第2話 エスピラ・ウェラテヌス

 船の上では怒りによってか顔を赤くしたイルアッティモがいたが、エスピラと目が合うなり幾分かマシになったようである。


 対照的に、エスピラは沈痛な面持ちで顔を伏せた。


「トゥット様のこと、お聞きいたしました」


 心の底から胸が痛むと訴えるような声のまま、続ける。


「アレッシアを見下すかの卑劣な王が刺客を差し向けてくる可能性は知ってはいたのですが、我が友マルテレスの身は一つ。ならばディティキとの戦いでアレッシアにその剛を轟かせるであろうトゥット様ではなく使節団長でもあるイルアッティモ様の護衛に行ってもらえればと思ったのですが……。申し訳ありません」


「良い。……良い。オピーマの小倅が居たから生き残れたのは事実だ。見事な、これ以上ない働きであった。それは間違いない。落ち度はない」


 弟を殺された怒りから、少しばかり解放されたらしい。

 その機を見計らって、エスピラは先ほど押収したパピルス紙と羊皮紙を取り出し、イルアッティモに渡した。


 イルアッティモが紙に目を落とす。


「しかし、トゥット様の仇を討つ機会はすぐに訪れましょう。かの国は、海賊行為を援助するだけに飽き足らず、友人のような顔をして我らがアレッシアに近づき、我らが朋友であるメガロバシラスの槍でもって不意を突こうとしていたことは明白です。このような卑劣な行いを民が許しましょうか。アレッシアの神々が許しましょうか」


 メガロバシラスは同盟国だがどちらかと言えば敵対的。朋友ではない。

 それでも関係なく、エスピラは堂々とした演説に移行していく。


「いえ、奴らが卑劣で悪逆極まりないのは今宵のやり方で最早疑いようのない事実となりました。一時の感情で動き、高官は私腹を肥やしていく始末。そのような国で民が幸せに生きられるでしょうか。短剣を隠し持つ者を友として迎え入れられるでしょうか」


 ついで、エスピラはパピルス紙を二枚取り出した。


 読めはしないだろうが、書いてあるのはディティキ内での互いの派閥への誹謗中傷。実際の罪だけではなく、捏造された罪もたくさん書かれている。いくつかは既に国内ディティキの裁判で冤罪が証明されているが、アレッシアにそんなのは関係ない。


「私たちは使節。友好のためにディティキに来たにすぎません。それを、奴らはあろうことか蛮族として扱い、家畜のような待遇に不満を述べればすぐに刺客を送りこんできたのです。その程度の、統率の取れていない野蛮な民族と我等アレッシア人が同じであると言っているのです。


 果たして、蛮族はどちらですか?


 文明の都として発展してきたエリポスに、そんな野蛮な国を残せばどうなりますか?


 芸術は破壊され、愛すべき文化は踏みにじられる。我らが愛するエリポスが、燃やされるのです。神の痕跡が、神々の軌跡が消されてしまいかねないのです。


 ええ。ええ。

 ですから、これは聖戦です。エリポスを守るためにも、私はディティキの街を引き倒すのがふさわしいかと思います」


 そうだ、と誰かが吼えた。

 気づけば出港準備を進めていた船員が手を止め、吼えて賛同している。仕込みも、そうでない人も。


「これは、神々のため。神々の業績を蔑ろにする、破壊しようとしている、神々を羽虫のように扱っているディティキと言う病をエリポスから取り除くための戦いなのです! 我が神、フォチューナ神は、機は一瞬。逸すれば二度と掴むことは出来ないとおっしゃられています。神々を守る機であるこの一瞬を掴めと、神々を守る運命に選ばれたのは我らアレッシアに他ありません」


 次々と賛同の声が上がる。

 ある者は太陽神の教えに例え、太陽の昇る東側にディティキは残しておけないと。

 ある者は豊穣の神の教えに例え、王政などと言う凝り固まった同じ土壌を使いまわす国は一度土を入れ替えねばならないと。

 ある者は美の女神を持ち出し、美を維持するためには時に血を流す必要もあると。


「良くぞ言った」


 そして、イルアッティモまでもが吼えた。


「これは、最早国と国の戦いではない。神々のための戦いである。これよりはすぐさま帰国し、元老院に開戦を要求する。信仰を失ったディティキの者に、今一度神々を思い出させるためにも、急いで出航せよ!」


 威勢の良い掛け声と共に、集まっていた船員が散っていく。

 ある程度人がはけ、熱気が船を覆ったタイミングでイルアッティモが満足げにエスピラに近づいてきた。


「流石だな。一緒に元老院に出しに行くか?」


 エスピラが投げすてた誹謗中傷の紙も拾って、イルアッティモが小さな声でエスピラに聞いてくる。


「それは、イルアッティモ様がされるべきかと。私はあくまでも見識を広めるためにタイリー様がねじ込んでくれただけ。完全に、越権行為となりましょう」

「うむ。悪いな」


 断れば、功績は完全にイルアッティモのモノになる。

 それはイルアッティモも知っているからか、機嫌の良さを隠しきれない声と足取りでイルアッティモが船首へと消えていった。弟の仇討ちを私怨と取られずに行えるから、というのもあるだろう。


「良いのか?」


 マルテレスが小声で聞いてきた。


「良いさ。イルアッティモは喧嘩を売るのには優秀な人物。だが弁が立つ方ではないことはきっと報告に行った元老院で思い知るだろう。いや、既に知っているか……。どっちにしろ、次に喧嘩を売りに行く時も私を呼びたいだろうさ。手柄を奪えるならな」

「そうやって呼ばれ続ければ聡くない者でも気づくって寸法か」

「まあ、自分の評価に対して手柄が無いのは事実だけどな」

「どこがよ」


 笑いながら、マルテレスが肩を組んでくる。

 エスピラの左手が二人の間に挟まるが、エスピラはされるがままに接近を許した。


「そういやさ、これって神々のための戦いになるのか?」


 耳元で、マルテレスが囁いてくる。


「なるわけないだろ」

「トゥット様の剣の腕は」

「大したことない。お前なら三秒で倒せる」


「あー、やっぱり。大丈夫なのか、それ」

「フォチューナ神の教えには背いていない。一瞬の好機を掴むための行いが大事なのは事実だしな。王が一週間後に亡くなり混乱が加速する今を逃せば別の国がディティキに介入してくるさ」

「物は言いようって訳か」


 最後に背中を思いっきり叩いてマルテレスがエスピラから離れた。

 船も帆が張られ、動き出す。

 こうして、使節団は元老院の思惑通りに宣戦布告の大義名分を得てアレッシアに戻ったのだった。

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