第7話 友人宅
「俺も活躍したぞ」
サジェッツァのもの言いたげな口が開く前に、マルテレスが陽気にサジェッツァの方に腕を回した。逆の腕はエスピラを保持したままである。
「聞いている。暗殺者を退ける見事な働きだったらしいな」
「おうよ。気配がしたから剣を抜き、「おい」と呼び止めて振り返った下手人を上からズバ、よ。向かってきたもう一人には、足を引いて引き付けた後に一突き。俺の鮮やかな手際に流石の使節長様も言葉を失っていたな」
「良かったな」
「流すなよ」
後半の冗談めかした口調のまま、マルテレスがつれない声を発したサジェッツァに回した腕を引き寄せた。
代わりに、エスピラは解放される。
「酷いと思わないか、エスピラ」
体は解放されたが、話題からは解放されないらしい。
エスピラは、ほとんど表情の変わっていないサジェッツァの顔を見てから肩をすくめた。
「サジェッツァは元老院で詳しい話を聞いているだろうからな。正直、さっきのお前の話よりももっと手に汗握る武勇伝を聞いているんじゃないか?」
イルアッティモは喧嘩を売るために送り出された使節の代表なだけあって思ったことが素直に出る男である。
嫉妬と、恐らくそれ以上の感謝の気持ちの籠った生の言葉が元老院議員に届けられたはずだ。
(嫉妬する気持ちも分からなくは無いが)
機嫌良く「それならそうと言えよ」とサジェッツァに絡み始めた友人を横目にエスピラはイルアッティモに同情した。
腕っぷしの強さも十も上のサジェッツァにともすればうざ絡みのように接しても怒られない人懐っこさも、果ては年下から慕われる面倒見の良さも。
全てマルテレスは持っており、マルテレスレベルで兼ね備えている人物などアレッシアの支配領域広しと言えどもそうはいない。この劣等感を簡単に払しょくできるのもまたマルテレスの人柄があってこそなのだが、ろくに会話をしていないイルアッティモ様では難しかろう、と。
エスピラが思考の海から戻ったのは、オピーマの家の裏口が開いて家内奴隷が出迎えてくれてから。
マルテレスがサジェッツァ、エスピラと紹介していき、軽く挨拶をした後に家の中に入る。客間に案内される前に隙を見てマルテレスの父、コンメルンにこれまたサジェッツァ、エスピラの順に挨拶をし、マルテレスが晩餐会の話を持ち出してすぐさま了承を得てから客間に着いた。
家内奴隷がその間に手早く準備を済ませていたのか、ハーブのお茶は冷たいながらも多量の水滴を机の上に広げるようなことはしていない。
「で、何の話をしてたっけか」
皿に盛られたドライフルーツをサジェッツァの方に押しやりつつ、マルテレスがさりげなく自分の好きな果実を手に収めている。
「話題なら終わっている」
マルテレスの活躍がどう伝わったかの話だと言おうとしたエスピラよりも先にサジェッツァが答えた。
ともすれば冷たく聞こえる言い方だが、マルテレスに全く気にした様子は無い。
「そうだっけか。まあ、良いか」
マルテレスが腰を落ち着ける中、ハーブティーにドライフルーツを入れ終えたサジェッツァがエスピラの方へドライフルーツを持ってきた。
「ウェテリ殿はもう外に出られるのか?」
エスピラは止めかけた手を滑らかに動かして、ハーブティーにドライフルーツを落とす。
「メルアで良い」
サジェッツァの言葉の真意を測りかねたので、エスピラはどうでも良い言葉を返した。
「『ウェテリ』を尊称に持つ者はエスピラの息子が結婚するまでは一人だ。いや、処女神の巫女に見初められればその前に増えるが、どのみち、今はメルア・セルクラウス・ウェテリのみを示しているだろう」
アレッシアにおいて、父祖は大事である。そして父祖を示す一門もまた大事なのだ。
故に、名前の一門を表す部分は変わらない。別の一門に竈門を移した者が出れば、その証が名前に就くのだ。ウェラテヌスにならウェテリ、アスピデアウスならアスピデリ、セルクラウスならセルクエリと言う風に。
「会ったことも無い相手な上に友の妻なのだ。いきなり名で呼ぶのは気が引ける」
「俺も会ったこと無いや。美人なんだろ? 美しすぎてタイリー様が外に出そうとしなかったとか、逆に醜くてとかあるけど、大層モテているなら美人な方なんだろ?」
「……やはりこの提案は取り下げよう」
何も言っていないのに、サジェッツァが渋い顔を浮かべる。
それだけで、どのような種類の提案なのか、エスピラへの質問が何を意図していたのか。それがマルテレスにも分かったようだ。
「しないって。エスピラこえーもん。この前メルアの愛人の話したら明らかに機嫌崩したもん」
「崩してない」
言葉とは明らかに違う声音である。
「いやだって」
「崩してない」
マルテレスが眉を垂らす様すら、不快であった。
アレッシアの上流階級において、愛人がいることは大きな問題では無い。そんなことエスピラにも分かっている。家門同士故に相手を大事にはするが、それはそれ。家門の敵との密通や相手を蔑ろにさえしなければ「気持ちは分かる」で皆が口を噤むのである。
眼光を逃がすと、エスピラはハーブティーを一気に飲み下した。
ドライフルーツも喉に引っ掛かりながら胃に落ちていく。
「夫婦仲が良いことは悪いことじゃない。そのために幼いうちから引き合わせるのは良くあることだ。愛は無いが過ごすうちに情は湧くからな」
「普通はそうなんだろうな」
「ああ。なんつーか、結婚してから男の噂が広がったもんな。トリアンフ様も実の妹に熱を上げ始めたなんて噂も耳にしたし、近寄る男は皆虜にするとか。そりゃあ、うん。あんな不名誉なあだ名も」
「マルテレス」
エスピラの声に、おかわりを注ぎに来た奴隷が肩を揺らす。
申し訳ない思いから、エスピラは奴隷に目は向けなかった。
「愉快な話では無い」
「悪い」
最初に立った音はサジェッツァがほぼ透明な緑のガラスカップを置く音。
奴隷の視線がサジェッツァに向いたのも、サジェッツァが奴隷に視線をやってお代わりを要求したのも、エスピラは気配で察することができた。
マルテレスは、やや居心地が悪そうに縮こまっている。
「人は、悪い所もあるからこそ成り立つものだと思っている」
サジェッツァがそう切り出した。
「外交使節に入ることに誰も文句を言わないエスピラが、人の悪い所に気が付かないとは思えない。そのエスピラが五つの時から関わっている相手の欠点をあまり言わないどころか、ウェラテヌスの当主として父祖の墓に入れる決意をした。それは正しく大衆が愚かで、正確なウェテリ殿を伝えていない証明だとは思わないか?」
「うっす」
小さな声で、マルテレスが頷いた。
「大衆のことを気にして生きるのは愚かだが、無視して生きるのはそれよりも愚かな行いだ。故に、悪い噂には反証となる事実を残しておく必要もある。何を言われようとそれが事実なのだから、振り回される愚か者は役立たずと判断すれば良い」
マルテレスを諭しているようで、その実エスピラにもメルアをもっと外に出して人となりを知らせておけと忠告しているのだと、エスピラは思った。
だからこそ、ここまで一言も発してはいないが、晩餐会にメルアを誘おうとしているのだろう。
(良い手だとは思えないが……)
タイリー・セルクラウスの辣腕は、家父長制を利用して子供たちに影響力を残しつつ他の一門と結びつきを強くしていくところにも発揮されている。
ただ、同じ名門であるアスピデアウスとは自身に近い所で結婚を成立させていない。
そして、メルアは自身の影響が薄くなるのを承知で二歳の時から離れに幽閉するかのように生活させている。
結局のところ、そのメルアの夫にエスピラが選ばれたのは誇り高き悲劇の一門としての名の高さと、タイリー・セルクラウスの庇護を外されれば以降誰の庇護も受けられず、自力で金をばらまけないところにも起因しているのだ。
父としての威厳を発揮できなくとも利害で縛れる名門の血、と言うことで。
(推測に過ぎないから、サジェッツァには別のモノが見えているのかもしれないがな)
思考を結ぶと、サジェッツァが、厚意からだとしても他人の夫婦関係に口出しするべきではない。そこが無頓着だからこそ、良い人なのに愛人の一人もできないのだとマルテレスに対してまとめていた。
「悪かった」
マルテレスが顔の前に手を立てて、片目を閉じる。
「私も、大人気が無かったよ」
エスピラとて、別にマルテレスのことが嫌いなわけじゃない。嫌いになったわけでもない。
「こちらとしては、年相応に不機嫌になるエスピラの方が見ていて気持ちが良いがな」
サジェッツァが少しだけ余計なことを言った。
自覚は無いのか、彼は優雅にハーブティーを飲んでしゃべり疲れたであろう口を潤してはいるが、マルテレスも少し微妙な表情をしている。
「さて、本題だが晩餐会は小規模なものにする予定だ。政治的な意図はなく、あくまでも最近は何かと離れることの多い友人との交流。故に相伴は互いの妻。出会いの場では無いのだから、個人的に信頼できる者のみで固めたと言えば、そこに政治的な意図を見出されても反撃は容易だ」
「いやいやいや、話が飛び過ぎだよ。俺らまだ正式な招待どころか晩餐会のばの字も聞いてなかったぞ」
大笑いのマルテレスに、怒った様子は一切ない。
相好を崩し、ドライフルーツを手に取ってお茶に落とすでもなく口に放っている。ついでに、お茶を注いでくれた奴隷にもドライフルーツを勧めて。奴隷も、恐縮している風で、その実慣れた手つきでドライフルーツを受け取っている。
「断るのか?」
「まさか」
マルテレスがおどけて首をすくめた。
エスピラも、マルテレスに同意を示す。
外に出しても大丈夫かどうかは問題ではあるが、少なくともタイリーに対する問題はサジェッツァが対策を練ってくれているようなのだ。友の恩情を、受け取らない手は無い。
「そう言えば、ルキウス殿の晩餐会に呼ばれているのだったな」
そう言って、サジェッツァが丸めた羊皮紙をエスピラの前に置いた。
受け取り、広げる。
「大したことは書いていない」
こともなげに言った友人に、エスピラは口元を吊り上げた。
何が大したことは書いていないのか。
内容としては、セルクラウス一門の凱旋式を楽しみにしている、と。ディティキなどの豪華な戦利品とセルクラウス総出の出迎えは神殿の記録を紐解いても類を見ない、執政官として最高の凱旋式になるでしょうと言う話で閉じてはいる。
これ自体は不思議な話では無いし、ただの選挙応援にも思えるだろう。
だが内実は、何かと話題のメルアの初のお目見えを叔父であるルキウスの凱旋式で行ってしまうと言う話だ。しかも、賓客ではなくただの見物客として。
今日の、友人たちの晩餐会の話は口止めをしていないからそこはかとなく広がるだろう。
だが、サジェッツァ・アスピデアウスはセルクラウス一門に配慮して秘蔵っ子メルアが人前に出るのをアレッシア人最高の名誉である凱旋式に合わせた。それまで待つと言った。
もしタイリーが慌てて動くならルキウスは機嫌を損ね、最近上手くいっていない長男トリアンフと結ぶかもしれない。あるいはエスピラが神官、そして財務官になり戦地へとなればエスピラ抜きでメルアを紹介する羽目になりかねない。
どのみち、セルクラウス一門よりもアスピデアウス一門の方が株を上げる形が出来上がる。
「何が政治的な意図は薄いんだよ」
鼻で笑いながら、楽しそうにエスピラは羊皮紙をしまった。
「年下の友人がいつまでも妻を紹介してくれないからな。早くみたいと言うのが一番の動機だよ」
サジェッツァは相変わらず、常のまま。
その様子をみて、流石はタイリー・セルクラウスの一強になりつつある現状に釘を刺す一手を打ってきたな、とエスピラは心底楽しく自身の内内で笑ったのだった。
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