ウェラテヌス隆盛記(仮題)

浅羽 信幸

第一章

第1話 エスピラ・ウェラテヌス

「貴方は、アレッシアが嫌いなモノをご存じないようだ」


 そう言って、エスピラ・ウェラテヌスは執務室の扉を閉めた。


 手にはアレッシアに忠誠を誓う旨をアレッシアの言葉で書いてあるパピルス紙と、エリポスの言葉でエリポス最強の軍事国家メガロバシラスに援軍を要請する、媚びへつらう内容が書いてある羊皮紙。筆跡は同じ。驚愕の表情を一瞬で静めた部屋の主のモノ。


「読み間違いではありませんか? エリポスの情勢は複雑怪奇。ややこしい言葉を好む者達です。直接的な言い回しばかりのアレッシア人では勘違いしてしまうのも仕方が無いかと」


 拙いアレッシア語で宰相が言う。


「貴方はアレッシア人を野蛮で知性に劣る民族だと認識しているのに、蛮族の対応としては最悪の手を打つとは。ディティキの者は頭の使い方を知らないらしい」


 流暢なエリポス語で返して、エスピラは宰相に近づいた。


「戦争になるぞ」


 今度はエリポス語で宰相が言う。


「ディティキは海賊行為を取り締まるどころか援助する始末。あまつさえ我がアレッシアの使節、ティバリウス兄弟に刺客を差し向けていますよね」

「刺客? いや、そんなまさか。接待をするとは聞いていたが……いや、そんな」


 驚いたフリをしているが、この宰相が黙認していることは調べがついている。

 アレッシア人が嫌う買収、宰相の奴隷に金を渡して、ではあるが。


 前に出てきた宰相の道を開けるようにエスピラが避ければ、目だけは警戒して宰相がエスピラの前を通り過ぎた。


 エスピラは数歩の間何もせず、宰相の警戒が下がった瞬間に抜剣して宰相の腰に刃をうずめた。オーラを刃から流し込み、振り払うべくやってきた宰相の手をねじ伏せて同様にオーラを流し込んだ。


「新しいディティキにメガロバシラスに親しい者は要らず、アレッシアに歯向かう者も要らない。その中で不要な者たちにも尻尾を振る貴方は邪魔でしかありません」


 剣を抜くと、エスピラは宰相を壁へ蹴り飛ばした。


 最初は痛みに呻いていた宰相が、次はかきむしるように体を折り曲げ、声にもならない声を上げ始める。


「ご安心ください。これから貴方は戦争を引き起こした愚かな宰相として語り継がれるでしょうが、王の死出の苦しみと同じ苦しみを味わえるのは、ディティキでは貴方だけ。真の忠臣として、神々の御許で王に許しを請えば否とは言わないでしょう」

「陛下に何をっ」

「触れる機会はたくさんありましたので。勿論、王はゆっくりと一週間かけて死に至りますが貴方は一瞬。痛みは、貴方の方が上かと」


 エスピラが言い終わると、宰相が目玉をひん剥いた。飛び出ていると言っても過言では無い。

 大きな物音を立てて、宰相の頭が床に打ち付けられた。


 エスピラのオーラによる死か自死か。


 判断は難しかったが、運命の女神フォチューナの信者であるエスピラは後ろ髪を掴むことは出来ない。教義を拡大解釈しても、引っ張るように掴むことは禁止されているため、顔面を見るには手間がかかる。


 エスピラは右腰に下げている、手のひらの長辺ほどの刃の短剣で宰相の動脈を斬り、出血量が少ないことを確認してから死体から離れた。


 邪魔だからと外していた肩掛けマント、紫色のペリースを拾って体の左側を隠すように羽織り、部屋を出る。遠くから喧騒が聞こえるが、エスピラが宰相を暗殺したことでは無くアレッシア側の使節が襲われたことに端を発しているのだろう。


 怒声と、僅かな剣戟。

 果たして、アレッシアにとって本物の『邪魔者』をこの混乱に乗じて討ち取ってくれる者は何人いるだろうか。


(あまりいないだろうな)


 だからこそ奴隷に金をばらまき解放の手筈を整え、あるいはエスピラ自身が接触し、本当に排除しておかねばならない者はエスピラ自身が手に掛けたわけだが。


「エスピラ!」


 物音を立てずに移動していると、銅の脛当てをつけているマルテレス・オピーマが声を張り上げ、駆けてきた。手に持っている剣は血で濡れている。


「無事だったか、友よ。いや、大変なことになった。聞いて驚け、トゥット様が殺された」


 トゥットは使節の代表ティバリウス兄弟の弟の方である。享年三十四歳。


「イルアッティモ様は?」


 こちらは兄の方。使節のトップだ。現在、三十八歳。


「船に向かった。オーラ使いの数はこちらが上だが、普通に押し負けるからな。一目散に逃げだしたよ」


 それで良い、とエスピラは思ったが、抵抗せずにさっさと逃げると言う行動は『アレッシア人の誇りが無いのか』と政敵につつかれはするだろう。


 まあ、それでも。いわば喧嘩を売るための鉄砲玉となることを期待してティバリウス兄弟が選ばれたのだから彼らの評価が下がることは無い。


「しかし、よく襲撃があると分かったな」


 感心したような声を出しつつも、マルテレスは油断なく周りを見回している。


「『サンヌスのようにもっと良い法を施行してやろうか?』と使節が言ってしまった以上はな。黙って帰すわけにも行かないだろ」


 サンヌスは、元はアレッシアの敵対国家だった。

 その王族の王子は美形ぞろいだったため、花形剣闘士とするために過酷な訓練生活を送らされているのは有名な話。富も名声も女性も自由人への道も全てを手に入れられ、一部の自由人も貴族の子弟も志すことがあるのが剣闘士だが、基本は奴隷の仕事。それも王族ならば、属国以下の亡国となる敗戦国の扱いに他ならない。


「だな」


 軽い口調ではあるが、相変わらずマルテレスは周囲を過剰に警戒しながら歩いている。


「なあ」

「ん?」

「そんなに警戒しなくても良いんじゃないか?」

「あのタイリー・セルクラウス肝いりのエスピラ・ウェラテヌス様を混乱と混沌のるつぼと化したディティキの地で護衛して無事に船まで連れていけば俺の評価も上がるだろ? だから黙って護衛されてろ」


 マルテレスがおどけて肩をすくめた。

 エスピラも眉を下げる。


「そんなことしなくてもお前は優秀だよ」

「どうも」


 エスピラはため息交じりにマルテレスを褒めはしたが、コネが無いマルテレス、と言うよりも新貴族ノビレスであるオピーマ一門には政界と強いつながりが無いのは事実。能力があれば出世の道が開けるのがアレッシアだが、その能力を見出されるための官職に若いうちに就けるかはコネがモノを言うのだ。


 自分を超える才を持つマルテレスが埋もれたままなのはアレッシアのためにならない、とは、エスピラも重々承知している。


 エスピラの背負っているウェラテヌス一門は十八年にも及んだ海洋国家、大国ハフモニとの戦争のために蔵を空にしたのだ。見返りを求めず、ただただアレッシアのために私財をなげうって船と漕ぎ手を集めたのだ。

 一門を傾けてまでアレッシアの勝利を渇望した父祖を裏切る生き方は、アレッシアに生まれアレッシアで育ったエスピラにはできない。


「エスピラ様が来られました!」


 そうこうしている内に、エスピラとマルテレスは威圧のために使節団が乗ってきた五段櫂船にたどり着いた。

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