第713話 現在の功が必要なんだ

「マシディリは、私達は決して褒めたくはないようだな」


 ジュラメントが何重にも包装しながら威圧するように口を開いた。

 マシディリはさわやかに首を振る。


「褒めることなどできません。私は、下の立場。褒めると言う言葉を用いてしまえば、それこそ上の者から下の者に、そのような間違った印象を与えてしまいかねませんから」


「心配しているのだろう?」

「はい」

「それこそお門違いじゃないか?」


 ジュラメントが右手を横に広げた。


「我らが朋友ハグルラークは奪還した。彼の国は危機を脱し、我らはマルハイマナとの戦いの橋頭保を確保したのだ。それも、犠牲はほとんど払わずに。


 これは大きな手柄になる。ルキウス様のように。


 功に関して何か言われたのなら、こちらを返すべきだったと。義兄上ならばマシディリに言うんじゃないかな」


 マシディリは、唇をつまんで悩むふりをした。


 いや、悩んでいるのは事実である。ただし、悩みは否定から入ってしまいそうなところ。しかし、否定から入らねば父の名誉に傷をつけてしまいかねない。


「私は、エリポス方面軍での父上の様子を皆様より詳しく知っている訳ではありません」


 迷った末の入りは、これ。


「ですが、恐らくルキウス様の話は功を称えるための主題には使わなかったと思います。


 ルキウス様は確かにディティキを攻略し、エリポスに橋頭保を作った功で凱旋式を挙げております。ですが、その実質的な指導者はお爺様であることは今でも有名な話。そして、今ではディティキ攻略の最大の功が父上にあることも有名です。


 そのような方に父上が皆様を例えるとは思えません」


「だから、そんな者と同じようなことをするな、と言いたいのか?」

「私はただ敵地での越冬になることを危惧しているのです」


「此処は、ハグルラークはアレッシアの朋友だ」


 イフェメラの低い声が、全員の反論を撫で切った。

 動いてはいないがジュラメントは一歩引いたようにも見える。


「一年以上マルハイマナが包囲したままだったのは、ハグルラークが粘ったからだ。それに、マルハイマナも一致団結していない証拠でもある」


 イフェメラが強いまなざしをぶつけてきた。

 マシディリも背筋を伸ばして真っ向から受け止める。


「それだけではありません。ハグルラーク内部に親マルハイマナ派がいるからです。ハグルラークが無傷で手に入るかも知れないのなら、攻撃する必要はありません。アレッシアの一部の者がハグルラークを疎ましく思っているのも理由の一つでしょう」


「ハグルラークの功績は大きい。疎ましく思う者は、情が無い。アレッシア伝統の寛容性を失っている者だ」


 失敗したな、とマシディリは思った。

 完全にイフェメラは怒っている。こうなれば、説得は果たして意味を為すのだろうか。


「いや、イフェメラ。エリポス諸国家の中にはハグルラークを敵視している者もいる。尤も、そう言った者はマルハイマナに着くことが多かったけどな。でも、再度こちらに着いてくれた者達もいる。そう言う者たちは、ハグルラークを疎ましく思う者と言えるんじゃないかな」


 ジュラメントが常よりもわずかに低く、おだやかな声で言った。


 奪われた。まさに、それ。やはりと言うべきか、ジュラメントも父の下でずっと高官を張っていただけはある。


 人がいないと嘆くことはあれど、エリポス方面軍の実力はアレッシアの歴代軍団の中でも屈指のモノだ。少なくとも、マシディリにはそう思える。実戦を繰り返して育っていったのだとしても。


「そうか。だからエリポスの者に寛容にするべきでは無いと。アスピデアウスのような主張に繋げようとしたのか、マシディリ」


 イフェメラが、首を時折動かす。


「違います」


(エリポス方面軍の時のイフェメラ様ならば)


 このようなことは言わなかったはずなのに。

 良くも悪くも、自分の意思に真っすぐだったのだから。他者の回りくどい言い方を邪推したりはしなかった。それは、あくまでも戦場にて発揮される力だったはず。


「ディーリーを先に出すことでこちらを満足させようとしたわけか? 過去の功によって納得させようって? こちらがこれ以上積み上げられないように。師匠の寵愛を奪われないように」


「そんな訳は」

「今の功こそ必要なんだ。お前は、ただあの女の腹から産まれたという過去の功だけで十分かも知れないが、私は違う。周りも違う。他者との関係が過去の功だけで十分なら、何故エリポスは裏切った。師匠のことを考えれば、エリポスが裏切る必要は無かった。


 今やカナロイアですら敵になりかけた!


 師匠の味方は、僅かドーリスのみ。ジャンドゥールはグライオ様が居るから。

 その中で私が、メガロバシラス戦争ですら主導しなかった私が過去の功だけでを振りかざして他の者が納得するのか。安心するのか。認められるのか」


「イフェメラ様。話したいことが散っております」


 グライオがゆるりと言う。

 妙な迫力のある声は、それだけでイフェメラの言葉を遮りジュラメントに反撃の機を与えなかった。


 ただただイフェメラの少し荒く熱い息が聞こえるのみ。


「エリポスに対する父上の影響力の話に絞らせていただくのであれば、私は影響力が生きているのを感じております。現に、すぐにエリポスの者との交渉の席に着くことが出来ているのです。これは、父上の功績があるからこそではありませんか?」


「ならば海戦について行けたはずだ! 


 敵の主力が、マルハイマナの全船団とも言える八十艘が出てきた時に何故マシディリ様はいなかった。パラティゾ様がマシディリ様を重用しているのは誰もが知っている。なら、あの戦いでも使うのが自然の流れだ」


「ウェラテヌスの船の修繕です、イフェメラ様。アレッシアの船団ではありますが、あれは父上の財で作ったウェラテヌスの船なのです」


「そうだとしても、師匠ならば一声で済んだ。たった一声で、港を持つ国々はアレッシアの船を受け入れ、即時の資材も貸し出す。師匠ならばもっと素早く集まっていたはずだ!」


 話が散らかっている。

 マシディリは、そう思った。


 らしくないとも思う。

 確かに、ジュラメントは交渉ごとに向かないのだろう。それは、マシディリが実際に接していてもそう言う印象を抱いたし、実際に父の起用法を見ても分かる。


 が、それでも。これは、会話になっているがなっていない。


「エスピラ様でも一声で、とはいかないでしょう」


 グライオが言った。

 まずはイフェメラの睨み。ジュラメントも警戒の声を上げるように細い目から睨みへと移行していた。


「あ?」

「義兄上を愚弄するおつもりですか? 右腕と目されているあなたが?」


 イフェメラ、ジュラメントとカチカチおとを立てた。

 グライオは白い煙を焚くように落ち着いている。


「エスピラ様の成果は準備があってこそのもの。武力を見せつけ、実績を重ね、地形や社会基盤などの情報を握る。そうなればこそ、エリポス諸国家は対等な関係を築き上げようとしたのです。それら全てがこれからにも関わらずマールバラとの戦いの傷を癒し切ったマシディリ様の手腕は見事の一言。私は、それしか言えません」


 マシディリは、グライオを見た。

 グライオの目もやってくる。グライオが、力強く頷いた。


 先ほどの掌返し、父の影響力の低下と父ならば出来たとの話は指摘していない。するべきでは無い、との判断だろうか。


「確かに、マシディリの腕は見事だ」


 フィルフィアが動き出した。

 山羊の膀胱を手に、中に入っている薄めた酒をイフェメラに注いでいる。


「アスピデアウスの者としては、になるがな」


 フィルフィアが言葉と共に膀胱の口を上げた。

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