第714話 落としどころ

 マシディリは自身の笑顔が固まったのを自覚する。同時に、うまく作れているのかも確認した。多分、狙った通りの顔を作ることが出来ている。


「先の海戦は、マルハイマナが八十艘に対してこちらはエリポス諸国家の援軍を含めて百四艘だったかな。被害はこちらの方が多かったが、数の差で押し切れたと聞いている。

 マールバラとの戦いのときも敵の数は極わずか。それを見切り、尚且つ慎重に慎重を重ね、高官が素直に従うマシディリを頭に据えた。優秀な高官が優秀な下士官と上手く連絡をつけ、兵の力を存分に発揮できるようにしたとも言えるわけだ。


 そして、その展望を描いたのはパラティゾ様、と言うことにできる。


 こちらのディーリーを持ち上げた話も同じ。裏方が素晴らしい。そして、この戦争の裏方と言えばオリンピロ様。糧道を破壊し、作戦行動を不能にした。


 アスピデアウスにとってはこれ以上無い誘導に思えるのですが、皆様はどうでしょうか?」



 問うてはいるが、フィルフィアが問うまでも無いだろう。


「世間では、マールバラに勝ったのは私と言うことになっている。そう、皆様も仰せになっていたように聞こえたのですが」


 マシディリの言葉にもフィルフィアは一切動揺しない。


「世間では海戦に勝ったのはグライオ様だって? 

 軍事命令権保有者はパラティゾ様。それとも、あの時の海戦は完全にマシディリが独断で全ての指揮を執ったとでも? パラティゾ様を介さずに? パラティゾ様にも上から命令を下して?」


 その通りだ。

 マールバラとの戦いでは、マシディリはパラティゾにも命令を下していた。

 が、今の言い方と態度を見るに、そのことを把握はしていないようである。


(こちらの情報は流れていないようですね)


「フィルフィア様。そこらへんに致しましょう」


 ジュラメントが穏やかな声で入って来た。

 顔の笑顔も嫌になるほどに優しい。


「メガロバシラスで脛に傷を負っているのはこちらも同じこと。だよな、マシディリ」


 もちろん、助けになど来ていない。

 いや、アレッシアとの連絡が遠いのを良いことに、さらに攻撃を苛烈にしてきたと見るべきか。


(違う)


 他の兄弟にも、と言う名目でルーチェからの手紙も届いていた。それを計算して、攻めてきている。メガロバシラスの傷だって、マシディリにもかけられるのだから。



「私は、エスピラ様にとっても許されざる存在です」



 肌が冷たくなった。ぞわり、と鳥肌も立つ。


 静かで昏い声。グライオの声。聞いたことの無い声で、心の中で何度も警鐘が鳴っている。自分に向けられたモノでは無いのに、見るなと心の中の自分が訴えているのだ。



「そんな私にもエスピラ様の威を借りられることが僅かに。

 それは、エスピラ様が決して許さないこと。それを告げる間(あいだ)。


 即ち、ウェラテヌスへの侮辱とマシディリ様への危害に対しての警告です。

 舐めた真似は剣でお返しいたしましょう。ふざけた流言には、最大級の屈辱で以て償っていただくことになります。エスピラ様への侮辱となれば、エスピラ様にご報告するまでもありません」


 よろしいですね? と、グライオが目の前にあった陶器を静かに横に倒した。

 中身は机の上に広がり、ぽたぽたと床に落下していく。


 また父上の威か。


 そんな思いなど、起こりようが無かった。そんな感情抱けないのである。関係ない。話に出たが、それは、マシディリには関係ない。いや、決定にも何も関係無いのだろう。


「時に、イフェメラ様」

「あ?」


 逆鱗に当てられ、なおも悠然と構えていられるのはさすがは英雄と言うべきだろう。

 少なくとも、この場でこんな返答ができるのはもうイフェメラしかいない。


「もうすぐ、いえ、もう冬と言えます。イフェメラ様を推薦した時、エスピラ様は兵を不用意に失いかねないことを了承したでしょうか」


 先ほどの圧は無かった。

 いや、圧に思えるのは残滓のみ。圧を圧ともせず、受け止め切ったイフェメラにとっては一切の圧は無い言葉だったのだろう。


 だが、先のグライオの言葉こそがイフェメラの首を徐々に縮めていった。親に怒られた子供がするように。悪戯をした弟が言い訳を考えているかのようでもある。



「マシディリ様が最初に申されたことを、何故貴方がたは曲解するのか。


 フィルフィア様。貴方はセルクラウスの次期当主候補のはず。

 トルペティニエ様。貴方は、ディーリー様が居ない以上マルテレス様の派閥の代表者です。

 ジュラメント様。貴方は、エスピラ様の義弟だと名乗る覚悟を甘く考えているのですか?」


 イフェメラ様。と声が低くなる。

 ただし、親が子に叱るような声だ。聞き覚えがある。悪戯をし過ぎた弟妹に、父が少し強めにたしなめる時の声だ。


「エスピラ様を師匠と呼ぶのであれば、貴方の行動の結果は良いモノも悪いモノもエスピラ様に影響を及ぼします。分からないなどとは、言いませんよね?」


「でも、師匠なら許してくれます」


 イフェメラの唇が尖る。

 グライオがゆっくりと首肯した。


「私もそう思います」


 ジュラメントの懐疑的な目がやってくる。

 グライオの代わりに、マシディリは口を開くことにした。



「マルハイマナへの攻撃は全部の軍団を合わせてから。そう取り決め、軍事命令権保有者が共同で声明を発表したからこそ元老院も認めたのです。しかし、先のイフェメラ様の行動はそれに関わった全ての者の信頼を裏切る行いと言わざるを得ません。


 ですが、父上ならば許可され、守るために動いたでしょう。


 現場と離れた議場では連絡は全て過去のこと。今こそが大事で、今の判断をできる者としてイフェメラ様を選ばれたのですから。と、言うことでしょうか」


 恐らく、自分が理由を言うことに意味がある。

 父の名代を何度も務めた自分が改めて言うからこそ良い。


 グライオは、そう、判断したのだろうと思って。


「そうだ。その師匠が認めたんだ。私になら任せられると。第二次メガロバシラス戦争の時から。この戦争を私に任せると」


 だから、冬場になったこの戦いも間違いでは無いと。

 これこそ、『アレッシアのための』エスピラの意思であると。


 イフェメラは、そう主張した。


 恐らくはマシディリを完全に納得させるためにであっただろう。だが、その剣が貫いたのは横にいる盟友ジュラメントだ。


 グライオの発言でエスピラの意思を思い出し、自らの自信を奮い立たせて肯定する。

 そのことに、黙り続けていられるはずが無い。


「その通りだよ、イフェメラ。そして、心配すると言うことは義兄上を侮辱することだとは思わないか? いや、答えは要らない。自らの父親も疑ってしまった時と同じだろう? それでも不安なら、義兄上に手紙を出すと良い。ついでに、ルーチェにも書いてやってくれると嬉しいな。あの子は、マシディリの兄上にも書くんだと張り切っていたからね」


 そこから始まったのは、ジュラメントによる言い訳。


 都合よく曲げ、こちらをちくりと刺し、そして自分の状況に持っていく。

 ただ、マシディリもグライオもあとは静かに流されるがまま、剣舞の相手を務めるに留めた。


 結果、ジュラメントが妥協案として提案したのは三軍団の集合時期を早めること。各個撃破の危険を減らすことができ、皆の成果を最大限発揮でき、自らも場を確保するためにハグルラークに居続けることができる。


 良い落としどころだろう。

 マシディリとグライオも、結局はその辺りに落とさないとまずいとは打合せしてやってきていたのだ。


「ハグルラーク内部の親マルハイマナ派の対処は如何いたしますか?」


 上手くまとまった後で、グライオが尋ねる。


「適宜対処するつもりだ」


 応えにはなっていない。

 が、甘い裁定を下すと思っているのならそちらも早く来ると良いとも言ってくる。


「いや、やはり」


 しかし、またもやジュラメントが言をひっくり返した。

 悩んでいるような声も出している。眉も寄っていた。腕は組まれている。


「そうだな。港がある国々に関しては問題ないが、素早く軍団の展開できない内陸部に関しては軍団全てを引き上げる恐怖は残る、か。グライオ様にはジャンドゥールに入っていただき、元老院からの増援が来るのをお待ちいただいた方が良いだろうな」


 後背地の確保のため。ディーリーの安全のため。マルハイマナに勝つため。

 そのほか、様々な理由が述べられる。


(要するに)


 グライオには、来てほしくない。


 それをひっくり返せるとしたら父の手紙だろうか。いや、もっと穏便な手段は無いものか。


 考えるも、冬は陽が落ちるのが早い。オリンピロらが粘っていた後でもある。

 その話は平行線のまま、ひとまずはお開き。翌日は根回し済みのオリンピロがジュラメントに賛同すると言う結果に終わる。


(イフェメラ様の陣ですから)


 自分たちが上手く動けないのは、致し方が無い。

 そう思うながらも、後ろ髪を引かれ。


「最低限以上の成果を挙げられました。経験の差を思えば、素晴らしすぎる結果だと思います」

「そう、ですね」


 グライオに慰められながら、帰路へ。

 ジュラメントの求めに応じてカナロイアの大船団がハグルラーク近郊に入ったとの報告が来たのは、ビュザノンテンについてすぐのことであった。

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