだ出してない! そうでしょう、ブリュンヒルデ!」
瑠璃は炎を纏わせた銃剣でカエルの胴を裂く。だが先ほどと同じで粘液によりそれが塞がれようとする。
だが、そうなる前に、彼女は引き金を引いた。吐き出されるは、氷の弾丸。
それが傷口に着弾すると、たちまちその周囲が凍っていく。粘液も凍り、傷口を覆えない。
「これでどう!? 舞奈、今よ!」
露呈した傷口を抉るように銃剣を突き刺した。その瞬間、カエルが呻き声とともに大口を開ける。
舞奈はその一瞬を見逃さない。瞬時に矢を放ち、カエルの喉奥の心臓を撃ち抜いたのだ。
カエルは矢を受けまいと最後の抵抗でもするかのようにぐっと口をつぐんだ。しかし舞奈はそれを見越していた。
「燃え上って!」
舞奈の放つ矢が炎を纏い、それがカエルの目に突き刺さる。眼球を貫かれたカエルはたまらず大口を開け、彼女はすかさず矢を打ち込んだ。
「ぐげぼぉ!」
悲鳴にも似た異様な鳴き声とともに大量に血を吐き出したカエルは、もう二度と動くことはなかった。
「はぁ……倒せましたね、瑠璃さん」
「そうだね……もう、私たちしか残ってないけど」
「瑠璃さん、さっきの炎って何だったんですか? ボクも出せましたけど、あの時は夢中でしたから、あんまり覚えてないんですよ」
「う~ん……それは私もなんだけどさ。でも、やばいって思った時、頭の中で声が響いて、それで勝手に体が動いてて……」
「なんだか魔法みたいでしたよね」
「魔法って……それこそゲームじゃない」
「まぁ考えたって今はわかりませんよ。力が身についたってことで、この先の戦いが楽になればいいですけど」
戦闘が終わり、一息つこうとしたその時だ。
「助けて!」
そんな声が彼女たちの鼓膜を震わせる。
「瑠璃さん、今の声」
「誰かいる! でも、あの子じゃない……私たち以外にもまだ誰かいるんだ!」
瑠璃はその声めがけて駆けだした。もう誰も殺されてほしくない、その一心で。
しかし、その声に辿り着いたとき彼女は絶望のあまり立ち尽くすしかなかった。
「助けて! 誰か、助けてよ!」
「お願い! このままじゃ死んじゃう!」
その声の主は双子だった。お互いそっくりな顔で、助けて、と泣き喚いている。
だが、その背後にはギラギラと怪しい輝きを放つ鱗に覆われた半魚人がいた。
「何ですか、これ……」
遅れて辿り着いた舞奈もその光景を見て絶句する。
半魚人の背から伸びた触手が、双子を縛り上げている。それどころか触手は彼女らの体内にまで侵食してしまっている。
双子の身体からはいくつもの触手が飛び出し、血がぽたぽたと零れ落ちている。
もし触手を抜けば、血が噴き出し死んでしまうだろう。
「こんなの……ダメだよ……あいつを倒したら、あの子たちが死んじゃう」
「いえ、あの触手をそのままに倒せばいいんです。ボクの弓矢ならそれができる」
舞奈は弦を引き絞り、半魚人の頭めがけて矢を放つ。
「あがっ! い、痛いよぉ! やめてよぉ!」
だが、矢は双子の片割れの腹に当たってしまう。いや、片割れによって塞がれてしまったのだ。
半魚人は彼女たちを盾のように扱っている。瞬きすらせぬ巨大な黒目が、瑠璃には不敵に笑っているように見えた。
「あいつを攻撃しようとしても、人質が邪魔です! まずはあの二人を開放しないと!」
「私にできるかな……? もし塞がれたら、殺しちゃうかもしれない……」
半魚人の背からさらに触手が伸び、迷う瑠璃たちへ襲い掛かる。
「瑠璃さん! このままじゃボクたちが死んでしまいます!」
「だからって人殺しなんて、できないよ!」
「瑠璃さんがやらないなら、ボクが!」
舞奈は瑠璃を押しのけて、弦を引き絞った。
『やめて……死にたくない……』
だが、二人のその言葉で狙いを定める手が震える。
「ボクは……生き残るために殺す……お父さんにまた会いたいから……でも、人を殺して生き延びても、お父さんは喜んでくれるの……?」
その逡巡が舞奈の判断を鈍らせた。
彼女の目前まで触手が迫り、頭部を貫かんとする勢いで放たれる。
「舞奈!」
「お父さん、ごめんなさい……」
瑠璃は腕を伸ばすが、銃剣は触手に届かない。このままでは舞奈が死んでしまう。
その瞬間だった。
舞奈の目の前で雷のような閃光が走り、触手が蒸発したのだ。
「な、何が……?」
舞奈からは見えていなかったが、瑠璃は確かに見た。一瞬のうちに舞奈の前に躍り出て、マスケット銃を撃ち放ったいばらの少女を。
「この程度のザコ相手に手間取るな。迷う前に、頭を撃ち抜け」
彼女はそう言うと、すかさずマスケット銃を構えて引き金を引いた。
ずどんっ! 雷が落ちたような轟音とともに、双子の頭が消え去っていた。
肉の盾を失い焦る半魚人も、すかさず撃ち殺す。その目には何の感情もない。
ただの作業のようだった。
半魚人の頭部が吹き飛び、地面に落ちた瞬間、庭園に鐘の音が響き渡る。
「何、この音……!」
あまりの大きな音に瑠璃も舞奈も耳を塞いでしまう。頭の奥底まで震わせるその音に脳が壊れてしまいそうになる。
脳がぐらぐらと揺れ、視界が白く歪む。
鐘の音が止み、視界が戻ったときには彼女たちは庭園にはいなかった。
「ここ、どこ?」
瑠璃は辺りを見渡す。そこは先ほどの戦場とは違い、温かみのあるペントハウスの中だった。
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