第712話 空のワイン

 それは、抗議に来ていると聞いた割には困り果てている顔であった。


 いや、割には、なんて枕詞は要らない。抗議に来ているとは思えない顔だったのだ。オリンピロは、椅子にも沈むように深く腰掛けており、一切の勢いが無い。そんな状態だったのが、マシディリとグライオの到着で一気に腰を動かしたのである。


 マシディリには、それだけで十分に彼の立場が推察出来た。


「これはこれはマシディリ様にグライオ様。良いところに。いやいや、皆まで言わずとも分かっております。この私が邪魔。そうでしょうそうでしょう。仕方が無いでしょう。いやいや。ご心配召されるな。万事お任せあれ。オリンピロ・ラクテウスにお任せあれ。このように、今朝から居れば十分に主張も終わったところ。イフェメラ様にジュラメント様、フィルフィア様もこの顔は見飽きたことでしょう。でしょう、トルペティニエ様」


 早口に思えるが、絶妙に聞き取りやすい速度に収まっている声だ。


 ある意味で圧倒される声である。トルペティニエも「はあ」と言っている始末。

 それは他の者も同じなのか、退屈のあまり見下すような顔をしていたジュラメントも目を少し大きくしており、組んでいる腕も浮いていた。フィルフィアもマシディリ達が入って来た当初より顎が上がっている。


 この落ち着きは戦場での落ち着きなのか。

 イフェメラだけは何も変わっていなかった。否。横に意識をやれば、グライオも何も変わっていない。


「では、私はこれにて。用件は似たことでしょう。あとは任せましたよ、マシディリ様。いえいえ。マシディリ様なら大丈夫ですとも。あのマールバラ・グラムを退治した腕。ははっ。良いこと良いこと。良い若者が育っておりますなあ」


 ではではー、とオリンピロがすっくと立ちあがった。

 ぽん、とマシディリの肩を叩いて颯爽と出ていく。無駄に格好良い後ろ姿なのが、奇妙な笑いをもたらしてきそうだ。


 申し訳ありません、と場に居る者に謝り、オルビス・ラクテウスがオリンピロに続く。


 その後ろ姿を見送った姿勢のまま、マシディリは唇だけを動かした。


「レグラーレ」

「はい」


 す、とも、ぬ、とも取れる湧き出方でレグラーレが来た。


「失礼を承知で、オリンピロ様に振り分けは誰が決めたのかを尋ねて来てはくれませんか? 各軍団の、ではありませんよ。オリンピロ様の軍団内部で。誰が抗議に来て、誰が軍団をまとめ続けるのか。その取り決めを、誰が主導したのかを」


「かしこまりました」


 レグラーレが静かに下がる。

 ぱさり、と天幕の入り口の布が跳ねた音を立てたのは、レグラーレなりの格好のつけ方だ。


「何故そんなことを知る必要がある」


 イフェメラが、姿勢を崩しながら吐いた。

 マシディリは静かに微笑む。足は、先ほどまでオリンピロが座っていた椅子へ。


「余計な争いを避ける人事だと思ったからです」


 執政官に対しては不遜な態度かも知れない。

 だが、マシディリは父を意識したその動作を選択し、続ける。


「ジャンドゥールでのオリンピロ様評、アグリコーラ攻略戦の長期化と被害、そして、先ほど。大方、抗議するつもりは無いけれども兵の不満や派閥の者の意見を鑑みて抗議せざるを得ないと判断したのでしょう。ですが、本当に抗議する必要は無かった。


 例えば、今ここに来たのがサルトゥーラ様であれば売り言葉に買い言葉だったかもしれません。他の者でも喧嘩腰になった可能性があります。


 一方で、オリンピロ様であればその限りではございません。自ら喧嘩を売りにはいかない上に黙っていても文句は言いづらいでしょう。結果、傍から見れば長時間の話し合いが行われたようにも見えます。


 問題は、誰が考えたか。


 オリンピロ様も執政官を任せられるほどの人物。その実力と今年一年のオリンピロ様の軍団を知る一助にはなると思いましたので、レグラーレを向かわせました」



 詳しい説明も、父ならやるだろうと言う算段がある。

 無論、父ならば、は気づかれなくとも良いのだ。イフェメラもジュラメントも元エリポス方面軍。すぐに思い至らなくとも、ある程度は身に染みているはずである。


「で、そっちの軍団でも不満の声が上がったって?」


 トルペティニエがグライオに椅子を勧めている間にイフェメラがマシディリに聞いてきた。

 マシディリは、グライオと時を同じくして椅子に座る。


「いえ。此処は戦場です。取り決めに盲目的に従っていれば良いわけではありません」

「抗議に来たんだろ?」

「心配で来ました」


 目の前のイフェメラの目が真っすぐになった。体の正中線も、元々向いていたがより見えるようになる。


 ただ、他の者は違う。


「流石。マールバラに勝った者は言うことが違いますね」


 その筆頭とも言えるジュラメントが、皮肉を飛ばしてきた。

 イフェメラも何も言わない。


「マールバラに勝ったのは私では無くパラティゾ様です」

「指揮はマシディリが執ったそうじゃないか。何よりもそのパラティゾ様がそう報告している」


「指揮を任せてくださったパラティゾ様の英断あっての結果です。無論、他の者、グライオ様を出さずともあの場に居た高官経験者ならば成し遂げることが出来た状況であったと思っております」


 無論は少し早めに付け足した。

 その後は落ち着いた声で。


「此処にいる方々でも何ら問題はございません」


 グライオが静かに付け足す。

 マシディリも頷いて同意を示した。


「だとしても、マールバラに勝ったのは誰かと言われればマシディリだ。この戦争での印象はマシディリが一番。パラティゾよりも。いや、オリンピロ様の後方かく乱もこちらの石火の攻撃も印象は薄くなっているだろうな」


 ジュラメントが言う。


「印象と言うのがわかりやすい功だと申されるのであれば、それはディーリー様が一番でしょう」


 切り出したが、マシディリは背を浮かせないように気を付けた。

 あくまでもどっしりと座ったまま、続きを紡ぐ。


「マルハイマナがエリポスを短期間で席巻できたのは、エリポス諸国家が協力したからです。そのエリポス諸国家を落ち着かせるのが皆様の最大の功。ですが、プラントゥムと同じでこちらも完全に落ち着かせるには時間がかかりすぎるでしょう。


 その中で少数の兵と共に残り、にらみを利かせながら不穏な動きを鎮めていく。そんな働きをしているディーリー様の功は素晴らしいモノです。主力をマルハイマナに向けられるようになったのも大きいでしょう。完全に、全てを掌握しないのも。


 燻り続ける火があるからこそ、マルハイマナも決戦せざるを得ない。決戦になればイフェメラ様の右に出る者はいない。そして、ディーリー様を欠きこそ致しましたが、後背地の安定に最小限の力で済むためイフェメラ様はかなりの戦力をマルハイマナとの決戦に投入できるようになっております。


 これが、最大の功と言わずして何というのでしょうか。


 そこまで頭が回らない者達も、目の前、近くのエリポス西側がディーリー様によって抑えられているのは大きな功と映るでしょう。


 これが、ディーリー様では無い他の者の場合、例えば私などではどう思われましたか?

 頼り無いと思われてしまうでしょう。更なる増援を訴える者もいるでしょう。決定に不満を持つ者も多くいると思います。


 しかし、ディーリー様ならば、メガロバシラスに勝ったディーリー様と言う英雄ならば皆が安心すると言うモノ。


 少数で抑える重要性は、父上も良く理解しておりました。トュレムレを抑えたグライオ様を高く評価しているように。能力だけでなく、功としても非常に高いモノだとしているように。


 他の軍団の者も、グライオ様を高く評価しております。

 エリポス諸国家と交渉を担当し、実質的な二番手として別動隊を率いることもあり、少数の兵で強力な敵を抑える。


 なるほど。ディーリー様にも似たようなことが言えるとは思いませんか。


 少なくとも、私は思っております」



 そう言って、言葉を締めた。

 イフェメラは、父の話題を出したあたりから再び視線をやや下げている。だが、口角は最初よりもわずかに上がっているように見えた。


 対してジュラメントの反応はほとんどない。グライオの話を出した時にグライオを一瞥したぐらいだ。一瞥、と言っても敵意があるかは分からない。鋭い視線ではあったが、会話の流れとも取れるのだから。


(さて)


 心配の種は、この二人の温度差もあるな、と。

 第二次メガロバシラス戦争ではもう少し二人の連携は取れていたような気がするのだから。

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