第715話 否応なく次の段階へ
「ユリアンナ様や父上から聞いていた通り、本当に素晴らしい方ですね!」
今日も今日とて、元気な声が朝から付きまとってきた。
夜討ち朝駆け。それは情報通の言葉。だが、目の前の男、フォマルハウトはカナロイアの王太孫だ。しかも、妹との結婚話が進んでいる男。
「あまり、王族を転がしておくと色々と悪意を持った話が湧き出てしまいますから」
マシディリはさわやかな笑みを作って手を差し出した。
これはすみません、なんて軽薄な笑みを浮かべながら転がっていたフォマルハウトがマシディリの手を取る。剣だこの多い手だ。少なくとも、努力はある。のに、毎回手ごたえ無く負ける。マシディリの朝の鍛錬の終わりに入ってきて、威勢よく組手を挑んできて負けるのだ。
「まだまだ寒い日が続きます。体調を崩されては大変ですよ」
言いながら、マシディリはフォマルハウトが連れてきた奴隷を呼んだ。
奴隷は王族が着るにふさわしい服を見繕っていて、既に手に持っている。
「いえいえ。アレッシアには、緑のオーラ使いが居ると聞いております」
「オーラは、確かに優位性が増すものではありますが万能ではありませんよ」
「あ、すみません、そう言えば、そうでした。イフェメラ様も」
フォマルハウトがへらへらと笑いながら、ただし奴隷に対してはやや横柄に服を受け取る。
そうなのだ。
軍団の指揮官、イフェメラは体調を崩している。
嵐の夜の攻撃。冬を間近にしてのハグルラーク解放戦。冬に関係なく攻撃してきたマルハイマナ軍の撃退に、挑発まがいの攻め込み。冬休みを無視した戦果。そして、執政官が弟ルッカリアに代わってからも小さな戦いを繰り返し、全てで勝利して来た。
アレッシアから遠く異国の地で精神をすり減らしながら寒風に身を任せればそうもなると言うモノ。悪化させないためにもメガロバシラスまで引いたのは、まだ良い決断と言えよう。
「持っていてくれ」
言って、フォマルハウトが脱いだ服をピラストロに渡した。
奴隷じゃない、とでも言わんばかりにピラストロが眉をしかめる。レグラーレも眉を顰めつつ、我慢しろ、隠せ、と唇だけを動かしていた。
が、そのレグラーレもマシディリも、見るのは露になったフォマルハウトの肉体。しっかりと鍛え上げられた筋肉だ。引き締まっている。確かに服を着れば結構隠れてしまうが、独特の美醜感覚で馬を走れないモノにしていったエリポス人とは思えない体だ。王族の怠慢など見えはしない。戦える肉体である。
「いや、いや、これはお恥ずかしい。ぼろ負けで。はは。まったく、マシディリ様に勝てそうも無い男の肉体ですが、はは。本当。最近は毎日体が痛くて痛くて」
へへへ、と笑いながらフォマルハウトが自分の腕を叩いた。
マシディリも、さわやかな笑顔の仮面を外さない。最近は朝の鍛錬に付き合うようになったイーシグニスも、自分の爪をなめらかに整えるふりをしながらフォマルハウトの様子をうかがっていた。
「十分に立派な肉体をしていると思いますよ」
「そうですか? そう言われると、嬉しいですね」
そこから続くさして中身の無い会話にマシディリも適度に応えつつ、片づけを開始する。
「最近は娼館が無くてかなわないなあ」
マシディリが近くまで来ると、イーシグニスがそんな声を上げた。
「もう戦場ですよ」
窘めるようにしながらも近づく。
「王太孫なら何か知って無いかねえ」
「敬語」
べし、とレグラーレがイーシグニスの背中に軽い蹴りを見舞った。
危ねえだろ。せっかくの爪が! なんてイーシグニスが抗議するが、立ち上がったことでいつも通り尻を蹴り上げられている。
「ユリアンナから、王太孫がカナロイアの存在感を出すためにやる気に満ちている、と言う話は受けておりますから。王も立場を気にしているようです。娼館は、行かない気がいたしますね」
(尤も)
王太孫と王の考えは違うところもあるはずだ。
そもそも、王の考える立場とはアレッシアとの関係性に違いないが、エリポスの国家としての誇りも見え隠れする。要するに、阿ることはできないが喧嘩を売りたい訳でも無い。
いや、そんなことを言えば多かれ少なかれ兵を供出している奴らも同じだろう。受け入れる方も受け入れる方だと思うが、イフェメラも彼らを隊列に加えることは無かった。ただ歓待するのみ。
そこに、温度差が発生している。
高官と兵に。アレッシアとエリポスに。
(案じるだけ無駄ですかね)
それよりも、自分は出来ることを。
そう思っていたのだが、そうも言ってられなくなった。
「つきましては、兄上が戻ってくるまでの間の指揮をマシディリ様中心に考えていきたいのですが、如何でしょうか」
訓練の後で行われた午前中の会議で、執政官ルッカリア・イロリウスがそう宣言したからである。
「話がおかしいのではありませんか?」
即座にファリチェが反論する。
マシディリは被庇護者に任せ、一度全体を見回した。
昨年から一緒に行動して来た者達は、横一線。パラティゾはビュザノンテンに残り続けており、グライオはジャンドゥールに留め置かれている。あの手この手でジュラメントが仕事を送っているそうだ。だから、まとめ役はいない。
オリンピロの軍団は沈黙。貴族側の新たな執政官はディティキに行く増援部隊であるため、ルッカリアに権限では及ばない。それ以前に何らかの根回しがあったのだろうか。いや、それならアミクスが反応したはずである。
「それほどおかしな話には思えません」
ルッカリアが言う。目は左上に。
「まず、戦場での素早い意思決定を行うために誰か代わりを決めないといけません。今は四万を超える兵がおりますから。多くの者が決定に関わり、行動が遅くなるのは良くありません」
これは、エスピラが元老院に対して思っていたことでもある。
それを知らない元エリポス方面軍の高官はいないと言っても過言では無い。
「加えて、恥ずかしながら私は兄上のためのお飾り。兄上が指揮を執れるように私が執政官となったのです。しかし、現状兄上は体調を崩してメガロバシラスまで引きました。その状態で私が指揮を執るとなれば兵にも不安が走りましょう。それは、防がねばなりません」
ルッカリアの目が正面に戻って来た。
マシディリは、ルッカリアの横にいるジュラメントもうかがう。ジュラメントの指にも表情にもたっぷりの余裕が見て取れた。
「そこまで考えた時、マシディリ様しかいないと思ったのです。
マシディリ様にはマールバラを打ち払った実績がございます。それに、エスピラ様のご子息。妻はサジェッツァ様のご息女。師はマルテレス様。
各派閥の仲立ちにとエスピラ様とサジェッツァ様が考えられていてもおかしくはありません。そして、それは今こそ発揮するべきだと私は考えました」
「マルテレス様の軍団の者もエリポス方面軍もマシディリ様と共に戦った経験があります。七年前、いえ、初陣を果たされる前から評価が高いのは浸透していることでしょう」
誰かが何かを言う前に、ジュラメントがルッカリアの言葉に駄目押しを付け加えた。
(何が目的でしょうか)
指揮権を譲渡して、良いことは無いはずだ。
同時に、ずっと考えられていた展開だとも理解できる。エリポス諸国家がやけに「マールバラに勝ったのはマシディリだ」と言っていたり、オリンピロが一切反論に動こうとしなかったり。
そうは分かっているが。
「お気持ちはありがたいのですが、私はまだまだ若輩者。皆様から学ばせていただいている立場にございます。とても務まるとは思えません。できれば、他の方がよろしいかと愚考いたします」
意識したのはヴィンド・ニベヌレス。
記憶におぼろげながらある彼の動きを模して。
エリポス方面軍の中でも若かったが、実力も認められていた彼の動きならばどちらにも振れると考えたのである。
「これは異なことを、マシディリ様。軍団長補佐とは学び続ける立場ではありますが、勉強するための立場ではございませんよ」
何が『様』ですか。
マシディリは、心の中でジュラメントにそんな言葉を返したのだった。
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