その小説を問うてはならない

@prognorrhoea

その小説を問うてはならない

 小説の人称というものをいったい、気にするかどうか。


 小説にまつわる問はきわめて様々であり、新たに小説が書かれればまた新たな問が生成されていくような、数えようとすることそれじたいに意味のないようなものである。

 そのなかでも、人称に関する疑問は歴史が古く、様々な題材様々な観点によって議論がなされてきた。

 確かに小説をある程度読んでいくと、多くの人にも頭をもたげてくるような問がある。

 曰く、この小説の語り手は何やら俯瞰した視点で作中のあらゆる登場人物について饒舌に語っているが、こいつは一体何者なのか。仮にそれを神だとして、なぜに我々天を仰いで日々を過ごしている平民が、神の視点で書かれた文字列を読むことができるのか。

 曰く、この小説の語り手は何やら「私」などと自称し、どうやら作中にも登場して他の登場人物と会話をしたりなんかしているが、なぜにまったく関係のない我々がそんな人間の行動やら思考やらが書かれた文字列を読むことができるのか。

 以上は要は、小説というものの存在する根拠を、その小説じたいに求めてしまう、そんな病である。

 ここで病と言い切ってしまうのはやや性急であるかもしれないが、ひとまずはそういうことにしておきたい。

 ともかく我々はここで、この問いじたいのいわゆる生産性を再考したいのである。

 もちろん、人称にまつわる問いをめぐる考察がおしなべて意味がないわけではもちろんない、ということはあらかじめの警告として言及すべきであろう。四人称や移人称など、大変におもしろい議論であることに変わりはない。

 それはそれとしてやはり、小説の人称を問うということには大変な魅力とともに危険性も含まれているのである。

 その危険性が明らかになったのはご存じの通り、Aharonson Blochomによる小説『その小説を問うてはならない』の出現に起因する疾病、俗に二番煎じ病としてのちに知られることとなる疾病の全世界的流行である。

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