第6話 友人宅
ただ、推測しなくても当然と言えば当然で。
インスラの高層は資産が無い人が住む。低層、店舗が無い場合は一階の人はインスラに住んでいるとはいえ結構裕福な方だ。逆に階が高くなれば高くなるほど貧乏である。そして、貧乏な人ほど食事の恵みにありつきたいと
(羨ましいな)
元は平民である
これではどちらが貴族か分かった物じゃない。
手段を選ばないエスピラとて貴族の誇りがない訳ではないのだ。
ペリースに隠れた左手が、エスピラ自身にさえも気づかれないまま硬くなる。
「また噛まれたか?」
地面に吸い込まれそうなほどに低いサジェッツァの声が聞こえて、左手の状態がようやくエスピラに自認された。
「その時だけ隠すのもおかしいだろう。心遣いだけ受け取っておくよ」
エスピラは、ペリースの下で左手の拳を解く。
「そうか。いつでも遠慮しなくて良い」
サジェッツァが手にしていた白いオーラを霧散させた。何事も無かったかのようにサジェッツァのオーラが消えていく。砕け散るように、バラバラと白いオーラが落ちていく。
「オピーマ一門は海洋交易に手を出してしまった」
エスピラにとってはいきなり話題が変わり、サジェッツァの茶色い眼が細められた。
あまり好意的な色は見えない。
「だが、マルテレスの赤、破壊のオーラはアレッシアでは六つのオーラの中で最も人気だ。筋肉も立派な上に実際の腕も立つ。それに、簡単に胸襟を開くと来ている。アレッシアの男なら、憧れるモノがあって当然だ」
ただ、友人であるマルテレス個人の話になるとサジェッツァの眼光も緩んだ。
傍から見れば大して表情が変わっていないようにも見えるが、確かに頬も緩んでいる。
「隠し事をするのは臆病者の行いだからな」
エスピラは冗談めかして、腕を隠したまま下からペリースを持ち上げた。
「オピーマと違い、ウェラテヌスは正しくアレッシアのために一門の命を散らした誇り高き名家。その最後の生き残りで声良し語学堪能、生き残りのために祖父の代では格下だったセルクラウスに頭を下げざるを得ないと言うのは、婦女の人気の出る要素だ。エスピラはエスピラの支持基盤がある」
ニコリともせずにサジェッツァが滔々と紡ぐ。
どう反応するべきか、エスピラが目を泳がせた隙に、マルテレスが中から出てきた。
パンのこんもり積まれた籠を奴隷、麻の服であるため少なくともオピーマ一門以外の家人に渡して、手を大きく振ってこちらに走ってきている。
「悪い悪い。もうそんな時間?」
「いや、少しお前に話が合って早く来ただけさ。コンメルン様にも話があったしな」
「ああ。大丈夫大丈夫。エスピラの話なら父さんは拒否しないさ」
マルテレスが豪快に笑い飛ばした。
次いで、サジェッツァが口を開く。
「私は一門のほとんどが家に居たからな。早く配り終えただけだ」
「とか言いつつ、サジェッツァが上手く手配したんだろ」
このこの、とマルテレスが十も年上のサジェッツァに肘を埋めた。
「あ、そうだ。この前言ってた可愛い奴隷。今日さ、闘技場に行って飲み過ぎたから休むんだって。折角エスピラに声かけてもらおうと思ったのによ」
スパッとマルテレスが話題を変えてくる。
「自分でかければ良いだろう?」
「いやいや。エスピラが声かけた方が明らかに反応良いじゃん。まずはきっかけを掴まないと」
「断る」
「頼むよ。な。愛人の一人もできない甲斐性なしって妻に言われてるんだよ」
マルテレスが両手を合わせて、な、な、と懇願してくる。
「ほら。人気の赤いオーラの癖に男とばかりつるんで情けないって言われるんだよ。もちろん、白、緑、青、黒。五色どれも大事だってのは分かっているよ。白の傷の治癒、緑の病魔退散は軍を維持するのにも生活にも欠かせないし、青の精神安定は戦列の維持に欠かせない。黒の死だって範囲は狭いけど一番強力だって良く分かってるからさ」
後半は赤のオーラではないエスピラやサジェッツァのためにかやや早口で。
手ぶりも大きくしながらマルテレスが言った。
「六色目も忘れるな」
そうサジェッツァが呟く。
「ああ、悪い。毒の、な。神への背信の……」
マルテレスの歯切れが悪くなった。
サジェッツァも、堂々とはしているが周囲に気をやっている。
「うん。でも、高貴な色だよな。紫。うん」
そして無理矢理マルテレスが話をまとめた。
「立ち話もなんだ。どこかに入ろうか」
サジェッツァも話題を変える。
「まだ陽も高いしな。店に行くには早い、よな。家に来るか?」
とマルテレスが自身の家を指さした。
行列は確かに減ってはいるが、まだまだ人はたくさんいて忙しそうである。
エスピラとサジェッツァの視線が意味するところにマルテレスも気づいたらしい。
ああ、と大きく口を開けた。
「多少忙しくてもアスピデアウスとウェラテヌスの二つの名門を家に招いたとなれば一門の誉れだよ。父さんも貴族からの目は和らげたいはずだしね」
「じゃあ、遠慮なく」
「そうそう。エスピラの話って何?」
未だに招待されるべきかを考えているサジェッツァの決断を待つことなく、エスピラとマルテレスは歩を進める。
「ルキウス様の晩餐会に共に行かないか?」
「え? マジで? ルキウス様ってあのルキウス・セルクラウス様?」
「ああ。大マジだ。次期執政官と名高いルキウス様だ。最後の票集め、と言ったところだろう」
「おっほーい! ありがとう友よ。好きだ! 愛してる! 神に永遠の友情を誓っても良い。というか、既に誓っているともさ!」
両手を大きく広げて、マルテレスが抱き着いてきた。
熱い抱擁を受けつつも、エスピラはされるがままになる。もちろん、近くなった顔だけは横に倒して少し離させてもらったが。
「太陽神に自身の敬虔な信者の友と認識されているのなら光栄だね」
「運命の女神さまに跪いても良いぞ」
別に、アレッシアでは自分の信仰する神以外に跪いてはいけないと言う決まりはない。
信じるものは自由だし、信じるものが増えるのもまた自由なのだ。
「それもありがたいが、どうせならその心を処女神に向けてはみないか?」
マルテレスが首を傾げたが、それも僅かな間。
納得がいったかのように、ぽん、と手が鳴る。その音の後、エスピラは頷いた。
「近々、私はそこで神官を務める。マルテレス、お前さえ良ければ守り手として、一緒に行かないか?」
「おうよ!」
と、マルテレスが二つ返事で提案を了承し、抱擁がきつくなった。
「マルテレスを守り手にする働きかけを、アスピデアウスにもしてほしいと言うことか」
対照的に地に足の着いた水の声でサジェッツァが続く。
エスピラはどんどん締め上げられるような抱擁に対して、降参を示すようにタップしながらも顔はサジェッツァに向けた。
「お願いして良い? 出世払いで」
「ハフモニとの戦争が起こった時、格安あるいは無償でマフソレイオから穀物の提供を取り付けるならな」
「女王陛下が生きていれば、いくらでも」
もちろん、二人とも冗談である。
穀物が欲しいと言うのは本音だが、いつとも分からない約束であり、そのタイミングでエスピラが他国との交渉に当たれる立場にいるとは限らない。
何せ、これまでのようにタイリー・セルクラウスらのついでの使節としてエスピラが行くわけにはもういかないのだ。官職を持ち、出世していくのなら。その時は自分の立場で。
「ディティキのような、明らかにエスピラの手柄を誰かの手柄にするような真似は無しだ。誰もが、イルアッティモ・ティバリウスに喧嘩を売る以上のことができるとは思っていなかったからな」
「越権行為で罰せられるのが嫌だっただけさ」
続く本音の苦言も、エスピラはさらりと、冗談と同じように受け流した。
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