世界手計算仮説について
1. はじめに
本稿の読者には,(世界)シミュレーション仮説というあまりに手垢にまみれた用語についていまさら解説する必要はないと考えるが,念のために記しておく.
我々の生きる世界がシミュレーションなのではないかという,これは俗説に類するものだ.俗説とはいえ,このアイデアじたいは様々な作家あるいは研究者たちのインスピレーションを誘起し,その結果多くの優れたもしくは優れていない理論や小説
まれた.これを功績と考えればそうそう唾棄すべきアイデアとは言い切れない代物だろう.
そのほか多くのアイデアと同様に,近年ではこのシミュレーション仮説はそこまで人気ではない.およそ人が思いつくようなことは,先人によってあらかたすでに形にされているからだ.今となっては,創作のアイデアとして利用されることがあったとしても,シミュレーション仮説に加えて新たなストーリー展開を考えたり,あるいは学術的な話題でもそれを前提としてまた別の議論の素材にされることがあるくらいだろう.
さて,そんな状況のシミュレーション仮説だが,近年,その相補的アプローチともいえる理論(あるいは単なる珍説)を提唱した者が現れた.
それが,Androposky Bndroposky(以下AB)の唱えた世界手計算仮説である.
2. 世界手計算仮説
以下では主に,
世界手計算仮説とは文字通り,世界とはシミュレーションではなく「神」が紙にペンで書いた手計算だというアイデアである.
おそらく多くの読者は,ペンで計算をするという経験が初等教育からあるだろう.そこでは1+1を5と間違るような計算ミスが頻発していたかとは思うが,ここで重要なのは少なくとも中等教育くらいから必要になる,変数に関連した問題である.
我々は典型的に,未知の量や具体的な値が定まっていない量をアルファベット等の文字で変数として表記する.ここで用いられるのは何もアルファベットである必要はなく,「き」でも「隻」でもあるいはあえてややこしくしたい向きには1などを使うこともできるが,アルファベットが慣習となっている.
ここでひとつの長大な計算をする場合を考えよう.計算といっても,前述したように複数の未知量があるために,アルファベットの使用が多いようなものを想定されたい.
すると必然的に発生しうる問題が,未知量に対して使える変数記号が枯渇してしまい,どの量にどういう記号を当てるかということである.
計算や数式の記述が避けられない数学や自然科学においては,主に慣習として,こういう量にはこの記号を当てる,というゆるいルールが存在する.
たとえば,未知量がひとつだけならそれをxとおき,確率にはpかqを使用し,確率分布を特徴づけるパラメータには一般にはθを使用し,もしガウス分布を考えるのであればその平均をμ,標準偏差をσで表す.
こうして,平均μ,標準偏差σのガウス分布をP(x|μ, σ) = (1/√2πσ^2)exp[-(x-μ)^2/2σ^2]と書き表すことができる.
では平均と標準偏差の異なる別のガウス分布を表したくなったらどうだろうか.
当然平均をμ,標準偏差をσで表すことはできない.すでに使っている文字を異なるものの表現に割り当てることは,著しい混乱のもとであることは想像に難くないだろう.そこでどうするかは属人的なところが大きいが,たとえば平均をμ',標準偏差をσ'などとするのはよくある方法である.
しかしこういった表記法は,規模が大きくなると破綻に近づく.仮にガウス分布を56個考える必要があったとして,平均をμ''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''とするだろうか.
もちろんしてはいけない理由はないが,その視認性の悪さからこの表記にする者はまずいない.簡便な解決策としては,最初から記号に番号を振っておくことがある.
とはいえ,どんな場合でも番号を振っておくこと必要もない.単に別の記号を割り振ってもよいし,数字が多いとかえって煩雑になる場合もある.というのも,複数ある記号それぞれに特別に意味を持たせているなら,単純に番号で管理するとよくわからなくなるからだ.そのため,番号の代わりに意味を表す文字を添えるパターンも存在する.たとえば,μ_mainやμ_subなどとする.
そもそも翻って,わざわざ別の記号を割り当てる必要がないことさえもある.わかりやすい例として,確率のテストを受けているとしよう.問題1でも問題2でもガウス分布を書く必要があったとき,テストの回答として見れば別の記号を割り当てるべきかもしれないが,問題が別なのだから同じ記号を使ったとして混乱は生じない.
要は手計算では,局所的に辻褄が合っていさえすればよい.その計算が書かれたノートがあったとして,そこで数ページ以内や極端なケースでは数行の範囲であっていればよい場合もあると思われる.
ABは,手計算を普段からする人々(文字による計算を習ったばかりの子供から研究者まで)を注意深く観察した末に上記のようなふるまいを見出し,シミュレーション仮説と対置したときに,むしろ手計算的なあり方こそが世界の姿に近いと主張した.
シミュレーションであれば,プログラムが動かなければいけない.そのためには,プログラム中の各変数の型が宣言されていて,プログラム中で変数がその型にしたがって適切に使用されていなければ動かない.これは,手計算のある種のずさんでありならも意味はわかるという安定性と対照的である.そしてこの性質によって世界が成り立っているというのが中核となる考えである.
3. おわりに
実は一般に広まったこの仮説の評価とはまた異なり,提唱したAB本人は世界手計算仮説には何の根拠もないとしている.もしこの仮説が正しいとした場合に世界がしたがうひとつのストーリー展開の自然さによって支持される,という程度の言い方である.
しかし晩年,ABは自分自身が紙に書かれた文字であると思い込むような発言が目立ち,最終的には自死したことが,残された書簡や日記などから明らかにされつつある.
いうまでもなく,現在の我々の手計算をめぐる環境は激変した.少なくとも,上述したような変数への記号の適切な割り当てで混乱するという事態は,数式記法機械支援システムSymbolintによりほぼなくなった.
むしろそのためにABの世界手計算仮説が再評価されているわけだが,最先端の研究での扱われ方は本稿の範囲を超えるため詳述しない.
我々が書かれた文字なのか否か,文字で議論せざるを得ない研究では明らかにできるのだろうか.
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